2007.11.08 ソウル(昌徳宮、帰国)
2007年11月8日 昌徳宮、帰国
八時起床。快晴。シャワーを浴びて十時半チェックアウト。チェックアウトするときにホテルから仁川国際空港までのタクシー料金と所要時間を訊いた。80,000Won(約11,360円)+高速料金でおおよそ一時間かかるという。ホテルが用意しているチャーターの車ならホテルまで迎えに来て空港までの高速料金を含めて 70,000Won(約9,940円)だというので、三時に迎えに来てもらえるように予約し、荷物を預けてホテルを出る。
ホテル近くの食堂で朝昼を兼ねてブランチ。全く言葉が通じない。女将さんらしい人が勝手に何か言って奧にオーダーしている。勘定をする時に何という名前の料理なのか身振り手振り、尋ねてみたら、ウゴチタンという名前の味噌汁のようなものでチゲではないらしい。5,000Won(約710円)。
レストランの前の交差点を渡り、直ぐに始まる昌慶宮(チャンギョングン)の長い塀に沿って十五分ほど歩くと昌徳宮(チャンドックン)の敦化門(トナムン)の前に出る。
昌徳宮は太宗(テジョン)5年(1405年)に正宮である景福宮(キョンボックン)に次いで二番目に建てられた朝鮮時代の王宮。豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592–1598)で焼失したが、光海君(クァンヘグン)時代(1608–1623)に再建され最も長い期間実質的な朝鮮の正宮として使われた。世界文化遺産に指定されている。入園料 15,000Won(約2,130円)。昌徳宮へは正門の敦化門(トナムン)から入る。以下、建造物の説明は韓国文化財庁昌徳宮管理所発行のパンフレットから引用している。
敦化門は太宗(テジョン)12年(1412年)に初めて建てられ光海君元年(1609年)に再建されている。現在残っている宮殿の正門の中で最も歴史が古い。普段は言語別のガイドに従って見学することになっているらしいが、この日は自由に歩き回れる日だと入り口の案内板にあった。日本語のガイドについて回れば要所要所の歴史的な背景や建物の役割などの説明を聞くことができるのだろうが、週に一日の自由に回れる日というのも良かったのかも知れない。
錦川橋(クムチョンギョ)に立つと正面が進善門(チンソンムン)。錦川橋は太宗 11 年(1411年)に作られたソウルに残っている最も歴史が古い石橋の一つ。宮殿に入る際に橋(川)を渡るのは北京の故宮も同じ。風水の影響だという説明もある。
進善門を入ると回廊で囲まれた仁政殿(インジョンジョン)の前庭にあたる広場に出る。
仁政門は奧に見える仁政殿の正門で仁政殿(インジョンジョン)と一緒に建てられた。火災で焼失したが純祖(スンジョ)3年(1803年)に再建され現在に至っている。国宝に指定されている。
仁政門を入ると正面が仁政殿(インジョンジョン)。国宝に指定されている。昌徳宮で最高位とされる建造物で臣下の礼、外国使臣の接見など、王が公式行事を行った建物。太宗5年(1405年)に昌徳宮が建造されるときに建てられた。仁政殿は何度か火災で焼失しているが現在のものは純粗(スンジョ)4年(1804年)に再建されたもの。
仁政殿を右手から、回廊に付けられた小さな門をくぐると宣政門(ソンジョンムン)の前に出る。
宣政門の奧が世祖(セジョ)7年(1461年)に創建された王の執務室、宣政殿(ソンジョンジョン)。何度か焼失しているが仁祖(インジョ)25年(1647年)に再建されて現在に至っている。宣政殿は現在の宮殿に残っている唯一の青瓦の建物。
宣政門の右隣が煕政殿(ヒジョンダン)。創建当初は王の寝殿として使われていたが後に王の執務室として使われたこともあった。本来の煕政殿は1917年に焼失しており、現在の建物は1920年に景福宮(キョンボックン)の王の寝殿だった康寧殿(カンニョンジョン)を移築したもの。
煕政殿の裏に回ると王妃の寝殿、大造殿(テジョジョン)がある。創建時の大造殿も1917年に焼失しており、現在の建物は1920年に景福宮の王妃の寝殿だった交泰殿(キョテジョン)を移築したもの。
大造殿の裏に回り込むと大造殿と景薫閣(キョンフンガク)、水刺間(スラッカン)と呼ばれる厨房に囲まれた裏庭に出る。景薫閣では昔のオンドルの構造を見ることができるようだがこの日は見学できなかった。
