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お金に囚われる人の話
お金が全てではない
私は最近よくそう思う。
生活していく上でお金とは必ず必要になるものである。
社会人となり家を出て暮らそうと思えば家賃が掛かり、電気ガス水道も使わなくても掛かる。
誰かと連絡を取ろうと思えば携帯が必要となり、通信費にスマホ代も毎月掛かる。
寝て起きてスマホをいじってもお腹は満たされないのでスーパーで買い物をして食事をすれば食費は掛かり、たまにちょっとの贅沢をしようと外食をすれば更に食費は掛かる。
お腹が満たされても必ずしも心まで満たされる訳ではないので、住み慣れた自分の街から出掛ければ交通費も食費も掛かり、気分を変えて旅館にでも泊まった日には宿泊費も掛かる。
なんなら何もしなくても税金を払わなければならないので、息をしてただただそこにいて生きているだけでお金は掛かる。
だから私達はこんな公式が正解だと思ってしまい、収入が多ければ多いほど幸せだと考えてしまう。
収入>出費=幸せ大きさ
『じゃあ幸せになる為にどうやって収入を増やそうか?』と考えた時にどうするだろうか。
まず初めに考えるのが転職や副業、そして残業を増やす等だと思うが特に転職や副業を行おうと思っている時は一度立ち止まって考えて欲しい。
今やろうとしていることはタダでもやりたいことなのだろうか。
勿論私もお金は大事だと思うし、あればあるだけ無いよりは良いとは思っているが、お金に囚われてしまっていると大事なものは必ず見失ってしまう。
利益や収入を求めることは大切なことで否定はしないが、利益や収入ばかりを先に求めて転職や副業をすると良い結果にはならないと思っている。
仮に使命感ややりがいを持っていたとしても、最初にそれをやりたいと思った理由がお金なのであればそれは私利私欲の金儲けでしかないと思う。
どんなものやサービスにも基準となる価値は必ずある。
例えば100円の水に対して支払うべき対価としては、色々な経費を含めても150円〜200円が妥当であるが、収入をあげたいからといって1,000円の価値があるかの様に見せかけ売ったとしても、一時的に収入は増えるかもしれない。
だが、100円の水を1,000円で売ることがビジネスだというのであれば、そんなものは自分達の言っていることを正当化しているだけに過ぎず、そんなことで私腹を肥やすのであれば、それはやりがいというメッキを被った金の亡者でしかない。
どれだけ収入を増やそうとも必ずしも幸せになれると私は思わない。
お金があれば幸せになれるのであれば、芸能人はみんな幸せなはずだ。
私は選択に迷った時にAppleの創業者である、スティーブ・ジョブズのこの言葉を思いだす。
毎朝、鏡の中の自分に問いかけてきた。
「もしも今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか?」と。
NOと答える日が何日も続くようであれば、何かを変えなければならないということだ。」
ビジネスは悪いことではない、だがお金や給料は本当に価値のあるものには必ず後から付いてくる。
お金に囚われず、本物を提供出来る人間に。
それでは^ ^