入院生活と学校生活について -子どもの血球貪食症候群/番外編-
子どもには、教育を受ける権利がある。
そして保護者には、教育を受けさせる義務がある。
日本では、それは感情的な「べき」論ではなく、憲法というあらゆる法律の頂点に君臨する最高法規で担保されている。
憲法にある以上、例外は許されない。
当然、長期入院をしている子どもにも、その権利は担保される。
次女が入院していた病院では、そのために院内学級を設けていた。
(冒頭から説教くさくなってしまった…)
院内学級とは
読んで字のごとく「病院内にある学級」。それが院内学級。…とも限らず、病院に隣接する学校に入院中の子どもたちが通う場合もあるらしいし、教師が病院に出張して授業を行う形もあるらしい。法的な規定がないため様々な形があるが、小児科のある国立病院や公立病院、地域の中核的な病院などでは、その病院の一角に教室を設置し、入院する子どもたちはそこへ通って、教師から授業を受ける形が多い。
次女が通っていた院内学級も、病棟内の一角に分教室が設置されている形だった。ちゃんと授業形式で行われ、時間割も用意されているし、中学生は定期考査も実施している。
かつては院内学校に通うには6か月以上の入院という条件があったらしい。ただし、2002年度からその条件は撤廃されていて、次女が通っていた院内学級では、おもに2週間以上の入院から通うことができる。
次女の場合は、しばらく状態が安定していなかったことや、特に初期段階は感染症に対する重症化リスクが極めて高かったことなどもあり、入院から1か月弱が経った段階で、院内学級に通うことを打診された。
「学校」という存在がもたらすもの
次女の通っていた院内学級では、学年に分かれてクラスが編成されており(一部の授業は他学年合同のものも)、毎週時間割もつくられていた。
前述の通り病棟内の一角に分教室があるため、時間になると職員の方が迎えに来て、そのときの体調や検査などのスケジュールを見ながら、行けると判断したら同じフロアの子たちと一緒に分教室に向かう。
交流のきっかけになるのは、どこの学校も同じ
実際のところ、検査が重なったり体調がすぐれなかったりする場合は当然休むことになるし、病院という特性上、入れ替わりも多い。だが、やはり学校というものはどこも同じで、同じ教室で同じ授業を受ければおのずと顔見知りになり、そのうちの何人かとは友だちになってしまうものらしい。
次女の場合は、院内学級や離任する先生を皆でお別れするときなど、いくつかのきっかけで同じ病棟にいた子たちと知り合いになった。特に入院生活の最後の2か月は、次女自身の病状が大きく改善して院内学級に通う頻度が増えたこともあり、彼らとのつながりが深まっていった。
しまいには、私たちも他の子と仲良くなり、その親ともつながり、その交流はそれぞれ退院や転院をして病院から半分以上の子がいなくなった今でも続いている。
同世代×あるあるネタは、どこでも人をつなげるらしい
同じ病棟と一言でいったが、正確には同じ病棟の同じフロアの子たち、である。次女が入院していたフロアは、小児がん(白血病など)や血液疾患(再生不良性貧血/血球貪食症候群など)を抱える子たちが多いところだった。当然、程度の差こそあれ、似たような治療をしている子も多い。
「あぁ、あの薬は飲みにくくてイヤだよねー」
「あっちの薬は飲みやすいから、全部あれならいいのに」
「今日あの検査の日だ。ベッドから出たくない」
「だよねぇ」
「輸血のときのあの感覚が気持ち悪い」
「あ、私はそれ大丈夫」
話の内容の重さに対して、なんと明るくあるあるネタを話すことか。
こういった日々を重ねていったことで、次女にとっての入院生活が必ずしも辛い思い出だけではなくなったことは、非常にありがたいことだった。
“転校する”からこそ重要なこと
制度上は転校することになる
とはいえ、院内学級に通うということは、ひとつの決断をすることになる。
それが「転校」扱いになること。
次女が通っていた院内学級は、制度上でもれっきとした「学校」であるため、元々通っていた学校との二重在籍はできない。したがって、元の学校から転出しないといけない。
復学できるかを考えること
日本の医療は優秀だと思うので、多くの入院児はいずれ退院する。だからこそ保護者としては、たとえ我が子の血液検査の数値が目を疑うようなものであったとしても、退院後の子育てや教育のことを考えておく必要がある。
