【短編小説】声
あの人の声が、私は好きだった。
心地よく響く低音の中にある、優しさの滲み出たあの声が。
あの人の活動を知った日から、学校終わりに家に直帰し、あの人の音声配信を聴くのがすっかり日課になっていた。
毎週平日の火曜と木曜の夜7時。それが、あの人の定期配信がある日時。
『こんばんは。今夜も一緒に素敵な夜を過ごしましょう』
始まった。私は今日も、あの人の画面越しの声にじっと耳を傾ける。
やっぱりいい声だなぁ。こういうのを本当のイケボ、っていうんだろうな。
『お、チェリッシュさん。今回もきてくれたんですね。最近いっつも訪問してくれるよね』
え、今…私のハンドルネームを呼んだ?
『確か初訪問から毎回コメント残してくれてるよね?励みになるよ。ありがとう』
瞬間、自覚出来る程に顔が熱くなった。
あの人が私の名前を呼んでくれた。あの人に認知されていた。あの人が…私に、私だけにありがとうって言ってくれた…!
気付けば私は、イヤホンを着けながら嬉しさからの涙を、配信が終わっても流し続けていた。
元々私は、あの人の声だけが好きだった。正直容姿とか性格なんかもどうでもよかったし、恋心だって毛程も抱いていなかった。けれどあの日以来、私はすっかりあの人に夢中になった。
認知されるってこんなに嬉しいんだ。
名前を呼ばれるってこんなに嬉しいんだ。
私だけに向けられる言葉ってこんなに嬉しいんだ。
あの人の好きなタイプってどんな子なのかな。可愛い子?美人系?手料理とか喜んでくれる人かな。きっとそうだよね。あの人の最近の配信だけじゃなくアーカイブも聴き漁ったけれど、あの人は私の理想通りの気配りが出来る優しい人みたいだったから、ちゃんとつり合うように自分磨き頑張らなくちゃ。何かのイベントとかで、いつか会える機会があるかもしれないし。
そんなことを連日考えながら過ごしていた。あの人にまた、私だけを見て欲しい。そう強く想いながら。
でも丁度今夜、緊急配信があった。
あの人に恋人が出来た、という内容だった。
コメント欄は祝いの言葉で溢れていたけれど、私の頭はクエスチョンマークでいっぱいになった。
え?
恋人?何それ?あの人が誰かのものになったってこと?誰かに独占されたってこと?じゃあ私は?
あの日私の名前を呼んでくれたじゃん。私のこと知ってくれていたじゃん。私だけに声を掛けてくれたじゃん。
嘘だ。嘘。きっとこれはドッキリ企画なんでしょ?ねぇ、早くネタバラシしてよ。嘘だって言ってよ。
何で?ねぇ…何でよ?
ああ…そうか。あの人は優しいから、きっと同情から恋人ごっこをしてあげてるだけなんだ。もしくは脅されているとか。
なんだ。そうだったんだ。そうだよね。だって私達、まだ会ってないもん。私まだあの人の顔知らないもん。告白されていないもん。
これ配信ってことは、リアルタイムだよね。緊急の動画配信だって言ってたし、いつものスタジオからじゃないよね、自宅だよねきっと。
あ。後ろに見えるビル、私知ってる。その中の会社に見学行ったことあるよ。角度的に向かい側のマンションのあの部屋だよね。
分かったよ。電車で行ける距離だから、すぐに会いに行くね。恋人面して脅してる輩から、あなたを助けてあげる。どんな手を使っても。
今夜は両親が遅番で良かった。まだ帰ってないから包丁とか持ち出してたところで、すぐ洗って仕舞えば例え使ってもバレないよね。
私はキッチンで何種類か刃物を拝借し、それの刃先をそれぞれ家のタオルにくるんでリュックに入れた。反撃されたら怖いもん。人を守るんだから武器くらい持っていなきゃ。
今助けに行くからね。私の愛しい人。
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