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卵膜付着でも産めた私の個人的体験(5)

便意としか思えない陣痛を合図に、私の出産が始まった。お医者さんによると、これは便意ではなく赤ちゃんが出ようとしているのだと言う。陣痛室で横になり、ほんとにはじまるの?とふわふわ自覚がないまま、夫の到着を待った。

仕事を早退して2時間後くらいに、夫は病院に着いた。出産に間に合ったねなどと思っていたが、後に取り越し苦労だったと気づくことになる。産まれるまで27時間かかったからだ。

へその緒が切れて赤ちゃんが窒息しないか観測するために、私はおなかにベルトのようなものを巻かれて心音を確認していた。

ドクンドクンドクン

胎児の心臓は、びっくりするほどはやく拍動していた。ベルトを巻いていると異物感があって邪魔だ。助産師さんが、途中で「とりましょうね」と気遣ってくれたが「心臓が動いている音を聞いている方が安心です。つけておいてください」と頼んだ。

いきみたい感覚はどんどん増した。しかし、子宮口がなかなかひらかない。「今いきむと赤ちゃんが窒息してしまう。いきまず力を抜いて」そう言われたが、難しい。赤ちゃんは出たくて降りてこようとする。

汚い例えだが、うんぴーが意思を持って出てこようとするのを、力を逃してさせまいとしているような感じだ。

隣のベッドには知らない人がいるのに、叫ぶなんて恥ずかしい。きっと私は無言のまま出産するだろうと考えていた過去の自分を100発ビンタしてやりたい。何の恥も外聞もなく叫んでいた。痛いんじゃない。叫んでいないといきんでしまうのだ。

いきみを逃そうとしても、つい力が入りそうになる。陣痛室イチ吠えている私を見かねて、助産師さんが木馬のようなものを持ってきてくれた。乗ってゆらゆらしていると力が抜けますよ、と。

ゆらゆらゆら…ほんとだ、少し力が抜ける。

ゆらゆら……はぁーーーーーーーー!!!!(叫ぶ)

無理だった。

そんなことを繰り返しながら、陣痛促進剤を打たれながら時間は経って行った。ゴールの見えない苦しみに何度も絶望しそうになった。

この間、夫は何をしていたのかというとテニスボールでひたすら私の肛門を押していた。事前に、出産にはテニスボールが必須とは聞いていたが、最上クラスに必須すぎた。20時間以上ただただ押し続ける夫はぐったりしていた。

かわいそうに思ったが、力を抜かれると今にも出そうになる。「力入れて!押して!弱い!」と叱咤し続けた。

陣痛促進剤の2回目も効かなかった。もう限界の私は「お腹切ってください」と医師に懇願したが聞き入れてはもらえなかった。

(6)に続きます

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