06|終末論から読み解くバンクシー(続)
2020年12月1日/記
先述したとおり、私はセレブの世界を知らないし、まったく手が届かない。届かないのにとやかく言うのは無意味のような気もするが、セレブの購買行動が美術界の価値判断に大きな影響を与えている可能性があるとすれば、無視もできない。だから一度くらいは自分なりの整理をすべきだと思っていたのである。それにバンクシーの活動がセレブの購買行動に対抗しながらも、複雑に絡み合っているので、ここでこの問題に触れておくのがちょうどよいと判断したのである。
現代美術バブル始まる
美術だって産業の一面をもつ。品物を生産して販売する以上、セレブ、ここでは富豪という意味だが、そうした人たちを相手にする美術があってもおかしくはない。むしろ骨董品や美術品を買うのは、今も昔もお金持ちの人たちである。典型的なのがクリスティーズやサザビーズといった有名競売会社のオークションで、歴史的名品が庶民の手の届かない高値で売買される。ところが今はいろいろと変わったようなのである。まだ評価が定まっていない現代作品や現役作家の作品でさえ非常な高値で売買され、それが美術的評価に影響を与えたり、庶民の関心ごとになったりするという。
社会学者の目で現代アートやアート市場を観察して書いたという、サラ・ソーントンの『現代アートの舞台裏』(注1、以後『舞台裏』)に、次のような記述がある。 (なお、私のこの論考では「美術」を基本用語とするが、引用その他の関係で「アート」と表記する場合もある)。
◆現代アートの売買に携わる人々が、世間の目というプレッシャーを感じるようになったのは、どちらかといえば最近の現象である。1950年代末までは、現役アーティストの作品が鳴り物入りで公然と売られることはなかった。(略)世間の人々は、ピカソが著名なアーティストであることを知っていて、「うちの子でも描ける」などと評していたかもしれない。だが、ピカソの作品につけられた価格にショックを受けることは決してなかった。価格が彼らの耳に入ることはなかったのだ。現在では、作品がオークションで高値をつけただけで、そのアーティストは全国紙の第一面を飾ることができる。(『舞台裏』)
これだけではちょっと分かりにくいが、かつては創造の場である美術界と、経済の場である作品売買、そして美術とは普段縁のない庶民の間には、一定の距離があった。ところが、1960年代以降になると現代アートとアート市場の関係が密になり、庶民も売買の金額に関心をもち始めた、ということらしい。
ただ、一気にそうなったわけではない。同書にアメリカの美術家ジョン・バルデッサリのインタビューが載っている。彼は、アーティストとカネの関わりが時代とともに変わってきたと語っている。「わしは、アートとカネが無関係だった世代の人間なんだ。それが、1980年代に入ると、とたんにカネが絡むようになった」「それまでは、コレクターなんてとてもめずらしかった。だから、彼らがやってきたら、まさしくそのお相手だ。わしは、そんな付き合いはご免だった」と語る。
もう一つ証言を引用しておこう。フランスのジャーナリストであるダニエル・グラネとカトリーヌ・ラムールが書いた『巨大化する現代アートビジネス』(注2、以後『巨大化する』)に、フランスの美術家クリスチャン・ボルタンスキーの発言が掲載されている。そのボルタンスキーは、「昔に比べて状況は大きく変わりました」と語る。
◆(昔、ギャラリーは)10人ぐらいのアーティストと、旧知のコレクターを30~40人ほど抱えていて、顧客のひとりと数時間事務所に閉じこもって、絵を見せれば、必ずといっていいほど何かしら売っていた。ところが現在は、この関係が消えてしまった。アートフェアかインターネットのサイトで未知の顧客に売るのが主流となり、あるアーティストを囲んでコレクターや批評家が集まっていた、家庭的で親密な場はもう存在しないのです。(略)かつては美術館の学芸員や批評家に力があり、彼らがアーティストを評価していた。そんな時代から個人コレクターや競売会社が実権を握る時代となり、現在は完全にマネーゲームになってしまった。(『巨大化する』)
「昔」というのはいつかだが、「私が若かったころ」という言い方もしている。ボルタンスキーは1944年生まれであり、若いとなると、1970年代までのことであろう。やはり1980年代には状況が大きく変わったと思われる。うむ、1980年代か、当時の日本はどうだったのだろうか。
村上隆のアメリカ体験
