2006.04.09:北京(小土豆・琉璃厰・鬼街)
2006年4月9日 小土豆、琉璃厰、鬼街
時計を見たら未だ5時30分。起き出してシャワーを浴び昨日できなかった腰痛体操を汗ばんで来るまでやる。パソコンの電源を入れて、昨夜は何度トライしてもアップロードできなかったブログ用の写真をアップする。カーテンを開けると今日もホコリっぽい空だ。
8時に于くんに電話すると、ガサガサの寝起き声。一人で朝食に行く。オーストラリアからのツアー客が大勢いた。朝食から戻ってみるとパソコンの電源が落ちている。朝食に行くときにパソコンの電源を切らずに部屋の電源を切ったことに気づいた。ひょっとしたらせっかく申し込んだインターネット接続は再申し込み? と心配しながらブラウザを起動してみると接続は継続していた。
2003年10月に天安門広場にある中国歴史博物館で出会って以来交流が続いている師鋒(Shi Feng)くんに電話すると繋がった。彼が保険会社に勤務していることは最近のメールで知ったがそれ以上のことは分からない。12日に逢う約束をする。昼までやり残したメールやI社のクロダ社長への礼状を書く。
昼時も過ぎたので再度于くんに電話して、上海から合流する予定になっているビル・リンさんに連絡を取ってもらったらホテルに着いたところだった。三人で簡単な打合せをかねてランチに出る。ビルさんが勧めるホテル続きのショッピング・センター五階にある中国東北料理のレストラン小土豆 (Xiaotudou) へ。東北料理は于くんにとっては地元の料理なので気が進まないようだった。
店内は2時になろうとするのにたくさん客がいる。注文をとりに来たスタッフ嬢はモンゴル地方から出稼ぎに来ている劉敏 (Liu Min) さん19歳、日本の同年代の女性に比べて数歳若く見える。于くんとのツーショットを喜んでくれた。
注文はビルさん、于くん任せ。いつも思うことだが中国の人は台湾の人も含めてレストランで料理を注文する時に、実にこまごまと材料や調理法のことを店の人に聞きながら、あるいは仲間としゃべりながら時間をかけて注文する。
他にトマトやトウモロコシなどの野菜スープや平皿のような形に麺を捲いたもの、トウモロコシの粉で作ったホットケーキじょうのものを頼んでくれた。料理はどれも見かけは悪いが濃いめの味で美味しかった。豚足の太い骨の髄をストローで吸い出すのは初体験だった。料理を6品とビール2本で92元(1,350円)。何時呼び出したのか北京在住の于くんの友人でビデオ制作会社の受け付けをしている吴迪 (Wu Di) さんもランチに合流する。于くんによると彼女の家族は回教(イスラム教)で、中国では彼等を回族というそうだ。やはり豚肉は一切食べないという。
食後は若い彼らと別れてビルさんと二人、タクシーで琉璃厰(Liulichang)に行く。北京支店のジュディスさんに連れてきてもらったことがある骨董街だが再訪となった。日曜日なのに観光客が少ない。
歩いていると輪タクがひっきりなしに乗らないかと誘ってくる。骨董店の客引きの声も元気がない。冷やかしでいくつかの店に入ったが、プラスチックで作った骨董の精巧なレプリカが出回っているとビルさんが小さな声で教えてくれた。きれいに装飾加工された高さが6~7cmの小さな器をずっと香料か香水でも入れる器だと思っていたが、鼻烟壺 (Biyanhu) というものでクシャミを起こす薬のようなものを入れる器だとこれもビルさんがおしえてくれた。クシャミと言うのが気になってインターネットを検索してみたら嗅ぎタバコの容れ物 (Sniff Bottle) だった。
筆や硯などの書道の用具を売る店も多いがたいていは奥まった所にあり何となくカビ臭い印象で、商売になっているのか心配になるほど客がいない。
ジュディスさんが案内してくれた時は輪タクに乗ったので土産物店の間にある路地に気づかなかった。古い趣の残る路地はまさしく胡同でそこは人の暮らす町でもあった。
夜は于くん、吴迪さんの三人で于くんの高校時代の友人達に会いに出かける。待ち合わせ場所の東直門 (Dongzhimen) 交叉点(地下鉄東直門駅の上)までタクシーで行く。昼間と同じ服装では辛いくらい夜は冷え込む。友人達がなかなか来ないので地下鉄入口の中で待つことにした。そこでエスカレーターで上ってくるS社のサイトウさんと出くわした。『明日、一緒に NITS を訪問する予定になっている人とこの広い北京で出会うとは……、奇跡に近いことだ』とはサイトウさんの驚きの言葉だった。
やっと友人達と合流、改めてタクシーで鬼街まで行く。鬼街とは東直門内大街の辺りの別名で、北京でもこの界隈だけが24時間営業している一番庶民的でディープなレストラン街だ。タクシー運転手相手の食堂街が鬼街の始りだという。軒を列ねるレストランの前はそれぞれの店の呼び込みが大きな声で入店を誘う。中の一軒に入ったがそこの名物のエビの辣油炒め、羊の背骨の煮込み、羊肉の串焼きなどを食べた。変わっていたのが彼ら若い中国人達のビールの注ぎ方で、ビールを次ぐ時は必ず相手のビール壜から注いでいる。ビール壜の持ち主が決まっているのだ。訊くと、こうすれば自分が何本呑んだか分かっていいのだという。空になったビール壜はそれぞれの椅子の後ろに並べいた。
郭さんは刑務所の刑務官、顧さんは高校の英語教師、謝さんは中国シェアNo. 1 のMP3プレーヤーメーカー愛国者(ブランド名 aigo)の営業マン、張さんは旅行代理店のアレンジャー。よく食べよく喋る明るい仲間達だった。
食後は于くんの友人達と分かれて前海 (Qianhai) に移動する。前海はその周囲にバーが500軒あるといわれている大きな池だ。前海の畔のディスコ「甲丁坊」に入る。何十年ぶりのディスコだろうか、それでも体がリズムに乗ることを覚えていて中国の若い人たちに交じってずいぶん汗をかいた。音楽がラップなのが気に入らなかったが、これも初体験、まさか北京でラップに乗るとは……。 飲み物のビールはグラスがついてこない、ラッパ飲だ。気がついたら時間は深夜の2時になっている。タクシーで吴さんを家の前まで送る。吴さんは携帯電話で父親と口論しながら最後までつきあってくれた。