2005.02.28-03.01: 北京(雍和宮)
2005年2月28日 成田から北京へ
全国情報技術標準化技術委員会 (NITS) 訪問のために北京行訪問。GB18030関連の仕事を引き継いだ松田さんも同行している。17:30 成田国際空港発 NH955便 → 20:30 北京首都国際空港着。到着ロビー出口の正面で待つ手配ずみの車のドライバーはすぐに見つかった。空港からホテルまでは約1時間。宿泊は今までに何度か利用している崇文門駅交差点そばの北京新世界万怡酒店(New World Courtyard Beijing/北京市崇文門区崇文門外街3-18)。チェックインの時にちょっとしたトラブル。こちらは3泊の予約が入っていると思っているのに、2泊と聞いているという。もう1泊したいからと部屋を頼んがのだがあいにく空き部屋がないとのこと。押し問答をしていてもらちがあかないので明日の朝にでも会社の北京事業所に電話して確認することにする。
2005年3月1日 雍和宮
ホテルのダイニングルームで朝食をとっていると昨夜連絡がとれなかった上海のビルさんがやってきた。朝食をとりながら今日、明日の予定を確認。NITS 訪問までの時間を利用して雍和宮 (Yonghe Gong) 見学を薦められる。2003年7月にも見学に来ているが、早速手配してある車で雍和宮に向かう。雍和宮は NITS が入っている建物の裏手にある北京最大のチベット仏教(ラマ教)の寺院群。車のドライバー氏には 10時45 分に同じ門の前まで車に迎えに来てもらうことにして中に入る。
入場料は 25元(約350円)。昨夜からチラリラと小雪が舞っている。雍和門までの参道端には解けきれない雪が残っている。雍和宮は6万6,400平方メートルの敷地を持ち、南北に昭泰門、雍和門、四体碑亭、雍和宮と並び一番奥に万福閣ががある。
ここは清代の康煕33年(1694年)に建てられ清代第五代皇帝雍正帝が即位前に住まいとした所で「雍親王府」と呼ばれていた。雍正帝即位後はここが仮御所とされ「雍和宮」と改名され、その後、清朝の第六代皇帝乾隆帝が乾隆9(1744) 年にチベット族やモンゴル族に対する懐柔策の一環としてここをチベット仏教(ラマ教)寺院として寄進し今日に至っている。
30cm 以上ある線香をもって熱心に参拝する人達の中には若い人の姿も多く見られる。門の前は線香の青い煙が煙いくらいに立ちのぼっている。門の上には極彩色の扁額が見える。
雍和宮にある全ての扁額は左からモンゴル文字、チベット文字、漢字、満州文字の四カ国の文字で書かれている。
万福閣の中心には一本の白檀木で造られた地上18m、地下8mの彌勒像が立っている。中国最大の木仏らしい。雍和宮内のあちらこちらにかき寄せられた雪が小さな山になって残っているが、皆うっすらとピンク色をしているのは何故だろう? 北京市街地で見かけた残り雪も同じようにピンク色をしていた。黄砂を含んでいるのなら黄色くなりそうなものだが、確かめることができなかった。
万福閣の左側にある建物(だったと思うがその建物の名前を記録しなかった)に入ると様々なラマ教の仏具が展示されている。入口を入って左回りに展示ケースを覗きながら奥に進む。暗い天井近くに浮かぶように僧侶が座っているのに気づきギョッとする。内部は展示ケースのみに照明が当てられて暗いので中空にスポットライトを受けて浮かんでいるように見える。雍和宮にの縁の僧侶像のようだが説明板が暗い中でよく見えない。
この他にも多くのチベット仏教像がガラスケースに納められて並んでいる。以下に何点か紹介するが説明板は読み取れなかったので省略。
これらの仏像の他にもたくさんの陳列物があったが、車が迎えに来る時間も近づいたので雍和宮を出る。道路を挟んだ正門前は紅く塗られた土産物屋が並んでいるがどの店も閑散としている。