「ただ生きていればいい」と親は願うが、子ども自身はただ生きているだけとはいかない。「生きているだけで満足」と自分の人生を諦観するには、7歳という年齢はまだ早すぎる。
次女は、元の学校のことが好きだったし、勉強も好きだった。だから、退院後には復学する前提で考えていた。もちろん、ただ復学できればいいというわけではない。“好きである”ことも含めて復学することができるかが鍵だった。
退院後に復学できること(制度面)
復学した後にちゃんと授業についていける(学校生活面)
これに関しては、ありがたいことに院内学級側と元の学校側の双方が上記の点を非常に尊重してくれて、双方コミュニケーションを取りながら、次女の学習内容についてしっかり引き継いでくれていたようである。
現在、次女は退院して元の学校に復学しているが(オンライン参加含めたハイブリッド型。これも次女の退院が近づいてきた段階で、学校側が準備をしてくださった)、今のところ次女は問題なく授業についていけている。
ケアすべきは病気にかかった子だけではない
登校前に準備していたこと
退院からしばらくして、復学した学校で授業参観が行われた。
学校と事前に打ち合わせをして、その日を退院後初の登校日と設定した(既にオンラインで授業には参加していた)。
実は、登校に際して、こちらには少しばかりの不安要素があった。
次女は、ステロイドの投与を今もしている。その副作用で、むくみ、過剰な食欲による体重増などが発生して、入院前とやや容姿が異なっていて、本人はそれをとても気にしていた。
正直なところ、クラスメイトたちがそれを茶化すとは思えなかったが、不思議に思ったり違和感を持ったり、それによって次女が質問責めにあったりクラスメイト側が何かしらのショックを受けてしまったりすることは避けておきたかった。
そこで、復学が決まった頃から、次女の病気やそれによって何が起こっているか、配慮してほしいことなどを簡潔にスライド資料にまとめて学校と共有し、それをもとに、転入先のクラスの担任の先生が事前にクラスで説明をしてくださっていた。
「クラスメイトがいなくなる」ということ
当日、授業参観が始める前に次女がクラスに顔を出すと、教室では次女の名前と「おかえりなさい」のメッセージ、クラスメイトによるアーチでの入室と大歓迎を受けた。その後の授業でも、1年生のときから仲の良い子を中心にすんなりとグループ活動に入ることもできて、次女にとっては最高の仕切り直しができた。
その歓迎を受けているさなか、隣のクラスの男の子が(そのときは休み時間で、1年生のときに同じクラスだった子や、長女とそのクラスメイトなども来ていた)不意に私に声をかけてきた。その子を仮にA君とする。
言いたいことを言い切ったからか、そのまま彼はあっさり踵を返して自分のクラスに帰っていった。
補足しておくと、このA君は次女と特別仲が良かったわけではなく、あくまでクラスメイトのひとりという距離感だった。次女からも彼に関する話題はこれまでほとんど聞いたことがない。
私は心の中で「君は本当に2年生か?」「なんて感受性豊かで、聡明で、言語化能力の高い子なんだ」と感嘆していたのだが、一方で「確かにその通りだ」と気づかされた。
私たちからは、家族・学校・職場以外には病気のことをほとんど伝えていなかった。子ども同士で定期的に遊ぶぐらいの人たちには、しばらく遊べない旨を伝える意図で入院のことを伝えたが、病名や深刻度までは話していなかった。
もちろん伝えられた側も、話題が話題だけに軽々しく誰かに話すことはできない。
だからA君にとっては、学校から与えられた「◯◯さんは病気で入院している」という情報以外は、何も得ることができない。
大抵の子は、クラスメイトが入院して学校に来ていないからといって、日々の生活の中で気に留めることはめったにないだろうし、A君も常日頃考えているわけではないだろう。
それでもやはり、「今まで当たり前にクラスにいた子が、冬休みが明けたら病気で来なくなってそのまま3学期が終わってしまった」という現実は、周りの子に少なからず心理的影響を与える可能性がある。
だからといって、誰かに何かができるわけではないのだが、そのことは心に留めておこうとは思った。