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約10年連れ添ったシャープペンシルが老衰で亡くなった

2024年8月16日 台風の日

パキッ

それは突然だった。

強風が吹きすさび、大雨の中ずぶ濡れでなんとか出社した仕事中のことだった。

急いでメモをとるため、いつものシャープペンシルをノックしたとき、芯ではなく芯タンクが出た。

「わぁ シャーペンが折れた……」
私の理性的で小さな嘆きは、オフィスの騒がしさにかき消された。
一緒に作業をしていた後輩だけが、少し心配そうにこちらを一瞥した。
彼女を除き、世界は何にも気づかなかった。

私はモノを大切にするタチである。
また、そもそも私はモノを妥協して買うことがほとんどない。ほぼ全てのモノが、私にとってかけがえのないものなのだ。たとえそれが110円のシャープペンシルであっても。

私は壊れたものに対し、素人なりにできることは必ずすると決めている。
これまでも、ちぎれたキーホルダー、壊れたファスナー、割れた傘のつゆ先に、剥げた合皮の鞄など、修理を試みたものは数知れない。

インターネットが高度に発達した現代においては、何らかの修理方法にはすぐたどり着くことができる。たいへん良い時代である。
その道のプロが居れば依頼をするが、居ない場合は眉唾な方法も含めて検討し、自己責任で修理を試みている。
今回も、なんとかなるかもしれない。私は壊れた部分をジッと見つめた。

症状はすぐわかった。ペンの先端と軸をつなぐネジ部分が割れている。
私は悟った。
致命傷だ。これはもう助からない。
近年は積年の酷使によりグリップの部分も伸びて剥がれかけてきていた。筆記には問題がなかったためそのまま使い続けていたが、ついに限界を迎えてしまったのだ。

私はシャープペンシルの亡骸をそっとデスクの端において、別のペンで仕事を再開した。

そうしているうちに、ジリジリと背後のキャビネットから焼けるような視線を感じた。
私はペンを走らせる手を止めた。
これはアロンアルファの熱視線だ。
「俺にやらせてみろ」
そう言わんばかりに、あの小さな容器に入った傑物が私の背中を灼いている。
いや……。アロンアルファくん、たとえ君の力でもこれは……。

私はモノづくりが出来るわけではない。
それでも、わかる。
これはアロンアルファの力で一時的に止めたところでどうにもならない。
芯をノックするたびに圧力がかかり、すぐに同じところが割れる。
これ以上の延命措置は、かえってシャープペンシルを苦しめるだけだ。

私はアロンアルファをなだめるように、一度だけ背後のキャビネットの方を振り返ると、また仕事に戻った。

シャープペンシルとの付き合いは短いものではなかった。
正直、これを買った時期は定かではない。およそ10年前頃だろうと思われる。
PILOT製、名前はレックスグリップ05、色はイエロー。
山吹のような色が、見ていて心地が良かったため購入したものだ。

もともとは、別の色のシャープペンシル、つまり先代を何かのイベントのお土産として頂いたことに始まる。
それ以来、長時間の過酷な筆記にも耐えうる本体の軽さ、持ちやすさが気に入ってこのシリーズを使い続けている。
最低でも2010年の写真には、先代で作業しながら、よっちゃんイカを貪る私が写っているくらいだ。
最早、人生を共にしているシャープペンシルと言っても過言ではないのだ。

そう、それはたとえば大学の講義、レポート、ゼミ、レジュメ、卒業論文のとき。
小説や詩の下書きを創作するとき。
就職活動のエントリーシート、教養試験、論文試験のとき。
就職し、研修から配属後、現在に至るまで。
先代を含めた場合、高校の定期考査や大学受験のときから。
このシャープペンシルは私と共にあったのだ。

終業後、私は鞄のポケットにシャープペンシルの亡骸を入れて、自宅に持ち帰った。
これ以上割れないように優しく、いつもより慎重に家路についた。

2024年9月、私は久しぶりに人生の岐路に立たされた。
ペンのはこび一つで、私の人生が変わる。

その日、私の手元には数日前に購入したシャープペンシルがあった。
ボディ、グリップ、ペン先、消しゴムに至るまで、すべてがピカピカ。
くすみ一つない山吹色。
二代目だ。

自宅にあるペン立てには、同じ型のシャープペンシルがもう一本いた。書き心地はこれでも変わらないだろう。しかし、猛烈なプレッシャーを耐えるためには、視界のなかに走るペンがいつもの山吹色である必要があったのだ。

新品のシャープペンシルは、くたびれた私にはあまりにも眩しかった。
そして、新人のようなたどたどしさを感じた。
それでも私はペンを走らせなければならない。
できれば、いつものシャープペンシルにそばに居て欲しかった。

へとへとになりながら帰宅すると、いつものシャープペンシルは机の上に横たわったまま、私をジッと見つめていた。

「やっぱり君がよかったよ」

緊張した高い筆圧を初めて耐えきった二代目には聞こえないよう、私は小さな声でつぶやいた。
もちろんペンは何も言わない。
しわがれた声で「そうかい」とでも言ってくれたなら、まだ気も紛れるというのに。

私はまだ、シャープペンシルの亡骸を捨てられそうにない。

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