5.4 騒音予測
この記事はAESによって2020年に公表されたイベント騒音と音響暴露についての文献(Technical Document),"Understanding and Managing Sound Exposure and Noise Pollution at Outdoor Events"についての和訳やこの文献を輪読する勉強会で得た知見などをまとめたものです。
Overviewなど各章の構成と概説については初回の記事をご覧ください。
前回の記事はこちら。
5.4 Noise prediction
環境騒音伝搬モデルは古くから存在し、気象学や海洋音響学で広く使用されています。
ただし、このレポートでは特別な騒音伝播モデルが必要です。
個々の騒音がインコヒーレントである標準的な騒音解析とは異なり、屋外エンターテイメントイベントの騒音は、ほぼコヒーレントな信号を出力する複数のスピーカから発生するものです。
その結果、受音位置での騒音レベルを正確に予測するためには、(単なるエネルギー加算ではなく)複雑な加算が必要となります。
最近までこのような目的のために一般に利用可能なソフトウェアは存在しませんでした。
5.4.1 Modeling approaches
ドイツのスピーカ・アンプメーカー のd&b audiotechnik [312]は、業界標準の騒音モデリングソフトウエア SoundPLAN [313]の開発元と提携し、このようなソフトウエアの提供に乗り出しました。
その目的は、システム設計ソフトウェアであるArrayCalc [314]とGoogle Earth [315]の地形データをリンクさせることで、音響システム設計者と環境コンサルタントの間の溝を埋めることでした。
この研究は無償で利用可能なソフトウェアNoizCalc [316-318]に結実しました。
NoizCalcには、ISO 9613-2とNord2000伝搬モデルを修正したモデルが含まれています。
ISO 9613-2は環境音響で最も一般的に使用されているモデルです。
このモデルは経験的に導き出されたもので、一般的に1km以内の範囲で妥当な精度な結果が得られるとされています。
ISOモデルは、(騒音が最も伝搬しやすい気象条件を用いて)最悪の場合の騒音を予測することを目的としています [317]。
一般にISO 9613-2は、以下の式を用いて騒音伝播を予測します。
$${L_{r} = L_{W} + D_{C} - A}$$
受音位置における騒音レベル$${L_{r}}$$ (dB)は、音源の音響パワーレベル$${L_{W}}$$ (dB)、音源の指向性係数$${D_{C}}$$(dB)、および音源から受音位置までの総減衰量$${A}$$ (dB)に基づいて計算されます。
ここでいう減衰の要因は、幾何学的発散、大気吸収、グラウンドエフェクト、遮蔽物による減衰、およびその他の減衰(木の葉など)です。
Nord2000はISO 9613-2よりも高度で、グラウンドエフェクト、平面での反射、散乱をより正確にモデル化しています。
これにより、音源から3kmまでの範囲で妥当な精度の騒音予測が可能になります。
Nord2000の計算は、次の式[317]を用いて行われます。
$$
L_{r} = L_{W} + \Delta L_{d} + \Delta L_{a} + \Delta L_{t} + \Delta L_{s} + \Delta L_{re}
$$
ここで、受音位置における騒音レベル$${L_{r}}$$(dB)は、音源の音響パワーレベル(音源の指向性補正を含む)$${ L_{W} }$$(dB)、幾何学的な拡がり$${\Delta L_{d}}$$、空気吸収$${\Delta L_{a}}$$、グラウンドエフェクトと遮蔽物による影響\Delta L_{t}、散乱$${\Delta L_{s}}$$、障害物からの反射による減衰$${\Delta L_{re}}$$に基づいて計算されます(単位はdB)。
どちらの規格でもインコヒーレントな音源を想定しているため、これに起因する特有の問題を克服するため、160Hz以下の周波数について波高加算を行なっています。
より高い周波数は、コヒーレントな干渉がスペクトルのこの領域ではあまり問題にならないため、通常のエネルギー加算を適用しています[317]。
NoizCalcの開発者は、システム設計者が最悪の場合の想定だけでなく、イベント中に発生する可能性のある他の気象条件についても騒音伝搬を調査し、既知の気象条件による騒音公害を抑えるために現場で迅速な調整を行えるようにすることを推奨しています。
システムオペレーターや技術者がこの部分でより適切な準備ができていればいるほど、イベントはスムーズに実行でき、必要なソリューションを提供することができます[317]。
NoizCalcで使用されている環境騒音伝搬モデルは、3つの野外音楽フェスティバルの測定値を用いて検証しています[318]。
この検証では、イベントの正確な気象条件がモデルを実行する前に分かっていたため(シミュレーションをイベント後に行ったため)、実際の運用とは少し異なる方法で行われています。
