子どもに野球を教えるとき、やってはいけないたったひとつのこと
野球を教える時、絶対にやってはいけないこと。何だと思います?
手を出すこと?当然すぎて論外。怒鳴ること?良くはないけど、時々は仕方ない。人間だもの。
子どもに野球を教えるとき、絶対にやってはいけないのは「おごる」こと。
あ、ご馳走することじゃないよ。それは「奢る」。今話すのは、「驕る」と「傲る」。
おごると何がいけないかって言うと、子どもの成長を止める。
ちょっと経験があったり、指導歴が長かったりすると、どこかにあるよね、おごる気持ち。俺が一番よくわかっているとか、俺の言うことを聞いておけばいいとか。
子どもをヘタにしてやろうって考える人はいないし、最初は子どものことを想う。良くしてやろう、上手くしてやろうって教え始めるのだけど、いつの間にか、我こそ唯一の存在だとおごる。
教える目的が、自分の存在を大きく見せることに変わる。ショッピングモールで風船をくれるだけって言ったのに、契約書にサインさせられるくらい話が違うぞ!と言いたい。
教えるってのは、アルコールみたいなもの。しかも度数が高いんだ。気を付けないと酔っ払う。子どもが真面目に聞いてくれるものだから、つい飲み過ぎて酔っ払う。
チームにもいるよね、酔っ払い。見た目はシラフだから厄介だ。で、酔っ払いが何人もいると、絡み合うからもっと厄介だ。
拙者こそ正義!いや、お主は間違っておる。無礼な!戦じゃ、戦じゃ。酔っ払い侍同士がプライドをかけた絶対に負けられない戦い。子どもの上達を隅に追いやってね。ああ、本末転倒。
戦の内容だって、別にたいしてものでもない。30年前と40年前の経験をぶつけ合ってるだけだったりする。今、もう令和っすけど。「ベータ対VHS」くらい古いし、「DVD対ブルーレイ」くらい何だったのかと呆れる。
「そういう人たちいるよね」と思っている人も気を付けて。気付かぬうちに、酔っ払いの自分を電車のあみ棚にあげていることだってある。もちろん僕も。誰でもおごる。絶対。
おごる平家は久しからずと申しますが、おごると、近いうちに滅びます。昔からそう決まっています。滅びたくない。ならば学び続けるほかない。
おごる人をよく見てみ。たいてい学びを止めている。学んでいれば、おごらずに済むし、酔っ払わずに済む。
最後に、虎の威を借りてまとめると、「平成」の元号を考案した哲学者・安岡正篤は、こうおっしゃっています。
「人間は学び続けなければならない。学ぶことをやめたら、人間でなくなる。」
自戒を込めて。
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