みくり食堂という名前
2023.12月
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もがきながら、生きている。
できない事に、実は憧れて、
できる人に嫉妬しながら。
思わぬ評価(違うレッテル)を私だと決めつける人に囲まれていた頃、
何者かになりたいという野望を、たぶん持っていた。
そして、漠然と、違うっと叫びたかった。
その違うって感覚は、今も持ち続けている。
重い輪郭。
「栗ちゃん」という女の子の小説に出会った。
栗ちゃんは、ひとつだけ才能があった。
その才能でささやかに生計を立てていたが、
その才能に依存したあるお金持ちの、ひとりよがりな期待に応えられず、追放された。
彼女の幸せと、お金持ちの正しい幸せは、
混じり合うことは、できなかっただろうか?
追放された栗ちゃんは、かわいそうな人だっただろうか?
時がたち、
ある街角の、
片隅で、
ひっそり、
ただ、目の前に現れる誰かに
その才能を施し続ける栗ちゃんを見かけた人がいた、とお話しは終わる。
なぜその栗ちゃんに、ハッとしたのだろうか。
その時は、はっきりわかっていなかった、、、と今は思う。
ただ、いつか、栗のつく名前のお店をしようと、ふと思ったのだ。
そうして名付けた「実栗」は、平仮名の「みくり」となり、9歳半になった。
目立って注目される事が苦手だ。
小さな食堂を始めた頃、たくさんのお祝いの言葉をいただいた。
当時は、嬉しくもあり、
反面、非日常に感じて、
店を開ける事が早く日常になって欲しいと願うくらい、気恥ずかしかった。
ただの自意識過剰だと思う。
いつも、当たり前のように、そっと、そこにいられたら。
自分のできる楽しい事を不器用でもやり続けられたら。
平和な心で、自分の目の前の世界を幸せにできたら。
栗ちゃんのように。
店を始めて無我夢中だったが、いつからか気がつけば、少し落ち着いて、わりと心穏やかに過ごし、幸せでぼんやりしていた。
ところが、このところ、試されるような出来事が起こるのだ。
ザワっとする事柄と心。
ざわっざわざわ。
何のために起こるのか。
自己満足な未来が当たり前のようにやってくるつもりで生きていたのに、
今になって、未来は重いよ、と、過去が呪いをかけてくる。
まだまだ、私は孤独の筋肉をつけなくてはいけないのだろうか?
生きづらい気持ちの時、「今」は重い。
そして、過去と未来も重い気がしてくるのだ。
すべて幻。まやかし。気のせい。のはず。
淡々と、自分のできる事を、自分のために、する。
軽く受け止めて、受け流しましょうか。
重い荷物は、なるべく持ちたくないよね。
ぐずぐず言ってクヨクヨしてみても良いからさ。
自分をなだめすかしながら、やり過ごして生きていく。
私のために
すべて起こっている。
望んだように。
今は、何ものかになりたいと言うより、
何かを見届けたいと願っている。
手から生まれる尊く美しいものごとに、出会い続けたいのだ。
思わぬ波の高さに身をすくめても、
また浮かびあがり、穏やかな波打ち際であたたかい太陽に会えるかもしれない。
曲がり角の向こうは、こちらから見えないのだ。
私の心は、旅をする。
知らない風景を見て、通り過ぎていく。
その時にはわからなくても、体感した事はニュアンスとなり、いつか、宝物の原石となる。
やり過ごす。
自分を信じる。
祈ってみる。
何も考えない。
思いついてやってみたり、
やらなかったり。
笑いながら前へ進む。
泣きながら前へ進む。
前に進めるだけありがたい、進めるのであれば。
そうして、今を生きる。