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2008.04.22_1 マカオ(旧跡巡り)

2008年4月22日 地方自治局、セナド広場、聖ドミニコ教会 他

9時半過ぎに Cafe Deco に下りていったら日本チームの若いメンバー達は来ていた。昨夜もカジノで遅くまで活躍したと聞いたが、その割に朝が早いのは良い成果が上がったからなのだろう。

若手チーム諸氏。

ノンビリと朝食を楽しんだ後、ホテルからのシャトルバスでマカオ市内見物に向かう。フェリー・ターミナルまで行き、昨日予行演習したようにここでバスを乗り換えてリスボアまで移動。リスボアから一度歩いたことのある南湾大馬路に沿って歩く。
陸軍倶楽部横の公園から白い制服を着た大勢の女子中学生が出てきた。公園の後に学校があるようだ。親と一緒に歩く姿もあるので昼食でも食べに自宅に帰るのだろう。

女子中学生達。
通りかかった路線バスはベンツ。右の赤い扉は図書館。

新馬路を右に折れてセナド広場の向かいにある古い教会のような「地方自治局(民政総署/世界遺産)」に向かう。正面の階段を上りきると小さな中庭に出た。

階段正面のレリーフ。
正面階段壁にはめ込まれたレリーフ。
中庭正面。
中庭。
2階への階段のタイル。

正面階段を上り中庭に入ると、両側に石のベンチを備えたピットがあった。ベンチに座ると目の前にタイルに描かれた3枚の地図が並んでいる。マカオの地図のようだ。

真ん中に教会堂のような建物が描かれている。
中央に大砲らしい円筒が3つ見える。モンテ砦らしい。
帆船が行き交うのは内港。

地方自治局は嘗てのマカオ市政庁で1784年に建てられ、現在の形になったのは1874年。以来、外観・内装ともほとんど変わっていない。
近世ヨーロッパの古きよき伝統が残る建物だ。壁のタイル画を比較すると1888年についていた屋根が1999年にはなくなっている。

地方自治局(1888年)
地方自治局(1999年)

2階は図書館。17世紀から蒐集されてきた書籍類はポルトガルがアフリカ・東アジアに進出したことを示す貴重なものばかりだそうだ。 観光客でも入館・閲覧することができるが図書館はパス。

地方自治局。

地方自治局を出て目の前の新馬路を渡るとセナド広場(世界遺産)で、マカオ一の繁華街、マカオ観光の拠点だ。きれいな波模様の石畳が奧まで続く。

セナド広場とマカオ観光局。
セナド広場の路地。
セナド広場の奧に地方自治局が見える。
九如坊がある路地。
ポルトガル料理を食べた九如坊。

新馬路からセナド広場を奥に進み突き当りにあるのが1587年に建てられた聖ドミニコ教会(世界遺産)で、中国で最も古い教会の一つに数えられている。

聖ドミニコ教会。

セナド広場を抜けてモンテ砦を目指す。

街を往く人は既に夏姿。

ポルトガル領事館の真向かいに建つ建物が気になって近づいてみた。
ドアには「李治大医師」と標識が掛かっているたが、これが病院なのか医師の家なのか分からなかった。

李治大医師。

急な坂道が続く。歩いていると日差しはないが汗ばんでくる。

急坂の先にモンテ砦があった。

坂道を上りきると石垣のモンテ砦(世界遺産)が見えて来た。

モンテ砦。
モンテ砦入り口。

砦の入り口を入ると中程に瀟洒なマカオ博物館が建っている。
博物館の前に設けられた説明板には『砦の建設は1617年から始まり1926年に完成した。以来、1998年にマカオ博物館に転用されるまでは知事公館、軍の兵舎そして天文台として使われてきた。』とある。

マカオ博物館。

マカオ博物館には入館せず中を通り抜ける。建物は3階建てになっていて、エスカレーターで一番下まで下りてゆくと聖ポール天主堂跡(世界遺産)の前に出た。
聖ポール天主堂は1637年に建てられたキリスト教会で、当時はマカオのキリスト教布教の中心だった。3度の火災にあい1835 年1月に起きた3回目の火災で、現在見るファザードのみを残して焼け落ちてしまった。残った石造りのファザードには精密な彫刻が施されており、300年以上の年月を経た現在も鮮明にその姿を残している。
ファザードには多くの菊の花が彫り込まれている。これは、キリシタン迫害を逃れて日本からマカオに渡って来た日本人の手によるもの。日本からの「キリシタン難民」が当時のマカオで教会建設の重要な担い手になっていた証だ。

