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祖父が戦死した話

母の実家の仏壇の上に飾られてあった祖父の写真
軍服を着てそれは凛々しくカッコよかった
母に祖父の話を聞いたことはなかった
戦争で死んだんだ。。と子供心にわかっていた

祖母が他界し実家を継いだ叔父もなくなり随分と月日が経った
いつからともなく母の実家へ行くということはなくなった
墓参りもいつから行っていないのか
それさえも定かでないほどに月日が経ってしまった

今遠い国で起こっていること 同じ地球で起こっていること
戦争は遠い昔のことと思っていた
それが今現在、私が呑気にご飯を食べたり眠ったり、安心という不確かな感覚の中で過ぎていく時間にことは起きているのだ
「自分の身に起こっていないことに不安や心配を抱かなくてもいい」
何かで知ったこの一文ではなかなか心が片付かない
何もできないない中で何かできないだろうか
ふと目にした募金箱にお金を入れることせいぜいそれくらいのことしか私にはできないでいる

そんなことをぼんやり考えていたある日、祖父母の墓が妙に気になった
足腰が弱り最近は心臓の持病も悪化してきている母を連れて行く事にした
田舎にある細い山道を上がったところに墓がある
どれくらいぶりだろう
どれくらいぶりだろうなんて誰に恥ずかしいかわからないが恥ずかしい話だ

坂を登り息切れして苦しそうな母とふたりで祖父母の墓を綺麗にしお参りした
祖父は40歳で戦死した
昭和20年6月4日と書かれている
後数ヶ月で終戦だったんだね

母に初めて聞いてみた
母の父親のこと私のおじいちゃんのこと

戦争に行ったのは母が3歳の時
戦死したと知ったのは小学4年生の時だったと
終戦後しばらくした後、同じ部隊で戦った人が家を訪ねてきてくれたこと
父の髪の毛を小さな箱に入れて届けてくれたこと
そして最期のこと

祖父は陸軍。先頭をきって進む中、銃で撃たれて逝ったと
後ろについていた自分達は助かったのだとその人は言ったそうだ
フィリピン・ミンダナオ島
ネットで色々調べてみた。多くはわからないがそこで祖父は亡くなったのだ
最後にひとこと「駅にお迎えに行けなかった」と母がポツリと言った
映画でみたことがあるような風景。終戦後に家に戻るあのシーンだ
戦友がたづねてきて話を聞くまで、いつ帰るかわからない父親のことを待っていたのだろう

こんな思いはもう誰にもしてほしくない
自分が存在しているということは必ず先祖がいて家族がいるということなんだ

風が強い日すぐに消えてもおかしくない蝋燭の火は、消えるまで話ていておくれと言わんばかりにユラユラと消えずに燃えていた

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