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人生観とか共同体の話

この記事は「今年の話をしてください2022年アドカレ]の12月4日の記事になります。よろしくお願いします。
1年が早い。どうするよ……どうしたらいい?どうにかできるか?お前に

今年の話といっても、まああんまり主だったことしてないというか、このあたりの界隈民としては3/4ぐらい足を洗ったような状態となっているので、これを見ると思われる方々に対して何かお伝えするようなことは何もありません。何もない、俺にはもう。
じゃあお前は何をやってたの?仕事以外で。となりますが、まあ主に人生をしていましたということになります。

人生とは。まあまだよくわかりませんが。
なんだかんだで所帯を持って早いことに3年ほど過ぎました。
固定の居も構え、所得税と固定資産税と、あとは永遠に上がり続ける社会保険料を払い続けながら、あとはこれより先のことを考えるのみ、という状態になっております。終わりが見えてきましたね。リーチです。
上がりに一つ足りないのが、あとは生命ということなんですが、これが大変だった。ということをちょっと書いておこうと思います。

はじめに断っておきますが、個人の見解です。悪しからず。

なお、たぶんこのnoteを読むより、「ヒキタさん!ご懐妊ですよ」という映画を見たほうが何倍も有意義に学びがあります。
全男性に見てもらいたいですね。よろしくお願いします。

さて、世間的には十分高齢出産を目指すことになった我々は、短く少ないチャンスをより効率的に、より可能性を高めていくために、とりあえず病院に受診し、まずは不妊にあたるか否かの確認からしていくことになりました。
何せ月に1回、正確なタイミングも計れないチャンスをより少ない施行回数でものにするためには必要な措置であります。システマチックに過ぎるかと思われるかもしれませんが、闇雲に時間を浪費することはできないわけです。悠長な時間は終わりだ。

そんなわけで色々調べた結果、妻側には問題がほぼなく、良好。ほっとしたのもつかの間で、大問題はこっちです。
不妊診断では当然夫側の問題も調べます。問題を調べるといっても種を調べるぐらいしかすることがないんですが、これがひどかった。最初に調べたときにはほぼ動きなし。自然にはまったく望めないという有様です。

ちょっと前にニュースなどの報道で結構やってたので知ってる人も多いかもしれませんが、不妊の原因は男女で半々と言われています。女性側の問題が大きいとのイメージを持ってる人も多いんですが、男性側の問題である可能性も大いにある。
まず、無精子症。精液に精子がない症状ですね。次に精子無力症。精子の動きが異常に少ない、前進率が低いなど。こうなると受精できる場所にたどり着く確率が低いということになります。私はこっちと言っていいでしょう。
余談ですが、精液って放置しとくとさらっと水っぽくなるらしいです(これは往生際の意味を知れでもやってました)。私の場合はこれもなくて、液化しなかったそうで。そうなると動けるやつも抜け出せないというわけです。
それ以外にもいろいろありますが、あとは奇形率、遺伝子異常の数が異様に多いとか。これは加齢に伴う原因が多いと言います。
総数が少ない場合、ホルモン治療とかもあるようですね。また、よく言われる亜鉛とかは、なんかあんまり関係ないとかいう話も。よくわかりません。無力症の場合、精索静脈瘤という症状があり、まあこの辺りはぐぐっていただければと思います。

まあそんなわけで、そういった所見を見る検査の結果を見て具体的な方針を決めていくというのが不妊治療の始まりです。
不妊治療は女性側のがんばりがすべてです。ほぼ100%と言ってよい。本当に大変です。マジで。いたたまれないほどに。これは二人の問題であり、しかしそれでも夫側はその辛さを、本当の意味で理解することも、痛みを引き受けることもできない。それがたとえ夫側に問題があるが故の治療であっても。
自分の不能を突き付けられて、さらにそのせいで発生する本来なら不要だった苦しみに、贖うことは何もできずただただ日々をサポートしかすることができない。自分が普通だったなら、必要なかった費用も発生する。
男性側にはその改善には何もないといっていいほどです。調べても生活習慣を改めるとかぐらいで、そんなもん既にやっとるしタバコも吸ったことないわ、寝てるわ、BMIも標準だわ、改善のしようがない。あとは処方薬を飲むしかない。本当に何もない。何もすることがないけど、この雑魚のせいでパートナーは苦しんでいるわけです。許されるのかそんなことが。
男性側に問題のある不妊治療にはそういった別側面の辛さがあります。辛いと吐くことはもちろんできない。なぜならもっとつらい人が最も身近にいるから。言ってもいいという人もいるかもしれませんが。それは破綻をもたらします。ほぼ間違いなく。
それほど二人の間には大きな負担の差が生じます。