景薫閣の前の石段の先に煕政殿と大造殿一帯を囲む石塀に付けられた通用門のようなものがあった。通用門の向こうは後苑(フウォン)に続いているようだ。
大造殿、煕政殿と戻って粛章門から続く道に出ると誠正閣(ソンジョンガク)の前に出る。誠正閣は世子(セジャ)が学者たちから儒教を学んだ建物。
誠正閣の先を左に折れて緩い坂道を登ってゆくと後苑(フウォン)に向かう。
緩い上りになっている道を進んでゆくと急に緑が多くなり紅葉も鮮やか。
ここからしばらくは道なりに色づき始めた緑の中を奥に進む。
色づいた木立と散り敷く落ち葉に惹かれて後苑三叉を左に入ると大都会の真ん中にいるとは思えない道が続く。
芙蓉池(フヨンジ)や宙合樓(チュハヌム)の一帯を見落として、演慶堂(ヨンキョンダン)の前に出てしまったと気づいたのは帰国してからだった。この辺りから案内図を見ずに歩いた結果だ。演慶堂(ヨンキョンダン)は純祖(スンジョ)28年(1828年)に孝明世子(ヒョミョンセジャ)が建てたもの。宮中の建物でありながら彩色を施さず、男性が生活する舎廊棟(サランチェ)と女性が生活する母屋(アンチェ)の、男女別のスペースに仕切られ朝鮮時代の貴族の邸宅を思わせる。他に本を保管していた善香斎(ソンヒャンジェ)、行廊棟(ヘンナンチェ)などがある。
長楽門をくぐって最初の印象は簡素、質素。今まで見てきた彩色された建物とは違ってここの建物は彩色されていない。
長楽門を入るときは見えなかったがすぐに舎廊棟(サランチェ)に続く長暘門がある。
長暘門を入ると正面に舎廊棟(サランチェ)、その右手に本を保管する書庫としての役割と共に、図書室としても使われていた善香斎(ソンヒャンジェ)がある。長暘門の両側にも行廊棟(ヘンナンチェ)が並ぶ。
演慶堂を出ると紅葉を水面に落とした小さな池がある。カメラを抱えた人達がファインダーを覗きながら池の周りを右往左往。
小さな池の先にもう一つあるのが、いつ造られたか定かでないと言われている愛蓮池(エリョンジ)。池の端の愛蓮亭(エリョンジョン)は粛宗(スクチョン)18年(1692年)に建てられたもの。
愛蓮池の脇にある小さな石造のくぐり戸のような不老門(プルロムン)をくぐって更に奧に向かう。直ぐ左手に見えてくるのが山あいに造られた觀纜池(クァルラムジ)と觀纜亭(クァルラムジョン)。ここも撮影スポットでデジタル一眼レフカメラと大型の三脚を手にした一軍が暫く陣取っていた。中には中型カメラの名機ハッセルブラッドを構えている人もいた。
後苑(フウォン)の一番北奥にあるのが玉流川(オンニュチョン)の一帯。
仁祖(インジョ)14年(1636年)、この谷に流れ落ちる小川を逍遙嚴(ソヨアム)という岩の上に切ったU字溝を流れるようにした。ここで、王が臣下達と共に流れてきた杯を前に詩を詠んで楽しんだと言われている。
後は出口の金虎門(クモムン)を目指して昌徳宮の一番西端の道を南下する。十一時三十分頃に入園して二時間、ソウルの紅葉を堪能することができた。
十三時四十五分頃には荷物を預けたホテルに到着。荷物を受け取り三時にホテルに迎えに来てくれることになっているチャーター車をキャンセル。空港まで電車で行くことにして鍾路三街駅まで歩く。宗廟市民公園の中も外も老老男男(若モ女モイナイ)で溢れかえっている。歩道には屋台が並び老人達をかき分けないと進めないくらいだ。そう、その人数のと殆どが男性なのだ。切符を買って入った駅構内も同様で階段に座り込んだり通路にたむろしたりしている老人で溢れている。彼らはすることがなくてこうしているように見える。地下鉄五号線、A'REX と乗り継いで仁川国際空港に四時頃に到着。直ぐにチェックイン、出国手続きを済ませる。手荷物検査では靴を脱がされた。免税店で唐辛子チョコレートだけ買い出発ゲート前で出発まで PC に入れてきた映画を見て時間をつぶす。搭乗便は KE705便。20:50発。出発は少し遅れたが到着はほぼ予定通り 21:00。成田空港では第一ターミナルに着いていることを忘れて、入国審査カウンターの雰囲気がずいぶん違うナなどとボケていた。機内預け荷物を受け取ってから京成線乗り場まで、第二ターミナルよりも近いようだ。二十三時三十分頃帰宅。
【訪問先一覧地図】