1980年代の日本は、それまでマイナーだった現代美術がようやく表舞台に登場してきた程度だった。現代美術バブルが始まっていた西洋と比べると、市場的には相当に遅れていたように思われる。そういえば、村上隆(1962~)がテレビ番組で、「日本には市場が成立していないので、アメリカに行った」という趣旨の話をしていたのを思い出した。2006年発行の『芸術起業論』(注3)を読むと、「ぼくはアメリカにいた12年前に、地下鉄の駅構内で鼠をよく見かけました」として、次のように書いている。ロックフェラー財団の招待でニューヨーク滞在を経験した1994年のことだと思われる。
◆太った鼠が小さい鼠を蹴散らす。
食料を独占している。
ぼくの見た芸術の本場の実情もそうでした。
太った鼠だけしか生き抜けない冷たい社会がごろりと転がっている。
中国人も、韓国人も、なりふり構っていません。
生きのびることだけに、全力を傾けている。
(略)
ぼくはアメリカで太った鼠になるしかない、と思いました。
小さい鼠から餌を守る。
生きることに必死になる。
他所者(よそもの)だから、所詮、猫が出れば、逃げるしかないのですが。 (『芸術起業論』)
海外での成功者のほとんどが、苦労話はしても、海外体験そのものは美化して語る。これほどあからさまに暗部を語るのは村上ならではのこと。もちろん、ぼかしているところや、強がりなどもあり、注意が必要だ。ただ、世界の富豪と関わりをもつ数少ない日本人作家であり、彼の発言は重要である。
その村上は、ニューヨーク滞在から帰ってきても「36歳になる頃までコンビニの裏から賞味期限の切れた弁当をもらってくるような、お金のない時期を経験」していたという。相変わらず日本には市場がなかったわけである。4年後の1998年にはUCLAの客員教授として渡米しているから、この辺りから彼の快進撃が始まったのであろう。
みんな、正気を失うぞ
先ほど触れたバルデッサリのインタビューに戻ろう。このインタビューは、2006年のスイス・バーゼルのアートフェア会場で行われたという設定になっている。「前夜、バルデッサリはアートフェアにからむ悪夢にうなされ」、眠れぬ夜を過ごしたというほどアートフェアを嫌いながら、それでもちゃんと会場にいる。
かつてはコレクターとのディナーなどに同席するのはご免だったバルデッサリだが、「ゆっくりとだな、ふむ、あのコレクターときたら、アートに詳しいぞ、まんざらでもないぞと気がついて」十把ひとからげで批判してはいけないということが分かったのだという。それでも芸術的価値と金銭的価値の関係に話が及ぶと「カネで質を測ることはできん。そう考えるのは、ごまかしだ。そんなことをしたら、みんな、正気を失ってしまうぞ!」と気色ばんだそうだ。
バルデッサリは1931年生まれだから、当時75歳くらいの老作家である。長く美術学校で教鞭をとっていた人なので、カネに困ってということでは、おそらくない。金銭以外だとしたら、評価か、名誉か。美術家として注目を集め続けるためには、悪夢を見ながらもアートフェアに通わねばならないのだろうか。いつの間にか、見せる見るだけのアートエキシビションよりも、売り買いのアートフェアの方が人々の関心を集めるようになっていたのかもしれない。
アートフェアは1990年代に入ると雨後の筍のように増えていったらしい。いつだったか知り合いの美術家がアメリカのアートフェアに出品し、帰ってきてから興奮気味に語ってくれた。「世界の金持ち連中が自家用ジェットで飛んできて、それからリムジンで会場にやってくる。リムジンだらけだった」と。いわゆるジェット族である。『巨大化する』がその様子を描いている。
◆現代アートはまた、小さなアートの世界を新たなセレブ集団「ジェット族」(世界を自家用ジェットで飛びまわる金持ち族)にしてしまった。この世界を構成する画商やギャラリスト、キュレーター、コレクター、ジャーナリストらは、世界中のアートフェアを駆けめぐっている。彼らの夜はとにかく忙しい。オープニングや個人的な会食など、豪華な宴が連夜続くのだ。 (『巨大化する』)
こうも言う。「アートの世界で、欧米、アジアまで含めて先頭に立って踊っているのは『100人』である」「この100人は互いに知り合いで、定期的に交流し、常に競争し合っているくせに、結託することもある」。この100人こそ先ほどのジェット族の先頭集団である。「彼らは大コレクターであり、大画商であり、なかには美術館の学芸員やアートフェアのディレクターや展覧会コミッショナーもいれば、アート・アドバイザーや批評家もいる」「重要なのは、彼らが力を持っているということだ。それは彼らが賭ける金でも、彼らが及ぼす影響力でもいい」というわけだ。
