大学院進学辞退届を出した話
こんにちは。
杜と申します。
生物系の大学に通っていました。
今回は大学院進学を断念したことの顛末を書こうと思います。
ただただ自分の恥を晒すだけですが、大学院進学を辞退するかどうかを考えていた際にインターネット上の先輩方の記事がとても支えになったので、私も見知らぬ方の参考になればと思い書き残します。
大学院に行きたかった理由
元々、私は就職する予定でB4の3月には内定をもらっていました。
(元々付き合いのあった小さい企業に拾ってもらっただけなのでめちゃくちゃ優秀だったわけではないです。)
しかし、11月末あたり、卒論のデータ解析を始めたくらいで卒論テーマをもっと深めたい!研究って楽しい!モードになりました。
今まで集めていた自分の知識が、データを見て考えている際にパズルのように頭の中でくっつく感覚がとても面白かったのです。
脳汁ドバドバであの感覚は忘れられません。
ボスとの話し合い
私の担当の先生は助教だったので私の研究室のボスに相談しにいこう!となり、そこから私とボスのお話合いが始まりました。
今思えばここで引き返していればどんなによかったか、、、
ここでの話し合いではとりあえず卒論を仕上げよう、だけど後期入試の出願も迫っているのでそれの準備もしながらという形になりました。
この時点で出願まで1週間、卒論発表まで2週間、入試と卒論提出期日まで2ヶ月でした。
今思えばめちゃくちゃ慌ただしかったです笑
卒論のデータの見方がわからない→ボスに聞く→ボスの部屋で嫌味を言われながら教えてもらう→早く願書かけと言われる→データ解析、卒論発表準備しながら願書書く
ただ、願書に書く研究計画は実現できないこと多いからとりあえず適当でいいよと言われ、すんなり出すことが出来ました。
卒論発表前々日
卒論発表では前日に助教に要旨を提出、当日はパワポを使っての発表でした。
そのため、要旨を作り院生に見てもらい何度か訂正したものをボスに添削をお願いしました。
するとどうでしょう、夕方ごろに部屋に呼び出され言われたことは、
こんな要旨出せないよ、書き直せ、そもそもデータの測定方法がダサい測定からやり直せ、これじゃ何もわからない
もうそれはそれはショックで泣きそうだったのを覚えています。
この時点で要旨提出までもう24時間を切っていました。
時間は17時くらい。
ボスにアドバイスをもらい、パソコンの前に戻った時近くにいた助教に
「要旨提出間に合いません、すみません」
と言いに行きました。
もうこの時点で間に合わないことなんて明白でした。
それどころか卒論発表もできないのでは、、、と思い始め、涙と鼻水を垂らしながらデータのまとめ直しと要旨を書こうとしていたのを覚えています。
この時は大学近くに住んでいる彼氏の家に泊まっていたので、ギリギリまで大学におり、そのあと彼氏の家に帰りました。
そしてそこからAM4時くらいまで要旨を書こうとパソコンに向かい四苦八苦しました。
卒論発表前日
次の日起きると熱が出ていました。
前日のボスの部屋から帰ってきたあたりから、なんとなく鼻水止まらないなと思いながら作業していましたがまさか発熱するとは思いませんでした。
この時期、コロナで色々敏感だったので要旨は諦め先生と院生の先輩に連絡し病院で検査を受けました。
院生は心配してくれて、電話ももらい病院の待ち時間に号泣しながら電話しました。
発熱外来の誰もいない待合室だったので、気にせず泣いてましたが途中で看護師さんが来てめちゃくちゃ心配かけてしまいました笑
そして先生からは、
追い詰めすぎましたね、ゆっくり休んでください。私は今出張で〇〇大学に来ています(^ ^)
とメールが帰ってきました。
いや、追い詰めすぎましたねじゃねーよ
もうちょっと優しくしてよーーー!!!
