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2008.02.13 北京(東交民巷、凌飛籤名設計中心)

2008年2月13日 東交民巷、凌飛籤名設計中心

六時起床。快晴。メールをチェック。Windows Update の通知が入っていたのでアップデートのついでに PC をメンテナンス。十時過ぎに北京支社に電話、Judith さんの在籍を確認して支社に向かう。日差しは明るいが吹く風は冷たい。

崇文門外大街の歩道

崇文門駅から地下鉄に乗る。地下鉄の改札口には未だに使われていない自動改札機がビニールカバーと埃をを被って並んでいる。長椿街駅で下車。北京支社が入っている金隈大厦の一階フロアにも旧正月を迎える飾りが鎮座していた。

春節飾り。

Judith さんがランチに復興門内大街の「京味樓(伝統北京料理店)」に連れて行ってくれた。「京味樓」の入り口には崇文門の「老北京炸醤麺大王」の前に立っている人形と同じような服装をした、こちらは鳥かごを掲げている人形が立っている。今日が旧正月明けの仕事始めと言うことで、店内は職場単位で昼食に来ている人たちでごった返している。伝統北京料理なるもの、后海の「九門小吃」でも食べているが驚くほど美味という料理ではない。

京味樓入り口。
Judithさん。

后海の「九門小吃」といい崇文門の「老北京炸醤麺大王」といい、そしてこの「京味樓」といい、今、北京では老北京料理がブームになっている。食後は北京でも最大の道路の一つ、復興門内大街をぶらぶると北京支社に戻る。「京味樓」の辺りは中国人民銀行本店を始め多数の銀行があり、銀行街と呼ばれている。

門内大街(西を見る)。
復興門内大街に面して建つ左が「中国人民銀行本店」。
中央分離帯の〈金花〉と〈阿鹏〉像。
彫刻の説明碑。〈二00三年〉が面白い。

「金花」と「阿鹏」は中国雲南省白族の女性と男性の伝統的な名前。1959年に公開された映画『五朵金花』の主人公たちの名前でもある。
復興門内大街の東は天安門の前に続き、西長安街と名前が変わる北京市を東西に走る幹線の一つ。北京支社に戻って、新しい営業マネージャーの Ben さんに挨拶、北京のグラフィックデザイン事情や印刷物発注について話を聞いた。Ben さんの説明を聞いていて、日本では想像できない北京の状況を理解できなかった。例えば北京で商品カタログなどの印刷物を作りたいときは HP、Epson、Lexmark などのプリンターメーカーに連絡するのだと言う。聞き違いかと思って聞き直したが聞き違いではなかった。こうした出力機(プリンター)メーカーから印刷会社を紹介してもらって発注するらしい。特定の印刷会社とつきあうという慣習はないようだ。グラフィックデザインの仕事は上海に発注することが多いとも言っていた。

Benさん。

東京に電話を入れたりメールをチェックしたりで四時過ぎまで事務所で過ごし、Judith さんにランチのお礼を言って北京支店を後にする。地下鉄二号線で長椿街駅から前門に移動。長椿街駅のプラットホームで Adidas の北京オリンピック協賛広告を見つけた。「与胡佳一起 2008 没有不可能(飛び込み選手と一緒なら2008年に不可能はない)」とある。インパクトのあるグラフィックだ。飛び込みの他にサッカー、女子バスケットボール、女子バレーボールなどメダルが有望な競技バージョンがあるようだ。

Adidasの北京オリンピック協賛ポスター。
地下鉄二号線車内。
吊り革が赤いのはこの広告。

地下鉄を前門駅で下車。正陽門を背中に天安門広場を横切り広場東側路を北に進んで東交民巷を右に入る。

天安門広場。

東交民巷に入ると最高人民法院や北京市公安局、北京警察博物館などが並んでいる。

最高人民法院。
北京警察博物館。

東交民巷は 1900年の義和団事件の時に日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、オーストリア、イタリア、ロシア、フランスの大公使館員らが五十五日間立てこもったところ。

東交民巷。
東交民巷の歩道。

東交民巷の周囲には未だ細い露地が残っている。入って行くといずれ取り壊されるのだろう、誰もいない胡同に入り込んでゆく。

人が暮らす気配がない路地。
洗濯物が干してあった。
消防器材店。
胡同の直ぐ近くに最高人民法院がある。

再開発を待つ胡同を出て正漢路を横切ると、すぐ左手奥に「東交民巷飯店写字楼」がある。師鋒くんの事務所を訪問する約束ができたので地図を片手にここまでやってきたわけだ。

東交民巷飯店写字楼。

この建物はその殆どが警察・公安関係が利用しているそうで、民間では師鋒くんの「北京凌飛籤名設計中心」ほか二社が入っているだけだという。家賃は一ヶ月 5,800 元(約 96,000円)だそうだ。

この部屋を中国茶協会とシェアしている師鋒くん。

師鋒くんとの再会は、二ヶ月ほど前から彼が手伝っているという「瑤楽茶」の話に始終してしまった。このお茶の効能を色々と聞かされ、現物を飲ませてももらったが甜茶のような甘さがあり飲みやすいお茶だった。

瑤楽茶。

彼自身のビジネス「北京凌飛籤名設計中心」はそれ程大きな商売にはなっていないと言う。瑤楽茶のビジネスを手伝っているというが、何をしているのか尋ねたらプロモーションを任されているという。彼は自分でも認識していたがビジネスマンではないのでプロモーションと言われても何から手をつけて良いのか毎日模索していると漏らしていた。

師鋒くん。

師鋒くんと一緒に崇文門外大街で夕食をとことにして事務所を出る。崇文門外大街までは徒歩でも十五分くらい。彼の事務所の周囲には古い建物が沢山残っており、かつての日本の正金銀行跡、日本公使館跡、フランス郵政局跡、東交民巷天主堂などが見られる。崇文門からなら歩いて行ける距離なので明るい時間に再訪したい。夕食は「三六三酒桜」で。ウエイトレスの姜(Jiang)さんがこまめに気を配ってくれた。「小糊涂圣」で師鋒くんの前途を祝う。

小糊涂圣。

今年三十歳になる師鋒くん、恋人との出会いや現在の仕事、結婚と将来の仕事のことなど、酒の力も手伝ったのかいつまでも語り足らないようだった。
訪問先一覧地図

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