彼らが一種の国際的ネットワークを形成して、アート業界の中核にいるが、さらにそれぞれが各自のネットワークに所属しているという。こうした複雑な業界ネットワークが作品の値段や評価に多大な影響を及ぼす。もちろんアーティストは生産者であり、作品取引の源泉なわけだから、すべてのネットワークはアーティストがいてこそ生きてくる。その代わり、売り出してもらうには、このネットワークの面々に認めてもらわなければならない。『巨大化する』は、こう断定する。アーティストがいないと何も始まらないが、しかし「彼はゲームの支配者ではない、捕虜」なのだと。
アーティストの地位は、かつては専門家による芸術的評価や美術愛好家の人気といったものだけに依存していた。しかし、それはひと時代前の話である。今日では、もっと露骨な欲望を織り込んだネットワークがリードするから、いっそう複雑で猥雑、流動的、不透明にならざるをえないのである。
加速する現代美術バブル
現代美術のバブルが一段と明瞭になったのは2000年を過ぎてからのようである。とはいえそれ以前からすでに現代美術作品の高額化は進んでいた。『舞台裏』によると、「1988年、サザビーズにおいて、ジャスパー・ジョーンズのFalse Startが1770万ドルで落札された」という。当時の日本では約19億円と報道されたように記憶している。ジョーンズは、ネオ・・ダダやポップアートで知られるアメリカの有名作家であり、芸術的評価も高い。が、この19億円が適正価格かどうかとなると、高額すぎてまるっきり見当がつかない。
そして「それ以来、2007年6月にデミアン・ハーストのLullaby Springが2270万ドルで売れるまで19年間にわたり、現役アーティストの作品のオークション落札価格として、このFalse Startが断続的に史上最高記録を保持していた」という。「断続的」の意味が不明瞭だが、ここでは放置する。なお、「デミアン」は「ダミアン」と書くことも多い。
ジョーンズ作品の高値に驚かされたが、ハースト作品にはもっと驚き、呆れた。ハーストは1965年生まれであり、1930年生まれのジョーンズよりはるかに新しい時代のイギリスの作家である。1990年代に頭角を表し、動物をホルマリンに漬けた作品などで知られる。その高額化は芸術的評価なのか、それとも今ときめいているから、あるいは投機が目的なのか。いろいろあるのだろうが、ハーストを売り出したとされるチャールズ・サーチの場合、緻密な計算と戦術によって高額化を実現させているようだ(注4)。
ハースト作品が高額で売れた2007年以降、すさまじい勢いで高額化が進む。同年11月にジェフ・クーンズ(アメリカ、1955~)作品が2360万ドル、さらに翌年の2008年5月、ルシアン・フロイド(イギリス、生まれはドイツ、1922~2011)の作品が3360万ドルで売れた。いったい日本円でいくらか、いちいち調べるのも面倒なので、20数億円、30数億円と言っておこうか。そしてこれらの作品を買ったのは、「こうした金額が、はした金と思えるような億万長者」(『舞台裏』)だとのことだ。現代アート、とりわけ現役作家の作品がここまで高額化すると、お金のインパクトは強く、美術界のあり方や評価基準を破壊してしまう。バルデッサリやボルタンスキーが戸惑うのも当然である。
この頃、村上隆の《My Lonesome Cowboy》が約1500万ドルで売れた。落札したのはウクライナの鉄鋼財閥を率いる富豪で、2008年5月のことである(『舞台裏』)。日本円で約16億円、現役日本人作家の作品としては最高値であろう。
大コレクターは欧米の富豪や中東の王族とは限らない。ロシア、インド、中国などの新興富豪にも広がっていった。そして以上のような国際市場の影響を受けて、日本国内にも現代美術のミニ・バブルがあり、その恩恵を受けた若手作家がいたようである(注5)。しかし、2008年のリーマン・ショック以降の経済悪化で、おそらくバブルは縮小していったものと思われる。
ところが国際マーケットでは、縮小する気配がないのである。ハーストやクーンズ作品が高値で売買される中、2010年にジョーンズの《旗 1966年バージョン》が2864万ドル、2014年には《旗 1983年バージョン》が3600万ドルで落札された。後者は日本円で約41億6000万円だという。ジョーンズは、なおも価格の最前線を走り続けていたのである。
