走らない洋
洋は困惑した
洋は相手の言うことがわからぬ。
洋は無知である。
ごほんをよんでもらい、おえかきをたのしんでくらしてきた。
けれども自分自身について言及されるときの「◯◯みたいでいいね」に対しては人一倍に敏感であった。
じゃあ◯◯じゃないわたしは?と
幼い頃からステレオタイプを浴びては、それに当てはまらない自分は何なのかと
暗澹たる思いとなることの多い生涯を送ってきました。
人間失格ってきちんと読んだことないけど、一文一文が長いな。
◯◯を言葉として識っていても、身近に当てはまる人が居なかったら、どんなところを指していいねと言われてるのかわからない。
幼い子どもだからこそ強く印象に残ってしまった。
自問の内容を口にすると、
「洋が●●だから相手はそう言うんだよ」とか
「そう悪い意味で考えないで」といった言葉を貰うことがある。
言葉面こそ励ましや正論やプラス思考に近いが、要はステレオタイプへの同調と、受け流しを促すもの。追いステレオタイプだ。
私の問も放流される。
構わないけれど、たまには少しでも掬い上げてみてほしくなる。
「洋はそういうことで困るんだね。」と。誰かに。
大抵の場合相手に悪意がないのがまた厄介。
今、私自身の中で他者に対する
既成概念・固定観念・良識・ステレオタイプ・バイアスなどと
創作が秤にかけられていて、
創作が圧倒的に軽い。やはり誰かに助けて貰おう。