Impulse Response Measurement Basic
この文書はSmaart v.8.5 User Guide Chapter7の和訳を基本としています。インパルス応答測定について複数記事を上げる予定ですが,その第0弾と考えていただければ幸いです。
インパルス応答とは何か
最も基本的な用語として,インパルス応答(IR)は単位インパルス関数を入力としたSystem Under Test(SUT)の時間領域(時間対振幅)応答と定義することができます。
この場合の 「システム 」とは,マイクロホンや単一トランスデューサーのような小さなもの,あるいはイコライザーの単一フィルターのような単純なものを意味しますが,コンサートホールやスポーツアリーナのような大きなもの,サウンドシステム全体のような複雑なもの,あるいはその2つの組み合わせを意味することもあります。
Smaartのユーザーが最も関心を持つのはもちろんサウンドシステムとその音響環境です。
音響分析の文脈では,インパルス応答はシステムの音響的な「特徴」と考えることができます。
インパルス応答には直接音や離散反射音の到達時間や周波数成分,残響減衰特性,S/N比,人間の明瞭な音声を再生する能力の手がかり,さらには全体的な周波数特性など音響システムに関する豊富な情報が含まれています。
システムのインパルス応答(時間領域)と伝達関数(周波数領域)は互いにフーリエ変換と逆フーリエ変換で行き来する関係であることがわかります。
インパルス応答は音源から放射された音が室内で反射することによって生じます。最も最短の経路(音源から測定位置までの直線)を通る音が最初に到達し,最も大きな音量が期待できます。反射音は多くの経路を通って後から到着し,途中で空気や境界面の吸収によってエネルギーを失うため,徐々に低いレベルになる傾向があります。理論的にはこのプロセスは永遠に続いていますが,実際には私たちに関心のある現象は数秒以内に起こります。小さな部屋や残響時間を短くする音響処理が施された空間ではおそらく1秒未満でしょう。
インパルス応答の時間領域グラフでは,直接音と最も早く到達する反射音の一部が明確に区別できます。元の音の反射コピーがどんどん遅れて低い振幅レベルで到着するにつれて,それらは一緒になって指数関数的な減衰スロープを形成し始めます。
インパルス応答の解析
同じインパルス応答を持つ室は2つとありませんが,ほとんどすべてのインパルス応答において何らかの組み合わせで識別できるいくつかの構成要素があります。それらは直接音の到達,初期反射,残響の立ち上がりと減衰,ノイズフロアなどです。
Figure 121は音響インパルスにその構成部分をラベル付けしたものです。
それぞれの説明は次の通りです。
伝播遅延
音源からの直接音が測定位置に到達するまでの時間が伝播遅延時間です。
これには音が空気中を伝わる時間に加え,シグナルチェーン内のDSPプロセッサのスループット遅延が含まれる場合があります。
直接音到達
2点間の最短距離は常に直線であるため,インパルス応答を見る際にはまず使用する音源からの直接音の到達を確認することが重要です。
通常音源は設置されたサウンドシステムですが,室の特性を測ることが目的の場合,測定用に特別に持ち込まれた全指向性スピーカー,風船の破裂音,空砲の発射音,簡易的には手拍子やケースの蓋を閉める音などが考えられます。
またほとんどの場合,最初に到達する直接音が最も大きく,インパルス応答で観測できる最も大きいピークに対応すると予想されます。(厳密にはそうでない場合もありますが,大半の場合はそうなるはずです)
個別の反射
直接音が到達した後,次に目立つのは最も直接的な経路で到達する音,つまり低次反射音です。
音源から測定位置に到達するまでに1つの境界面で反射した音は1次反射と呼ばれ,2度の反射ではと2次反射となります。
反射音は直接音との相対的な大きさやタイミング,拡散性の後期残響音と明確に区別できる程度などの要因によって有用にも有害にもなります。
初期減衰,残響の立ち上がり,残響減衰スロープ
残響空間の音は直接音と低次の反射音に続いて,しばらくの間部屋の中を反射し続けてより高次の反射音を作り出します。
任意のリスニングポジションにおいて,この反射エネルギーの一部は比較的短時間の間に建設的に結合して残響音の立ち上がりとなり,その時点で残響音の減衰が始まります。
実際にはインパルス応答の残響が直接音や初期反射音と区別して見える場合と見えない場合があります。はっきり見えることもあれば、そうでないこともあります。
慣例ではインパルス応答の逆二乗積分で直接音到来後最初の10 dBの減衰を初期減衰とみなします。残響減衰は従来,逆二乗積分において直接音のレベルより 5 dB 下がってから30 dB減衰するまで(SN比が確保できない場合20 dBの減衰)の範囲で測定されていました。(これらに関しては残響時間,初期減衰時間を後程記述するのでそちらを併せてご参照ください)
ノイズフロア