しかしこれで驚いていてはいけない。2018年11月にデイヴィッド・ホックニー(イギリス、1937~)の絵画が9030万ドルで落札(注6)。ところが翌年5月には、クーンズの金属製彫刻《ラビット》が9107万5000ドルでトップに立ったのである(注7)。両作品とも日本円で100億円を超える超高値である。よく買えるものだなあと思うのだが、リーマンショック以後も富めるものは富み続け、貧しいものは・・・・、の結果というほかない。
さてさて、こんな話は聞くのも語るのも、もうウンザリである。しかし、市場の流れを少しは把握していないと、現代美術の現状を見失い、かつての価値観への愛着に引きずられ、芸術の城に籠城する結果になりかねない。今は城外に意識を向けよう。
金持ちたちの気持ち
現代美術作品を高額で買う人たち、すなわち世界の富豪たちは、どんな思いで買うのだろうか。ネットワークがどうであれ、異常な高値で作品を買う富豪がいなければバブルは起きない。富豪とはまったく交際がないから、まずは村上隆の発言に耳を傾けたい。けっこう正直に語るところがあって、面白い。村上は「芸術を買うのはお金持ち」だと明言する。
◆西洋社会と日本社会では大金持ちの桁(けた)が違います。 価値観がまるで違う人こそが顧客という現実を、まずは受けいれなければなりません。 本来ならばわかりあえない人たちと、どう深く濃く交流していくかを考えねばならないのです。 価値観の違う人のことを考えれば、作品は確実に変わってゆきます。ぼくの作品はそうして世界と渡りあう中で進化を遂げたのですから。(『芸術起業論』)
その大金持ちがなぜ高額で作品を買うのかだが、村上によると、社交界での一話題として「社交界特有の自慢や競争の雰囲気と切り離せない」とのこと。また、「アメリカの富裕層には評価の高い芸術を買うことで『成功したね』と社会に尊敬される土壌があります。そういう人たちが、商売相手」だと。
ここまではよく聞く話だ。しかし、作品の値踏みをするコンサルタントが存在していて、「富裕層は価値のある安全牌の作品を買うのですが、同時にコンサルタントは売買の現場で『作品の物語』を作りこんで」いるという。なるほどコンサルタントが巧みに富裕層を駆り立てる様子が想像できる。『巨大化する』でも、欧米の大コレクターで、購入する作品を自ら選んでいるのはほんの一部で、多くが信頼するアート・アドバイザーを頼りにしていると指摘している。
が、問題はここからだ。たとえ取り巻きに煽られたとしても、最終的な決定権はコレクターにある。切り裂かれた牛のホルマリン漬け、金属製のウサギ、精液をまき散らすフィギアなどは、美術史的な評価が定まったとは言い難く、先ほどの堅実な富裕層とは結びつかない。むしろ富裕層の一部に安全牌主義から大きく逸脱した人たちが生まれてきたのか、あるいは富裕層全体の教養傾向に異変が起き始めたということか。
案の定、安全牌を強調したはずの村上の発言は、途中でねじれ、特異な購買行動にでる富豪たちの、異常な精神状態に向けられる。村上によれば、「壊れた世界で命を燃やさなければいけないお金持ちの『物足りなさ』が芸術に」向かうという(『芸術起業論』)。あれっ、「社会に尊敬される」「安全牌」といった話とはずいぶん違うんじゃないのか。
ビートたけしとの対談本『ツーアート』(注8)では、次のように語っている。「心も含めて何もかも、金で解決してきたんだと思えるような。そういう人たちっていうのは、なぜか最後は必ず芸術に向かうんです。自分の見えないダークサイドを確かめるように」と。また、こうも語る。
◆アートの魅力、魔力ってなに? っていうと、やっぱ突き抜けた世界への渇望なんですよね。お金持ちが、芸術品を何であんなに高いお金を出して買うかっていうと、金持ちはドラッグも死ぬほどやってきたしうまいものも食ってるし、性的なことでもあらゆる欲望を満たしているはずだけど、辿り着けない「心の空白」がある。(『ツーアート』)
村上が富裕層のプライベートまで見聞きする立場にあるとはとても思えない。おそらくは伝聞。ただ、こうした富豪がいるとして、彼らなら異様な精神状態と特異な購買行動とは結びつきそうである。そして彼らの「心の空白」を埋める作品があっても全然おかしくはないのである。
お金を浄化する芸術
問題はさらにその奥であり、村上がこうした富裕層の購買動機を特別視しすぎている点にある。特別な金持ちには特別な心の空白があるかのように讃えられると、さすがについていけない。また、一方で「お金」「お金」と正直に言いながら、他方では古めかしい「芸術」「芸術」という言葉を叫び続ける。芸術は、まるでお金を浄化する呪文のようではないか。