卒論仮提出
風邪も治り、大学に行けるようになり私は卒論データの測定し直しをするために論文を読み漁りました。
これをこういう感じでやりますとボスに言いに行ったところ、
いや、もう時間ないんだから測定し直しとかしてないでそのデータでまとめなよ
と言われました。
????話が違うじゃん、、、、
とりあえず、私は卒論を提出するべく文章を書きまくりました。
そして、仮提出の期日から2週間ほど遅れて提出することができました。
大学院入試
卒論の仮提出をしたのが、1月初旬。大学院入試は1月下旬でした。
私はそこから急いで入試の勉強をする、、、と思いきや燃え尽きていました。
卒論こんなにがんばったのにすぐに切り替えて入試の勉強なんてできないよ〜と床に転がってました笑
また、私の専攻の入試は内部進学ではよっぽどのことがない限り落ちることはなく、問題も先生が事前に教えてくれました。
なのでそれらをダラダラとやり、ダラダラと入試を受け、なんとなく合格してしまいました、、、。
卒論提出後
入試が終わり、2月初旬に卒論を書き終えボスに提出しに行きました。
この日は本当に最悪でした。この日にボスに言われたことが決めてで大学院に進学しなかったと言っても過言ではないです。
まず、卒論を提出する時点でボスの機嫌が悪かったのです。
どのくらい悪かったかというと、データの入ってるUSBも卒論と一緒に提出しなければならなかったのですが、USBに指定がなかったので家にあった適当なものに入れて出したところ、何でこれに入れたんだ!とキレ始めました。
今考えても意味がわかりません。
おそらく、私より前に提出していた子たちが大学でもらったUSBに入れて提出しており、先生が統一したかったのかなと思います。
もうこの時点で最悪なのに今後どうするんだ!と捕まってしまいました。
私は、卒論テーマを続けたかったのですが私のテーマが院生の派生だったことから、この研究を続けるのであれば少し変えなきゃいけない、テーマを変えた方がいいのではないかと言われました。
めちゃくちゃ要約するとこの内容だったのですが、これを2時間話しています。私への罵倒含めて。
この時言われた言葉は今でも忘れられません。
話し合い後
ボスとの話しを終え、私はめちゃくちゃ病みました笑
次の日に友達と遊びに行ったのにあまり楽しめないくらいには落ち込んでいました。
私は元々、狭い空間(狭い部屋や車内など)で怒られるのがとても苦手で怖いのです。
逃げ場が何もなく萎縮してしまいます。
今回はそのこともありボスがとても怖くなってしまいました。
もうボスとは話したくない、ボスとあと2年も一緒にいるくらいなら大学院行きたくないとまでなりました。
ボスに萎縮して自分の意見を言うのが怖くなりました。
言ってもどうせ罵られるだけだし、、、
しかし、この時点ではなかなかやめると言えませんでした。
大学院に行くと言った時の友だちの後押し、院生が泣いて応援してくれたこと、助教の嬉しそうな顔、そして内定先が進路を決めるまで待っていてくれていることなどが引っかかっていたためです。
大学院進学辞退
そこからしばらく研究室には行かずテーマを考えながら進学するかどうか考えました。
けれど、所詮大学4年生が考え付くテーマなぞもうやっている人がいるのです。
1人で新規性のあるテーマなんて見つかりませんでした。
また以前からテーマはある程度成果のでるものでないとやる意味がないと言われていたので、その辺りも踏まえると見つかりません。
もちろん、この旨も相談しに行きました。すると教授は、初めから成果が出るかどうかなんて気にしているのだったら修士行く意味ないよ、行かなくていいとおっしゃいました。
もう混乱です。前と言ってること違うじゃん、、、
そしてこれらのことをしているうちに、私はなぜ研究者になりたいわけでもないのに修士課程に行こうとがんばっているのだろうか。
知りたいことがなくなった今、大金を払って無理矢理進学する意味はあるのだろうか。
しかも、本当にやりたいことはこの教授が指導できる分野じゃないのに、、、
とさまざまなことを考えた結果、大学院には行かず就職しようとなりました。
辞退届提出
就職すると決めてから教授に伝え、特に引き止められることなくすんなり辞退届を提出することができました。
また、内定先も嫌な顔せずに受け入れてくれて感謝しかないです。
ただ、教授と話した後、お世話になった助教と話した時に涙が止まりませんでした。自分でも何の涙かは分かりませんでした。もしかしたら、自分を理解してくれるような話し方に安心したのかもしれません。
この時、助教は
大学院はいつでも戻ってきて良いんだよ。あなたはいつでもここに帰ってきていいのよ。
と言ってくださいました。
お世辞かもしれませんが、とても心に残っています。
まとめ
私は結局、
・知りたいと思っていたテーマを変えなければならなかったこと
・教授とウマが合わずすれ違いまくったこと
・教授のネチネチ嫌味(叱咤激励)に耐えられなかったこと
が主な理由で辞退しました。
研究をすることよりも心の安定を取ったのでその時点で私に研究者としての素質はなかったのでしょう。
また、教授や助教、院生たち、応援してくれた同期や内定先などたくさんの人に迷惑をかけました。
本来は、出願の際にもっと自己分析をするべきだったのでしょう。
しかし、結局は自分の人生なので私は自分が生きやすいように生きたかったです。
就職先もとてもやりたかった職業なので、就職してからもがんばりたいと思います。