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感情の池理論 | 朝はきていない

元気でも、元気じゃなくても、きますよね。さみしい人にも、さみしくない人にもきてます。

朝です。
朝がきた、という話。

ところで、朝って、本当に「来た」のでしょうか。

自分から、朝に、「行った」とは考えられないでしょうか。

朝・昼・夜という世界があって、自分からそちらに出向いたということ。

季節も一緒。
秋が来たんじゃなくて、自分から秋へ行ったっていうこと。
それで、栗ごはん食べたり、紅葉見たり、毛布を出したりした後は、冬に行く。

ところで、なんの理由もないのに、落ち込むことってありますよね。
特別な出来事はないけど、なんとなくさびしい、不安、イライラする。

理由がわからないと対処の仕方もむずかしい。よけいに落ち込むこともあります。

そんな時は、「感情の池理論」です。

すでに世の中にはこういう概念があるかもしれないけど、わたしが作ったオリジナル理論です。

感情は、池です。数は6個くらい。

紙に、6つの円を書くとイメージしやすい。池に、色鉛筆  で色を塗ります。

1.淋しい池 =青
2.怒りの池 =赤
3.悲しい池 =灰色
4.不安な池 =黒
5.楽しい池 =ピンク
6.嬉しい池 =黄色

なにも出来事がないのに感情に支配されている時は、この池に身体がつかっている状態なんです。お風呂みたいに。
自分の内側に感情が生まれたんじゃなくて、外側に感情があって、わざわざ自分からそこに出かけたってこと。

この考えのいい所は、「感情」=「自分」ではないので、そこから抜け出せるってこと。

「私が悲しい」のではなく、「私は悲しみの池につかっている」ということだから。池から出ればいいって話です。

とは言っても、悲しい時、さみしい時、不安な時は視野がせまくなるので、感情そのものが自分だって思ってしまいます。

だから、「誰にも愛されてない」とか「なんのために生きてるんだろう」とか「私には何の価値もない」などと頭がつぶやきます。

だから、せめて、「あ、今、さみしい池につかってる」って気付けるといい。

池から出る方法は・・・。

気持ちのよい池を選択すること。
気分転換に掃除をしたり、ドライブをしたり、気が進まなくても身体を動かしてみる。

でも、その感情が何日も続く時は「なんとなく」ではなく、ちゃんと理由があります。

その理由は、言語化すると情けなかったり認めたくなかったりして、「なんとなく」と思い込んでいただけ。

だけど、ちゃんと理由に向き合って現実的に対処することも大事です。なにか、自分の思い通りになっていないこと、我慢してることがあるはず。

「今に満足しなきゃ」とか「自分より大変な人がいるのに」とか思わなくていいです。どんな環境が、出来事が、自分の感情を支配しているのか探してみる。

たとえば、「あの人からメールの返信がきてない」とか、「仕事が思い通りに進んでいない」とか、「最近、誰ともお喋りしてない」とかかもしれないです。

最後に。

「感情の池理論」に該当しないものがあって、それは「喜び」です。

喜びだけは他者からもたらされるものではく、自分の内側にいつも備わっているものです。

もちろん、人と関わったり、外的要因で喜びを感じることはたくさんあります。

でもそれは、もともと自分の内側にあった喜びの種が、拡大してるイメージ。

自分の内側に喜びがあるって、強いんですよ。どろどろの池につかっちゃっても、喜びだけは消えることはないです。そう信じています。

みずうみ
https://mizuumi1980.com/

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