卵膜付着でも産めた私の個人的体験(2)
卵膜付着と診断された後、お腹の張りで夜間救急にかかり、翌日から会社に行かなかった私だが、会社を辞めたわけではなかった。
社長に相談し、在宅に切り替えてもらったのだ。この社長が子を産むことに関してはとても理解のある人だった。というか、めちゃ推進派。セクハラパワハラのハードルをなぎ倒して、いや踏み壊して「子どもをつくった方がいい」と何度も言われた。
純度100%の善意で言われるので不快にはならなかった。自身は子がおらず、その後悔をさせたくないという親心からだった。でも不快でないとは言えストレスだったので「仕事がら、たくさんの人と会い、たくさんの人からお子さんはまだ?と聞かれる。社内でも言われると超ストレスなのでやめてほしい」と言うと、「分かった」と言ってやめてくれた。
産後伝え聞いた噂では、後から結婚した若者たちが次々出産していくので私がかわいそうだったらしい。
会社に行かない選択をしたのは、この社長に聞いた話が耳にこびりついていたからだ。「知り合いで、3回流産した夫婦がいる。4度目の妊娠が分かった時、旦那がとにかく動くなといってとことん奥さんを安静にさせたら、無事産むことができたらしい」
取材だなんだと動きまわる私を見て、教えてくれた話だ。医学的根拠なんかないかもしれないが、私もこれをやろうと思った。37才、後が無い焦りがあった。
「ここまできて、ダメになったらつまらんだろう。こっちも気分が悪い。謝らなくていい。明日から在宅でいい」
別にうちの社長は人格者というわけではなく、色々あるのだが、コトこどものことに関しては感謝してもしきれない。在宅でできる仕事に切り替えてもらい、打ち合わせは近くのカフェ。それにしたって歩いたり電車に乗らなくてすむよう、タクシーを使わせてくれた。雨の日は、滑って転んだら恐いからとミーティングを中止にさえしてくれた。書いていて、改めて恐ろしいほどサポートされていたと感じて今慄いている。
上司、後輩、部下、PAさん・・・全方位に迷惑をかけた。だから絶対に結果を出したかった。今でこそ愛しい愛しい我が子だが、振り返ると当時は何かをこじらせて、まるで仕事で成果を出すかのごとく考えていた気がする。
在宅勤務を始めてから、とことん私は動かなかった。歩くのはトイレとお風呂の時だけ。徒歩2分のコンビニさえ行かず、食材は夫がスーパーで買ってきた。たまに自炊もするが、お腹が張っていると感じたらお惣菜を買ってきてもらった。
お腹が張ったら安静にとよく言われるが、私は仰向けに寝転ぶとお腹が張るタイプだった。だから座ってみたり、横を向いて寝てみたり。横を向いて、お腹の下に柔らかいクッションを入れて高さを出すと多少張りが軽減された。24時間、家から出ることなく張らない体勢を探り続けていた。
つわりは、ほとんどなかった。吐き気は無くひたすらに食欲だけ増した。お腹の中の子が栄養を欲しがっている気がして、私はよく食べた。動かず食べるのでぶくぶくと太っていった。45キロだった体重は最終的に60キロを超えた。顔も変わり、特にお尻はスイカを2つぶら下げているかのように巨大化した。
かわいいマタニティウェアを着て、お腹に慈しみの声をかけて我が子との出会いを楽しみに過ごす・・・みたいなことを夢想していたが、私は妊婦モンスターに変わっていった。自分のビジュアルなんてかまっている気分じゃなかった。
(3)に続きますが