全体としてモデルは測定値とよく一致しており、概して安全側に偏っていることが示されました(現実と比較して騒音レベルが1dB過大評価されたようです)。
このモデルの信頼性を向上させるためには、イベント前の予測値を測定値と比較するためのさらなる研究が必要です。
というのも、騒音マネジメントの実際の現場では、イベント後にモデルを調整することができないからです。
d&bが提供するサウンドシステムデザインとノイズコントロールソフトウェアの相互連携は、大規模な屋外イベントのサウンドシステムデザイン全体において正しい方向への一歩となるはずです。
これは環境騒音予測機能を、一般的にコヒーレントなソースを使用するエンターテイメントイベントの現実に合わせるものです。
しかしながら、大規模な複数ステージのフェスティバルでは、このようなソフトウェアはまだ限定的な使用しかできません。
なぜなら、多数の音響放射源(ステージ、テント、建物など)を扱うことができないため、特定の管轄区域(オランダのロッテルダムなど)では騒音公害管理計画の根拠として認められていないからです。
現在利用可能な商用ソフトウェアパッケージ)無償で利用可能か否かを問わず)は、密集地における低周波伝搬を正確に予測するのにかなりの困難を伴うことが、一部の専門家によって判明しています。
Rocket Science社やSPLtrack社(本レポートの寄稿者のうち2名が在籍)は、このような理由から独自のモデリングソフトウェアを開発し、このような場合により正確な予測を提供することを示しています[319]。
一般的に、Nord2000やISO 9613-2に基づく騒音伝搬モデルは、コヒーレントな音源からの干渉や、大型の物体や 構造物からの反射や回折を十分に考慮できていないことが知られています。
Rocket Science社の報告書(利用可能なほとんどの音響伝搬モデリングアプローチを調査)では、低周波の騒音伝搬モデリングにはBEM(境界要素法)またはFDTD法(時間領域有限差分法)を検討することを推奨しています[319]。
SPLtrack社は、古典的な騒音モデリングを経験的データで補強し、モデルを継続的にアップデートしています。
これについては、後ほど詳しく説明します。
5.4.2 Meteorological effects
既存の騒音伝搬予測ソフトの予測精度がどの程度であったとしても、現在の方法では予測が困難な気象学的な影響もあります。
屋外イベントでの音響システムの運用に携わる人は、これらの潜在的な問題をよく理解しておく必要があります。
第一の主要な問題は、音の屈折です。
屈折は、音波が温度勾配(風や大勢の人など様々な要因による)に影響されることが原因です。
音速は気温に直接関係するため、音波が温度勾配にぶつかると、勾配のより低い方へと傾きます。これを図5.6に示します。
同様に、風による温度勾配による屈折を図5.7に示しています。
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大規模な屋外イベントでは、観客が密集して熱の発生源となることを考慮すると(特に、ヘッドライナーの演奏に多くの人が集まる午後)、イベント会場からの音を夜間の涼しい空気に向かって上昇させる、強い温度勾配が存在する可能性が高いといえます。
しかし、高度が上がるにつれて風速は一般的に地上よりも大きくなります[276]。
このため、(温度勾配に伴って)音が会場から離れた地面に向かって下降し、近隣の地域社会で強い騒音公害を引き起こす可能性があります。
騒音に関する苦情が発生し始めた場合(または監視装置が騒音レベルの上昇を検知した場合)、これが問題の原因となっている可能性があります。
しかしこの影響を改善するためには、現地で問題となる周波数帯域を下げる以外に何ができるかは判断が難しいところです。
この問題は、温度勾配がイベント中に変化する(場合によっては完全に逆転する)ことが定期的に観測されているということからも、さらに複雑であると考えられます。
ほとんどの騒音予測ソフトウェアでは、現在のところこれを考慮できていません。
さらに考慮すべきは、遠距離における低周波数の騒音伝搬です。
一般的に、遠距離場でスピーカアレイの音は球状に伝搬すると仮定されています(距離が2倍になるごとに-6dB)。
しかし風力発電機に関する研究[122]では、必ずしもそうではないことがわかっています。
この分野では、低周波数騒音は音源からの距離が200mを超えると、温度の逆転現象と低レベルジェットの複合効果により、円筒形伝搬(距離の2倍あたり-3dB、つまり線状音源)としてモデル化されます。
さらに、風力発電機からの騒音は地面の反射の影響を受けることが知られています。
これは騒音伝搬予測において補正値として近似的に適用することができます。
補正値は、どのガイドラインに従うか(それぞれデンマーク、スウェーデン、現地観測)によって、+1.5 dB、+3 dB、または+6 dBが使用されます[122]。
スウェーデンのガイドラインでは、特に63 Hzのオクターブ帯域に焦点が当てられており、これは音楽イベントから発生する低周波数騒音に直接関係しています。
