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それは自分で設定してるでしょ、という話

時々は、島の移住者としての話をしてみよう。

私は2019年の秋に東北の仙台市から、今いる離島へ移住しました。
人口は2,652人、高齢化率は48%(2月末現在)。

(ちなみに移住してからの2年半で人口が145人=約5%減った様子。地方で暮らしていると、日本の課題は半径100m内に見えてきます。)

移住の直接的な動機は、10年ぶりに行った占いで「離島で暮らす」という選択肢をもらったため。帰宅してインターネットでちょっと検索して、見つけた島に決めた。

この島では人との距離が近くて、一歩外へ出ると知った顔に会う。

公共機関やお店の人も顔見知り。
宅配便の受け取りにサインは要らない。
記憶の中で車の車種と人物が紐づいている。
クラクションは鳴らさない。
高校はない。
小中学校はある。信号は1個。
人の入れ替わりは、わりとある。
もちろん、大自然もある。

それが島暮らし。

数えたことはないけれど、顔を知っている人はたぶん200人くらい。名前もわかる人は150人くらい。
移住者は目立つので、私のことを知っている人はそれの3倍くらいはいると思う。

3月末から4月上旬にかけて、島でのとある活動をきっかけに地域の方たちに注目され、質問をもらう機会が多く噂の人になった話をしました。

そのことにちょっと疲弊してしまったのだけど、その時に自分なりの気付きがあったので、今日はそのことを書いてみたいと思います。

そもそも私は「地域」とか「市町村」とか大きい主語への興味関心は人並みかそれ以下であって、「地域をよくしよう」「町をよくしよう」と思ったり、ボランティア活動に精を出すタイプではないのですよね。

そうではなくて、一人一人の人間に興味があって、一人一人の人生のことを知りたいし、皆が自分らしく生きていたらいいな、とはけっこう思ってる。その思いをベースに、人の人生に関わる仕事もしている。

移住というテーマにおいても、「移住したら、家族をつくって定住するのがいい」とか「島を出るのは残念なこと」とは全然思っていない。正論が好きではないし、一人の人間の人生を固定された価値観や型にはめたくない。

でも、自分が移住者という立場を経験したからこそ移住してくる人のことは大切にしたいなあ、と常々思っている。

この春に少しだけ注目された私は、とある活動をきっかけに「いいことをしている人」というポジションになってしまったように感じた。実際はちょっと自意識過剰で、そんなに強い関心を持たれているはずはなく、皆それぞれに日々の生活があるわけだけど。

でも、私は「いい人」になりそうになると抵抗したくなる。期待されていると感じて、怖い。変な話だけど、2019年に脱サラをしてからはとにかく「やめられない・やめにくい」という環境を自分につくらないように気をつけていた。

それが、なんらかの心のブロックや思い込みから来るものであっても、分析しない。違和感をほったらかさないほうが、大事だと思ってる。

疲弊していた春のとある日、道を歩いていたら件のとおり顔見知りにあった。隣の島から仕事で来ていた仲のよい友達。立ち話をした。なんだか、ほっとした。

なんで、ほっとしたのかな?と考えたら、その子は私に何も期待していなかったからなのです。

私がやることに興味があるのではなくて、私の気持ちの方に興味があって、私が幸せならそれでいいという雰囲気を感じた。

「ああ、この感じ、ひさしぶりだな」って思ったわけです。

あぶなく「ただの自分で生きていていいよ」ってことを忘れて、よけいな義務感や責任感を発揮するところだった。

それで本題なのですが、自分が周りの人たちから関心を持たれて声をかけてもらえる(そして、疲弊する)ことについて。

気付いたのですよね。

これって、すべて自分が「設定した中」で起きていることだよな、と。
なぜなら移住者って、謎な人の空気感を出して、地域と距離を置いて暮らすこともできるわけです。

でも、私はそっちの道を選ばなかったんだった。

この春に100人くらいの人に手書きの挨拶文と名刺を渡していたし(とある活動のため)、ふだんから初めての人に出会った時も「仙台から来ました」などと細かい自己紹介をしていたし、機会があれば感じのよいコミュニケーションをしていたわけですよね。

だから、「自分から言葉や質問をもらいにいってるじゃん」っていうことだった。

謎な人として存在していたら、「あの人は何をしている人だろう」と噂にはなっても、「何をしていますか?」と質問しにいく人はいないんですよね。

だから、ちょっとほっとした。
誰かが設定したわけではない。
自分なのです。
望むならば、希望する設定変更も自由にできるわけで。
なりたい自分のイメージに、自分の振る舞いをデザインしていけばいい。

そういえば、島に移住する6ヶ月前に11年勤めた会社を辞めたのですが、その時の「退職」と「移住」に関しても多くの人からいろんな言葉をもらいました。

「会社、辞めようと思う」と言った時に、「もったいない」とずいぶん反対されたよ。勇気を持って進もうとしている道を応援してもらえないことは、そんなにおもしろいことではない。だからそれもまた疲弊するわけですが、それはまさに「設定」だったなと思います。

会社員の人に会社辞めるって言ったら、そりゃあ反対する人もいるよね(周りの友人・知人は会社員が多かった)。それに、その人たちが見ていた私は「会社員」であることに馴染んでたわけだし。

会社を辞めて島へ来ちゃったら、もう自分のするあれこれに反対する人は一人もいなくなりました。
自由に自分の好きなことをする人、というイメージになってるのだろうと感じてます。

よく聞く言葉。

「環境を変えても自分が変わらなきゃ何も変わらない」

全然、そんなことはないと思ってる。

環境は人を変えるよ。

正確には、「環境を変えよう」と決断した瞬間からひと皮むけた ”新しい自分” になる。
その新しい環境で心を揺らして、思考が生まれて、言葉を発して行動して、気付いたら前とは違う新しい時間を過ごしている。

そして、周りの人との関係性は「設定」でつくられる。自分から歩み寄ったら、それにふさわしい応報がある。いろいろと質問してもらえたのは、私の心がオープンである証拠だったのですよね。


そんな春の考察でした。


いずれにしても他人の評価や言葉は関係なくて、自分の心が向くことを行動に移し、違和感を感じることは取り除いていく。自分に正直に、それをやり続けるしかないのだと思う。



みずうみ
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