卵膜付着でも産めた私の超個人的体験(3)
実家に帰らなかったのは正解だと思う。電車で羽田空港まで1時間以上。飛行機でもじっと座っていないといけない。止まるとお腹が張る派の私には無理な移動だ。と、今も思い込んでいる。
私は帰るのではなしに、実家を呼び寄せた。狭いマンションに住んでいたので近くのマンスリーマンションを借りて、出産予定日の2週間前から父母に滞在してもらった。買い物や重い物を動かすのは父に。料理や洗濯など家事は母にしてもらい、ますます動かない生活に突入した。
予定日の2日前の朝、等間隔の「便意」を感じた。等間隔と言えば・・・陣痛だ。だがしかし、どう吟味してみても便意だ。試しに計ってみると、10分間隔でうんぴーが出そうになっていた。事前に病院で、「妊婦さん本人が電話してきてください。声を聞いて助産師が判断します。本当に陣痛の時は、痛くてうまく話せないはずです」と聞いていたが??一応電話し、10分間隔で赤ちゃんではなくうんぴーが出そうだと伝えると、助産師さんから、まー、一応来るようにと言われた。母は、便意をこらえる娘を見て、ちがうんじゃない?と言っていた。
本人、母、助産師さん。全員が違うよね?と思っている中病室で調べると、陣痛だった。ただまだ子宮口が開くのに時間がかかりそうだから一旦帰って、陣痛の感覚がもっと短くなったらまた来てくださいとのことだった。
帰り支度をして、病院の1階のトイレに行くと便意が我慢できないくらいになってきた。いきみたいが、いきんでいいのだろうか。
産科に電話して、もう入院してもいいかと聞くとOKが出たのですぐに戻った。こんなに出そうなのだから、これが赤ちゃんだとしたらせいぜい2〜3時間で産めるのでは?これが最後の勝負だ。やっとここまできた。へその緒が切れませんように。赤ちゃんが無事産まれますようにと、願っていた。
実はここに来るまでに、一悶着あった。私は普通分娩ではなく帝王切開を望んだが叶わなかったのだ。卵膜不着が判明した場合、出産時に臍帯・・・臍の緒が切れて死産になる恐れがあるため、出産方法を帝王切開に限定する産院もあるらしい。それを知り、全く普通分娩にこだわりの無かった私は、安全に産むことをチョイスしたかった。だが、その大学病院は普通分娩を推奨していたのだ。先生には下から産みましょうと言われた。
助産師さんとの面談で臍帯が切れる不安を伝えると「ネットで調べたりしましたか?じゃあ、不幸な事例も目にしましたよね。大事な決断なので、帝王切開の件はよく先生に言った方がいい」と返された。
私の不安を察したかのように、我が子はその後逆子になった。逆子になれば晴れて帝王切開だ。病院でもそう告げられ、帝王切開のママが受講するクラスを予約した。先生が、予定日の1週間前くらいに帝王切開の予約を入れましょうと言って予約表をめくった。
「・・・いっぱいですね。キャンセル待ちしましょう」
(4)に続きます