最終的に体外受精を行うこととなり、多大な費用とお互いの神経を削りながら、とりあえずはなんとかなって事なきを得ております。ここにくるまでには本当に…本当に色々ありましたが、あともう少し。なんとか無事に済んだらいいと毎日神棚(っぽいスペース)に祈っています。

さて、今やってる人生についてはそんな感じで、これを始めたのが大体イバラシティ途中ぐらいから。スッと活動しなくなった時期あたりからでした。答え合わせですね。まあみんな気にしてなかったかハハハ。
全く両立はできませんでしたね。それは今でもですけど。
子が生まれたらもっとだろうな、仕方ない。そういった人生を歩むことを決めたのは他ならない自分なので、何の言い訳もできるものでもない。それでももうちょっとうまくできるかなと思ってました。

近年は個人個人多様な価値観のもとでそれぞれ生きることが望まれている世の中です。結婚するもしないも個人の自由。子をもうけない自由というものも主張される。個人が個人の、何よりもまず僕の私のそれぞれの幸せを希求せんとするのが現代であります。
多様な人が多様な価値観で多様な人生を送り、死ぬのです。それはよい。たった一度の人生だもの。幸せを目指して何が悪い。後ろ指をさされる謂れはないのだ。そういう様が最大限許容されるのが自由主義社会であります。

もし、僅かにでもその個人主義を脱し共同体をつくり未来をつなぐつもりがあるのなら、とにかく早く動き出す方ことを勧めたい。
女性の場合は明確にタイムリミットが存在するので、わかりやすいが、男性の場合はその辺の意識が非常にルーズになりがちであります。
しかしながら、前述したとおり、男性もいつまでも大丈夫というわけでもありません。「出せればできるだろ」みたいに軽く考えがちなところがありますし、実際に40台50台の芸能人が第一子を~みたいな報道が割と普通に当たり前ですけど、みたいな感じで流れるので、じゃあ俺はまだ大丈夫じゃん!と考えがちなところがあります。確かに可能性はあるけれど、こうしてる間にも深刻な状況になっている、かもしれない。仮に自分は大丈夫でもパートナーはどうか。月に1回のチャンスを逃さず、あと何回施行することができるのか……とにかく物事は早いほうが良いのです。

結婚にネガティブなイメージを持ってる人も多くなってきてると思います。子どもは欲しいけど結婚はしたくないとかね。男女問わず。
既婚者は確かにいいことはなんもいいませんよね。僕も昔はだからしたくなるわけないやろがいと思ってましたが。
結婚は、自分が幸せを得るためにするというものではないのだろうと思います。自分の幸せを得たいなら一人でいる方がいい。
それなのになぜ自由と引き換えにでも共同体を構成するのか。個人ではなし得ない、これより先に。これまでもこれからも連綿と繋いでいくのが社会に対する責任なのかなあと思っています。わかんないですけどね。
え?反出生主義?そうですか。

説教くさくなってきた感があります。
独身貴族は楽しい。自由だ。そのうえ全てが楽。が、しかし、重い腰を上げた時にはもはや手遅れという恐れがあると身をもって知ったので、みんなはもっと早く動いてほしいなというのが所期の目的です。界隈、ストイックですからね。よく考えたらいいかもしれない。
幸せになるとは(人によるし)あんまり言えないところがあるけれど。それでも肩にかかる責任の重さが心地よいです。

そんなわけで、共同体経営の勧めでした。みんなもこのろくでもない社会に対する責任をしっかりと果たしていきましょう。嫌?そっか~

おわり

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