高速バスの中で
実感が湧かない。何も変わってないようで、私の聞く音楽は9割彼らの曲になり、私のカメラロールは彼の笑顔や間抜け顔、とびきり輝いている顔で埋め尽くされるようになった。彼の全てを手元に残しておきたい一心かもしれない。
実感は無いのに、受け入れようとしている自分がいる。受け入れないと泣けないし、悲しみにひたっていたいのだろうと冷めた頭で思う。
あの日、時間が止まってしまった。厳密には、彼の時間が。真っ黒い背景に白いハングル。あの日ほど、自分で読めることに嫌気がさした日はないだろうし、あの日ほど早く情報が欲しくて読めた自分に感謝した日はないだろう。
「空の星」とはどういうことか、理解が追いつかなかった。理解したくなかった。
でも正直、自分が最悪の事態を想像していることは、震える指先から伝わっていた。目覚ましを何度も繰り返さないと起きれない私だが、その日は珍しく明け方に自然に目が覚めた。
バイト先の後輩から夜中に連絡が入っており、それを先に見たからだ。内容については書かれていなかったが、ニュースを見たこと、それで私の顔が浮かんだこと、なんと言えばいいか分からないこと......普段深夜に連絡を寄越すような子ではないことが、事態の異常さを物語っていた。急に心拍数が上がり、息は吸えなくなっていった。
泣き叫ぶ声は、きっと外にも漏れていただろう。理解できないのに、実感も何も無いのに、事実だけで泣き叫ぶことが出来ると、その日知った。
四十九日が過ぎ、未だに実感ができないし分からない。足りない頭で私は毎日彼のことを想い、幸せについてダラダラと考えている。
私は父母双方の両親(つまり私にとって4人の祖父母)を見送ったことがある。そして、愛犬も。父方の祖父母、特に私は祖母によくくっついていたので、本当に辛く悲しい出来事だった。いつでも優しく、暖かな人だった。大好きで、星になった時もかなり落ち込んでいたと記憶している。しかし、実感があるのだ。自分の目で見て、ありがとうを伝えて、バイバイが言える。これは本当に大切なことであると、思う。
そして、別れを惜しみ、故人との思い出を沢山沢山思い出し、幸せだった瞬間を刻み込むことが出来る。どれだけ悲しくても、私たちは式を準備する時間でさえ笑っていた。祖母ならこうしていただろう、これでこう笑っていただろう、祖母はこんなことをする人だったと、思い出しながら、笑うのである。
実感が湧かないとは、「笑うことが出来ない」状況にあることなのではないだろうか。いつまでも私は薄暗い空の下で、水溜まりにゆれる月と星を探している。これだけは、時間を信じてみるしかないのだろうと、半ば諦めのような心持ちである。
しかし、時間が解決すると信じることも価値があることだと思う。
愛犬を失った時、私は誰よりも悲しんでいた。私の腕の中で、天に昇っていったから。苦しそうに大きく息を吸おうとする子を抱きかかえて、病院に走った。間に合わなかったのだ。自責と、哀しみと、もう戻らない過去をどうしたら良かったのかとで、ただひたすら頭を掻き乱していた。
愛する子は、言葉を話さない。最後まで、彼女がどう思っているか分からなかった。それが1番私の心を鷲づかんで、離さなかった。
祖母のことは、半年ほどで割と楽しく思い出に浸ることができるようになっていた。しかし、祖母よりも先に星になってしまった愛する子には、長い間申し訳なさが残った。夢に何度出てきても、言葉を話すことはなく、それだけ彼女の想いがどうであったか、ちゃんと幸せであったか、空でも幸せでいてくれているか、大きな不安として現れて私を水溜まりのある森に引き込んでいった。
しかし、数年たった時に、ふと、楽しそうにしっぽを振る様子が思い起こされた。「あぁ、幸せだったよな」そう思った。もちろんこんなの私の想像でしかないし、私を立ち直らせるためのエゴである。でも、それでも、彼女は幸せだったと思えたのだ。
時間は偉大である。後悔は未だに消えないけど、薄めてくれることは、確実にある。
私の大好きな人が突然星になってから、しばらく忘れていたことである。
しがない1ファンでしかなかった私には、時間しかないと思う。言葉というものはときに重く響く時があるけれど、穴のあいた心にはその穴をすり抜けていく風でしかない時だってある。
私が書くこの言葉だって、なんの慰めにもならないかもしれない。
私から紡がれる言葉はまだこんなどうにもならない感情を垂れ流しにしたようなものでしかない。
数ヶ月後もしくは数年後かもしれない時間が経って前に踏み出そうと思えた時、彼を想って生きた数年の幸せな記憶を発信出来たらいいと、窓から見える曇った空を見ながら思う。