理論的にはインパルス応答の残響減衰は永遠に続き,理想的な指数関数曲線として完全にゼロになることはありません。ただし実際には比較的早く測定値のノイズフロアと区別できなくなります。
インパルス応答測定におけるノイズは,周囲の音響ノイズ,測定システムの電気ノイズ,分析用に信号をデジタル化する際の量子化ノイズ,分析に使用するDSP処理によるアーチファクトなどいくつかのソースから発生する可能性があります。(環境暗騒音の影響が最も大きいことは言うまでもないでしょう)
インパルス応答測定データの利用
遅延時間測定
Smaartでインパルス応答を測定する最も一般的な用途は,伝達関数測定やスピーカーシステムのアライメントで(本当に!?),信号のアライメントに必要な遅延時間を求めることです。
Smaartのディレイ・ロケーターをクリックするたびにバックグラウンドでインパルス応答測定が実行されます。
この場合私たちが本当に気にするのは直接音の最初の到着だけです。この音は通常,インパルス応答のS/N比が悪くても高い信頼性で選ぶことができるほど顕著なので,わざわざ結果を表示する必要はありません。
Smaartは単純に最も高いピークをスキャンしそれを最初の到着と仮定します。
自動遅延測定がうまく機能しない場合として、サブウーファーなど低周波数出力を主とする機器の測定や,指向性のあるフルレンジシステムを軸から大きく外して測定しようとする場合,顕著な反射が高周波数を支配する可能性のある場所などがあります。
後者の場合,反射された高周波エネルギーが直接音の到達よりも遅れて高いピークを形成する可能性があり,直接音到達時刻を見つけるためにインパルス応答データを目視で分析する必要があります。
反射音解析
IR測定のもう一つの一般的な用途は,問題となりうる個別の反射音の影響を評価することです。
反射音は様々な要因によってリスナーの音質や音声明瞭度の知覚に有益にも有害にもなり得ます。
これらの要因には再生するコンテンツの種類(一般にスピーチまたは音楽),直接音のレベルに対する反射音の到達時間と全体的なレベル,反射音の周波数成分と到達方向が含まれます。
一般的に反射音の到達時間が遅いほど,また反射音が(直接音に対して)大きいほど問題が大きくなる傾向があります。
残響時間RT(T60,T30,T20)
残響時間は定量的な音響パラメータの祖父のようなものです。(要は最も原始的な室内音響物理指標ということでしょう)
1世紀前にWalter Sabineによって初めて提唱された残響時間は,部屋の残響音が励起信号が停止した後60 dB(100万分の1)減衰するのにかかる時間です。
室内音響で最も広く使われている(場合によっては誤用されることもある)物理指標の1つです。
同じ残響時間を持つ2つの室の音が大きく異なることはよくありますが,帯域ごとに評価すればある室の残響音場の全体的な特徴を知ることができます。
コンサートホールでは音楽の暖かさや広さを感じることができます。
オーディトリアムではスピーチの明瞭度の大まかな予測値としてよく使われます。
(補足)
60 dBの減衰というのは往々にしてSN比の確保が難しいことも多く,30 dB減衰した時間を2倍にする,あるいは20 dB減衰した時間を3倍にするといったことを行います。詳細はISO3382-1などをご参照ください。
初期減衰時間EDT
初期減衰時間は,直接音と最も早い最も低次の反射音の減衰時間となります。
到来が最も早い反射音は,聞きたい音を残響や背景音から分離させるという点で最も有益である傾向があります。
EDTは室やシステムの全体的な明瞭度,聞き取りやすさを知る手がかりとなります。
EDTはRT60と同様に,測定された減衰率でシステムが60dB減衰するのにかかる時間に正規化されます。(10 dB減衰した時間を6倍します)
初期/後期エネルギー比
初期/後期エネルギー比は,直接音到来後ある特定の間隔内に到着する音のエネルギーとインパルス応答の残りの部分のエネルギーの直接的な測定値です。
初期減衰率や残響減衰率から推測するよりもリスナーが耳にする有益な直接音や初期反射音と,(潜在的に有害な)残響やノイズの量との関係を評価する,より直接的な方法です。
スピーチの聞き取りやすさのモデリング
C35やC50のような初期/後期エネルギー比は,主観的な音声明瞭度を客観的に測定可能な予測値として長い間使用されてきました。
1970年代にはVictor PeutzがArticulation Loss of Consonants (ALCons)を考案しました。これは部屋の容積と残響時間,スピーカの指向性係数,音源からリスナーまでの距離に基づく明瞭度の予測指標です。
その後Peutzは,音量,距離,およびスピーカの指向性係数Qの代わりに,直接対残響エネルギー比を使用するように式を修正し,ALConsを直接測定可能な量にしました。
より最近では,音声伝送指標指標(STIおよびSTIPA)がよりロバストな測定基準として登場しました。これらはすべてシステムのインパルス応答から計算できます。