お金が芸術活動の基盤として大きな要素であったことは認めねばならない。村上はこの点では容赦のないリアリストである。だが、なぜか「芸術」については異様にうぶで、その辺りが不思議でならない。たとえ富豪の心は病んでいても、その精神の最奥は神聖であり、そうした神域に奉仕する芸術は清浄だというのだろうか。まるでファンタジーである。
巨額のお金が動いていても、冷静に見れば、一部の富裕層に巣くった心の病とそれを慰めるアーティスト、そんな構図が浮かび上がるだけである。村上が言うところの「壊れた世界」、すなわち私たちの世界では、金持ちも病み、貧乏人も病み、皆が病んでいるからこそ、世界は壊れた状態にある。ここまで病んでしまった世界に何が必要なのかが重要なはずだ。一部の金持ちの心が慰められて片付くような話ではない。さらに言えば、世界が壊れているのに芸術だけが無傷というのもヘンで、あまりにも都合が良すぎる。
村上の主張の中で、もう一つ違和感があるのは、欧米のルールを踏まえた競争が必要という点である。『芸術起業論』の冒頭から、なぜ日本人アーティストが片手で数えるほどしか世界に通用しなかったのかと問いかけ、「欧米の芸術の世界のルールをふまえていなかったから」と断定する。成功者が語るのだから説得力がある。しかし、ここで言う欧米ルールは、すでに見てきたとおり、ほんの一部の富豪とその取り巻きたちが作ったルールにすぎない。この点を錯覚してはならないのである。
村上は、この欧米ルールによって自分の居場所を見つけた人。だから、当然といえば当然、特権階級に依拠する芸術こそ本来だとし、芸術の平等な享受を否定する。また、貴族的文化からの脱落を促した日本の戦後民主主義を非難する。第二次世界大戦後の民主化の過程で日本には階級社会がなくなったと指摘し、その影響を次のように語る。
◆日本の戦前の美術は言ってみれば、貴族の抱えたもので、それなら世界の美術にも通じていましたが、戦後民主主義の世界には「美術はすべての人の理解できるものであるべき」と認定されてしまいました。 しかし欧米の美術は平等に楽しめないものです。 美術はコストが異様にかかる遊びです。 欧米の美術は階級と共に形成され、そのことで美術界に資金が投入され活性化され生きのびてきたのです。 「平等に享受されるべき美術」には金銭面の活性化が起こりませんし、富裕層の集まる美術市場も日本ではできませんでした。(『芸術起業論』)
戦前の「貴族」とは、近代貴族である華族、あるいは近代化の中で成長してきた資本家のことなのか。さらに別の? ともかく、戦前に成長し、破綻した特権階級の文化については、「骨董」というテーマで、あらためて論じたい。いわゆる財界茶人などがその一例である。
村上の著書を読むと、戦後的な平等や公平に対する自嘲的な失望感が感じられる。理念は美しくても実現できなきゃ意味がない、やはり現実問題として「力」と「金」が必要、等々。村上だけでなく、いろいろなところから、そんな声が聞こえてきそうだ。自分の記憶だけで書くので、某氏としておこう。アメリカの有名美術館の学芸員だった人で、帰国してから華やかな学芸員時代を懐かしむ本を出版した。その某氏が某講演で、「平等を基本とした日本の美術館に未来はない、特権階級のいるアジアの美術館に期待する」といった趣旨の話を語った。
聴衆の多くは、学芸員志望の若い女性たちだった。彼女たちは、その多くが庶民階級の出だろうから、某氏が期待するような社会の中では、特権階級のシモベにしかなれない身分である。それなのに目を輝かせて話を聞いている。戦後の日本では、特権とか身分とかは、とりあえず他人事であり、その厳しさや不合理に思い至るにはかなりの想像力がいるのだろう。
多くの優秀な人材が日本(あるいは世界)の状況に嫌気がさし、理念を置き去りにして、見切り発車したかのようだ。それは、どう見ても、まともな発車じゃない。いくら戦後民主主義に失望したとしても、あるいは問題があるとしても、貴族や特権階級に期待するなど、論外である。そうしたことは時代劇の中だけに収めておいてほしい。
おそらく論理ではなく情念、この時代を否定したいという情念が動機になっているのではないか。私としては、日本には日本的な民主主義を生かした別の道、別の可能性があったと思うのだが・・・。平等や公平が失速し、格差が拡大固定しつつある今の日本では、もう手遅れかもしれない。
しかし、そんな中で、バンクシーが存在感を示し始めた。興味深いことに、彼の作品が指し示す理念は、典型的なほどに、リベラルなのである。
(つづく)
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