夕空の下、ひとり葛藤
先日、きれいな夕空に出会い、ビル街の見方が変わったというお話をしました。
これは番外編というか、別角度からのお話しです。
上の(本編?)は、ちょっときれいめにまとまったと思ってます。
読んでくださった方が、ビル街も悪くないかも!と少し前向きになれたら良いなという思いで書きました。
一方、そうじゃない心の動きも書き始めたら止まらなくなり、残しておきたいと思ったので、鮮度が高いうちに記します。
こちらは、共感してくれる人がいたら嬉しいな、いないかな、と思いながら書いています。
スマホのための信号待ち?
きれいな空に出会う機会が割とあります。
そのときにいつも、
周りのスーツを着た大人は気付いてないんだろうな。
と思います。
実際、空を見上げている人は滅多にいない。
疲れてるか、スマホに目を向けてるか。
信号を待っていて、青になっても、スマホを見てて気付かない人、けっこう多いですよね。
あまりにも動かないから、スマホを見るために信号待ちしてるのかと思っちゃう。
周りが動き出したから、青になったことに気付いて歩き出す。
そんな人が多い気がします。
あの人たち、周りに人がいなかったらどうなるんだろう。
青と赤の信号を繰り返して、3周くらいはそこにいそう。
「もう青か?」って見上げたときは、タイミング悪く青の点滅になっていそう。
放っておいたらどれくらいループが続くんだろう。誰か実験してくれないかな。
などと思いながら、いつも青信号を待っています。
自意識過剰との戦い
空がきれいだな~と上を向いて歩いていたら、立ち止まってスマホで写真を撮っている人が。
ほとんどの人が美しい空に気付いていない中、空を見てる人がいることが嬉しい。勝手に仲間認識しちゃう。
嬉しさや共感と共に、写真を撮っていることに対して、羨ましさを感じた。
私は大勢の人がいる中、1人で空の写真を撮る勇気がない。
なぜなら、周りの目が気になるから。
私も、きれいな空を写真に残したい。
けど、
「あの人、1人で空の写真撮ってる」
「何かあったのかもね」
なんて想像されたらたまらない。実際何もないんだけど。
まだまだ考えは巡る。
1人で空の写真なんか撮ってたら、変な人だと思われるんじゃないか。自分に浸ってる奴と思われるんじゃないか。
誰もそんなこと考えてないし、誰も私のこと気にしていない。といろんな場面で言われる。それでも考えて考えて、「変な人だと思われたくない」という思いが勝つ。
ただきれいな空をとっておきたいだけなんだけど、自意識過剰が邪魔をする。
これには自分でも困っている。
結局、その景色は目に焼き付けて終わる。
もったいない。
それでも、大勢の人がいる中で、立ち止まって空の写真が撮れない。
どうにかならないかな自意識過剰。
美しい空の下ひとり、自意識と戦う。