■言葉を誰のために使うのか。 ~「正論」の持つ暴力性~
「できない理由を述べるより、どうやったらできるのかを考えよう!」
この言葉、何となくカッコよく聞こえません?
できるリーダーっぽいセリフですよね。
確かに、何でもかんでもできない理由を並べたて、行動しないことを正当化しようとするよりも、「何だったらできるのか」を考えたほうが建設的なのかもしれません。
正論です。
しかし、現場感覚とはかなりずれてしまっているのではないでしょうか?
なぜか。
このセリフを簡単に口にするリーダーの深層心理には
「自分への反論は聞きたくない」という想いが隠されているのかもしれないんです。
「私は正しい。反論するあなたは間違っている。」
というスタンスから『反論できない正論』で自分を理論武装していることがあるんです。
リーダー「来期は、今期実績の50%増にチャレンジしよう!」
部下「無理です!今期だって大幅な目標アップで、無理矢理数字つくったようなもんだということ、リーダーもよくご存知じゃないですか!?」
リーダー「できない理由は聞きたくない。どうやったらできるかを考えよう!」
『正論』ってやつは厄介です。
相手に反論する隙を与えません。
それだけで部下の方は戦意喪失。
うわべだけは
「はい、おっしゃるとおりですね」
と言うかもしれません。
でもそれは組織では最も困る面従腹背。
どんどん組織のモチベーションを奪っていきます。
大切なのは何か。
「この上司は私たちのことをわかってくれている」
「この上司は私たちのことなんかわかってくれていない」
信頼、安心、安全。
結局は人間関係の基本の部分に戻ってしまいます。
『正論』を、自分を守るために振りかざすのであれば、そこに心から賛同して協力してくれる人はいないでしょう。
言葉を誰のために使うのか。
コミュニケーションの機会が減少していく現代だからこそ、もう一度、しっかりと向き合うべき課題だと思います。