2007.11.06 ソウル(Sandoll、火山高、東学)
2007年11月6日 Sandoll、火山高、東学
七時起床。窓のカーテンを引くと外は快晴。
シャワーを浴びて散歩に出る。こちらに来る前に言われていたほど空気は冷たくない。昌徳宮路で見つけた小さなスーパーマーケットで朝食代わりにリンゴを一個買う。1,500WON(約213円)。
走る車も歩道ですれ違う人も少ない昌徳宮路は黄色くなったイチョウの葉が散り始めている。
昌徳宮路が鍾路にぶつかったところで右に曲がると宗廟市民公園。公園の木々も黄葉が始まっている。
鍾路に近いところにベンチに座っている銅像がある。側の石碑に『横歩 廉想渉 像』とある。廉想渉は韓国の小説家で横歩は号、本名は尚燮。1920年代から1950年代にかけて活躍した人で、韓国の自然主義文学の祖と言われているらしい。
宗廟市民公園の一番奥にもう一つ銅像があった。台座に『月南李商在先生像』とはめ込んである。何処で切って読めばいいんだ? Web で調べてみた。李商在(イ・サンジェ 1850.10.26–1927.3.29)は大韓帝国の政治家で開化派運動家、日本統治時代の朝鮮の教育者・青年運動家、独立運動家であり政治家、言論人。忠清南道舒川郡出身で、高麗の学者李穡の子孫。月南は雅号。1898年に安昌浩(アン・チャンホ)、尹致昊(ユン・チホ)、李承晩(イ・スンマン)と共に鐘路で万民共同会を開催した人。
台北や盤錦の公園では将棋が盛んだったが、宗廟市民公園では数カ所で囲碁に興じていた。
いったんホテルに戻り徒歩で Sandoll 社へ。晶慶宮路(チャンギョングンロ)を北にソウル医科大学の長い煉瓦塀に沿って歩いたがおよそ十五分で Sandoll 社着いた。ドアチャイムを鳴らしたのが丁度約束の十時。営業チームは既に知った顔ばかりなので直ぐに会議室で打ち合わせに入る。打ち合わせはランチタイムを除いて午前中一杯と午後三時過ぎまで続いたが、幾つか結論を見ることができた。営業との打ち合わせが終わった後はフォントデザインチームの部屋を訪問。お土産の「ユックモック」が韓国にないせいか大好評だった。五月の Sandoll 社訪問以降、新人フォントデザイナーが五人入社していた。これではマネージャの Lee Ho さんも大変だろう。
夕方までの時間はフォントデザインチーム全メンバー十四人とフリートーキング。五月の訪問時に街頭でコメディアンの相手をした映像を見せられた。Goun さんが CD に焼いてくれた。韓国の全国ネットで流れたそうでいい記念になるだろう。彼らは私の経歴を知りたがったり、どうしたら良いタイプフェイス・デザイナーになれるのかと言った、素朴だが答えにくい質問への返事を探したり、彼らの熱い思いと視線を受け止めるには体力が要る。
フリートーキングも終わり終業時刻も過ぎて、営業チーム、フォントデザインチームの有志達と徒歩でテハンノ西側にある焼肉店「火山高」に向かう。外に出ると外気の冷たさに首をすくめる。
ここは Sandoll の人たちがよく利用するというソウルの居酒屋。店内のストーブには火が入っていた。
壁に掛かっているのはメニューのようだが縦書きハングルで、何故か「酒」だけが漢字だ。
柔らかくさっぱりした牛カルビは気をつけないと食べ過ぎてしまう。皿ごとのお代わりが何度も続き、食べるのに忙しくてゆっくり酒を飲むという雰囲気ではない。ソウルの人達は毎日焼き肉を食べているのかと思っていたが、聞いてみるとそうでもないらしい。
もう少しマッコリやトントンジュを呑もうと「火山高」から「東学」に席を移す。「東学」の店内は韓国の田舎家風で、温々している床に座って今年六月に入社したという二人の新人 Yoon Song-Yeon さん、Song Mi-Eon さんを相手に、茶碗に注がれる韓国の濁り酒を楽しんだ。
Son さんと Song さんが同席したがこの二人の名前の聞き取りテストで肴にされてしまった。何度聞き直しても、ついに Son と Song を聞き分けることができなかった。テーブルの上はマッコリやトントンジュの肴になったチゲ、三枚肉、韓国豆腐が並ぶ。
韓国の珍味と言われるホンオフェ(エイ)は豚肉をキムチで包むとサマプになる。ホンオフェのアンモニア臭はクサヤに通じるものがあり癖になる。
瓶で供されるトントンジュはマッコリよりもまろやか。気をつけていても呑み過ぎる。
「東学」を出たのは十時、歩いてホテルに戻る。途中でニリットル入りのペットボトルの水を買う。1,000WON(約142円)。メールと写真の整理、ブログをアップデートして十二時就寝。
【訪問先一覧地図】