(騒音の文脈においては)地面からの反射によるComb-Filteringは問題にならないことがほとんどです。
(風力発電機の規模で)伝搬距離800m、音源の高さ75m、マイクの高さ1.5mと仮定すると、最初のComb-Filtering(ファーストキャンセレーション)周波数は625Hzです。
(屋外イベントで使用されている程度に)音源の高さが低ければ、低周波数でのComb-Filteringの影響はさらに小さくなります。
このような影響から、風力発電騒音に関する専門家は、ある特定のシナリオでは、遠距離場において低周波数騒音の減衰が見られない可能性があると警告しています。
またイベント会場の地盤や周囲の構造物を伝わる振動による騒音の伝搬を考慮することも重要です。
これは(インフラ帯域を含む)低周波数の課題であり、音源から遠く離れた場所で予期せぬ問題を引き起こす可能性があります。
ある例では、ビルの設計者が安全性に問題がある低周波数振動がビルの基礎に到達しているとサウンドシステムのエンジニアに報告しています(非常に古いビルです)。
その結果、会場の構造上の問題を回避するために、サブウーファーシステムの帯域を制限し、レベルを少し下げなければなりませんでした。
これは大規模な屋外イベントではなかったものの、あまり議論されていない騒音の伝搬経路を示しています。
現在のところ、音楽による騒音に関するこの分野のガイダンスは公表されていませんが、BS5228-2 [321]では建設現場や 開けた場所での騒音・振動対策について特に取り上げています。
ただし屋外音楽イベントにおいて、地面や構造物からの騒音伝搬が深刻なリスクをもたらすかどうかは不明であり、さらなる調査が必要です。
最後に、あまり知られていませんが、 音の屈折と直接関係しており極めて長い距離をほとんど減衰することなく伝搬する騒音があります。
これはアコースティック・トンネリングまたはチャネリングとして知られているものです。
これについては、これまで音の空気伝搬での文脈ではほとんど研究されてきませんでしたが、海洋音響の分野では重要な研究が行われてきました[322-324]。
この現象は、海洋音響学では、音がほぼ減衰せず長距離伝達する経路の存在(SOFAR)として知られています。
その存在を確認するための最初の実験は、1943年にバハマ諸島で1ポンドのTNTを水中で爆発させることによって行われました。
その爆発音は2000マイル以上離れた西アフリカ沖で容易に検知されています[279]。
現在発表されている研究のほとんどは、1960年代から70年代にかけて、アメリカ海軍が長距離潜水艦の探知と監視方法を模索していたときに行われたものです[324]。
現在では、音速が最小となる深海領域において、屈折の法則によって水中音が閉じ込められるような現象で音がほぼ減衰しない長距離伝搬が起こることが知られています。
これは、水中での深さによる圧力と温度の変動によるものです。
この効果はwaveguideと考えることができます。
大気音響学の専門家は、このようなSOFARのような効果を空気中で経験しています。
暖かい空気に囲まれた冷たい空気の流れに音が閉じ込められ、狭いチャネルに音が閉じ込められるため、想定よりもかなり長距離の伝搬が起こります。
このため、いくつかの屋外イベントでは予期せぬ問題が発生しています。
ただし、このような可能性があることを知っていたとしても、このような事態を予測したりコントロールしたりすることは(不可能ではないにせよ)極めて困難です。
少なくとも、イベントから非常に離れた場所で突然騒音レベルが予想以上であることが判明した場合、環境騒音コンサルタントは説明できるようにしておくことはできます。
このレポートのための調査の一環としてコンサルタントに非公式に話を聞いたところ、ほとんどのコンサルタントが、そのような影響に少なくとも一度は遭遇したことがあるようでした。
上記のすべての問題(騒音伝搬モデルの精度/信頼性、音響システムモデルの精度、気象学的影響)に対応するため、SPLtrackのエンジニアは、現場でのセンサーから取得したリアルタイムのデータを用いてモデルを継続的に更新するような経験的な騒音公害予測モデルを開発しました。
SPæLとして知られるこのモデルは、 建設、モータースポーツ、ライブイベント業界で使用されています。
このモデルの精度は、騒音公害レベルを1dB以内の精度で予測することが実験で示されています(他社モデルでは10dB以上の誤差がありました)。
気象学的影響を考慮することは別として、競合モデルの誤差の一般的な原因は、ラインアレイシステムを地面に近づけすぎてフライングした場合、(実際の現場で意図した挙動となりにくいように)サウンドシステムの予測が不正確になることに起因することが判明しました。
ラインアレイをその長さの3倍以下の高さでフライングするという推奨事項が、現場内外の挙動をモデリングに基づいて予測する際に重要であるのはこのためです。
SPæLの精度は、現場データによるチューニング、カスタム機能をサポートする騒音伝搬モデルの重要性を示しています。
これがなければ、刻々と変化する気象学的影響や理想的でない音響システム構成を扱うための実用的な方法はありません。