「けしからん」と計算史

登大遊さんの情熱大陸を見ました

https://www.mbs.jp/jounetsu/2021/02_07.shtml

2重に面白い回でした.

1つは,インターネットありがとう!の裏側を知れた面白さ.

もう1つは,「けしからん」の面白さです.(こんなこと言ったら怒られてしまうかもしれませんが…)

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自分の専門は,日本計算史と言っていますが,その中でも特に「コンピュータの利用」について着目しています.そのような文献を読むときに様々な「けしからん」が出てくるのです.

このような「けしからん」は,自分たちの大変さを伝えるために書かれていたり,組織としての問題点や課題を広めるために書かれていたりします.

「こんなにも大変だった」という苦労話も歴史の一部ですが,それをまとめることは,歴史「学」ではありません.でも,この「けしからん」が次の時代の技術革新につながっていることも多いのです.

「組織上の問題点は,人間的な問題であって,技術の話ではないのでは?」という声も聞こえてきそうですが,実はそうではありません.

技術の枠組みは,その時々で全く変わるのです.今から見れば,明らかに人間的な問題であっても,技術の”あり方”は,常に人間との間でダイナミックに形を変えているために,技術の枠組みの内側で語った方が筋よく見ることができる事例もたくさんあるのです.

例えば,1960年代前半.某大学の計算センターで共同利用している電子計算機を,その近隣の大学の先生が利用していた時の話です.某大学から週1回,集荷にやってきてたトラックに,プログラムとデータを打ち込んだパンチカードを預けると,しばらくして結果が送られてくるという方法で電子計算機を利用していたそうです.

この先生が「トラックの集荷を増やしてほしい」とクレームをいれていたことが,当時の月報には書いてありました.それもそのはずです.その先生にとっては,いくら性能が良かったとしても,その電子計算機(コンピュータ)では,週に1度しかプログラムを実行できないのですから.

おそらく,この先生は,こう言っていたでしょう.

「けしからん」と.

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「けしからん」は,当時のコンピュータ利用のあり方の一端をうかがい知る”よすが”になりうるのです.(この事例でいえば,トラックもコンピュータ利用の環境の一部であったことや,最近のAWS的な,プログラムを投げて結果を受け取る的なコンピュータ利用のあり方の走りを知ることができます)

組織上の「けしからん」はなかなか人間的には解決しづらいわけですが,テクノロジーでガツン!と解決することもあるのです.登さんの情熱大陸からは,それを感じることができ,大変楽しいものでした.

『けしからん大全』を作っても,笑い話のネタにしかなりませんが,「けしからん」が何につながっていたのか,まで見通すことができると,とても面白いはずです.

歴史を読むときの視点としての「けしからん」.まだまだみんなに気付かれていない「けしからん」が,コンピュータ利用の歴史の中に埋まっているはずです.



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