聖ポール天主堂跡。
聖ポール天主堂ファサードの裏側は右手の階段から中段まで上れる。
ファサード裏中段から天主教芸術博物館を見下ろす。

天主教芸術博物館には右手の階段から下りてゆく。館内にはこの教会の歴史や典礼行事で使用された燭台、聖杯、さらに火災の際に唯一焼け残った「聖ミカエル像」などが展示されている。古いお墓と地下聖堂も復元されている。入り口に掲げられた殉教者名を記したプレートには日本人の名前も見える。

ファサード裏中段からのイエズス会記念広場。
ファサード裏中段からの旧城壁とナーチャ廟(右下)。

聖ポール天主堂跡を回り込むと旧城壁とナーチャ廟(世界遺産)の前に出る。この城壁はポルトガルが16世紀後半に築いたもので、世界遺産に指定されている。

旧城壁とナーチャ廟。

ナーチャ廟は中国の神童「ナーチャ」を祀っている。この日も大きな願い事があるのだろう何時までも祈りを捧げている女性がいた。

ナーチャ廟。

ナーチャ廟の左手に旧城壁に空いた通路がある。その通路横に掲げられた白い標識に “CALÇADA DE S. FRANCISCO XAVIER” とある。ここが聖フランシスコ・ザビエル通りなのか。

旧城壁に掲げられた「聖フランシスコ・ザビエルの歩道」の標識。

旧城壁に城壁を抜ける通用口が空いている。何か特別な物があるのか入ってみた。

旧城壁の裏側と通路。奧は聖ポール天主堂跡の裏側。
通路の奥は小さな民家が並ぶだけだった。

ナーチャ廟前の急な坂道を下り、高園街を経て聖アントニオ教会(世界遺産)の前に出る。この教会の建設は1558年に始まっておりマカオで最も古い教会のひとつに数えられている。喉が渇いたので小さなコンビニエンス・ストアで200ml ペットボトルの水を一本購入、3香港ドル(約41円)。

聖アントニオ教会。

時々、建物の隙間に見えるグランド・リスボアを目指して紺色の太い線画で飾られた石畳の道を抜けてゆく。

線画で飾られた石畳。
郵便ポスト。中国大陸の郵便ポストは緑色。

カテドラル(文化遺産)の前に出た。ここには20日に来たところだ。
カテドラルの歴史は古く1576年に建てられた時は木造だったが、度重なる台風などの風雨で損傷が激しくなったため、1849年に現在の規模に改築され、1937年の再改築で現在の形になった。

カテドラル。
カテドラル横の建物もきれいだが謂われが分からない。

ここまで来れば後は知った道だ。約翰四世大馬路に出て横丁に入り “MARGARET's CAFE e NATA”(エッグ・タルトで有名らしい)で一息入れる。先ず商品ケースを見て欲しいものを決める。次にレジでその代金を支払いレシート受け取る。商品ケースの脇に立っているお姐さんにレシートを渡して品物を受け取る。持って帰るのかここで食べるのか聞いてくれた。ハム入りロールパンを一つ買って店の外に並ぶテーブルでパクつく。7香港ドル(約98円)。デニッシュ類が美味しいのはこの店のパンが美味しいからだろう。

MARGARET's CAFE e NATA。

リスボア・ホテル前から無料のシャトルバスでフェリー・ターミナルに着くと雨がふってきた。

雨のフェリー・ターミナル。

やってきたベネチアンホテルのシャトルバスでホテルに戻る。ホテルに着く頃には雨もあがっていた。5時過ぎホテルに到着。長い一日だった。夕食は3階のフードコートで済ませる。ファンタ・オレンジジュース付きの中華定食39香港ドル(約546円)。

今日の夕食。野菜炒めと牛肉の煮込み。

明朝はチェックアウトなので、食後はウロウロしないで部屋に戻り荷物の整理と荷造り。その後はシャワーを浴びて9時半にはベッドに入り直ぐに寝ついてしまった。
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