「もし、今日が最後の人生なら何を残したいだろうか?」 

2022年9月18日 午前9時ごろ スターバックスコーヒー堺フェニックス通り 利晶の杜店にて、

僕はアイスソイラテを「ゴクリッ」と飲んだあと、テーブルに向かって、紙にこう書いた。

「もし、今日が最後の人生だったら何をしたいだろうか?」

こう自問自答をしてみた。

そしたら、これが頭に浮かんだんだ。

「自分の学びを書き残していきたい。毎日一行でもいいから書き残したい。」

「じゃあ、何を書きたいだろうか?」

またそう問たら、次のようにペンが動いた。

これまでの、僕の25年間の人生を振り返ると、よくここまで耐えてきたなと。自分を誇らしく感じるよ。ありがとう。

小学生の頃から3年〜5年ごとに鬱を経験したり、なかなかダークな体験をしたよな。

そんな期間はあったけど、

いま振り返れば、もの凄く貴重な体験をさせてもらったなと身にしみて感じてる。

だって、その期間があったからからこそ、自分にとことん向き合うことができたんだ。


たとえば、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての生きづらさや、躁鬱病によるメンタルの弱さ。

これらを克服するために、

どうしたら改善できるか、なんども、なんども、試行錯誤してきた。

自分の行動や状態を毎日のように記録したり、自己分析したり、そしていろんな知識を入れたりして、少しずつ生活基盤を整え、自分を知ることを追求してきた。


「自分を変えたい。」

この一心の想いで。

これが、僕の行動を駆り立ててたんだ。


でも、スキルも性格も精神力もたいして変わることはなかったんだ。

そして、いつの間にか鬱っぽい自分に戻っていく。

これを何度も繰り返してた。

「なんでなんだ・・・。」

僕の中で出た結論は、

ありのままの自分を認め、許してあげられなかったからなんだと思う。

「変わりたい!」

という想いの裏には、

「まだ変われない」

という本心が隠れていて、

だから、「自分は変われる、もっと成長できる!」という観念よりも、

「俺なんて、たいして変わることはできないんだ。」

という固定観念の方が強いがゆえに、動こうとしても元の状態に戻るような働きが起こってるからだと思うんだ。

つまり、現状維持するのが一番ストレスのない、楽な方法だと信じていたんだ。

そして、知識を入れるだけの情報コレクターになってしまって、なかなか自分を変えようとする”具体的な行動”に踏み出せなかったんだ。

だから、

「〇〇したい!」

と思ったら、”今の自分の完璧さを受け入れる”ところからスタートすることが大事なんだって気付かされたんだ。

『自己受容』って言葉を最近耳にしたけど、まさにそのことだなと思ったんだ。

「自己受容」とは、できない自分をありのままに受け入れること。 コンプレックスや欠点、短所を抱える自分、失敗だらけの自分、ネガティブの自分を、そのまま肯定し、受け入れることです。 「今のままの自分でいい」「今のまま生きていい」、その感覚が「自己受容」です。

Google検索”自己受容”<東洋経済ONLINE

いまの自分を否定せず、受け入れる。そして肯定する。

周りと比べず、与えられた環境や能力、出来事はみな違うのを受け入れるる。ありのままの自分を認め、愛してあげる。

それをわかってても、他人と比べてしまい不満に感じることは誰だってあるはず。僕だってそうだった。

それでも、少しずつ良いところを見つける癖を付けて、自己受容していく。

自分はそこから何を学べたか、あるいは何を学んでいるか、このように視点を変えて、反対のよい側面を見て、ポジティブな解釈にしてみること。

そして、「この出来事があって本当にありがたいな」と感じること。

すると、今まで行動の足かせとなっていた固定観念が外れるようになる。

観念が変われば、思考が変わる。
思考が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、現実が変わる。
現実が変われば、変化に気づく。

「変わりたい!」

と思う前に・・・

もう、自分はすでに変化している、成長していることに気づければ、

新しい自分として、みるみる内に現実が変わっていくことになるんだ。

だって事実、人は毎瞬毎瞬、新しい細胞に変わっている。

あとは、どうなりたいか方向性を定めるだけ。

これが、過去の自分に伝えたかった、自分を変える方法だ。


#書く練習 #1日1行 ~1投稿 #過去の自分へ


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