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あぁ、筒井先生原作の映画ができたんですね。 題名『敵』
未だ読めてない本を積み重ねているさまを ”積読”と言うそうですね。最近その言葉を知りました。
この言葉を知った時、妙に居心地の悪い気分になってしまいました。
本を読むようになったのが小学生くらいかな。
あの頃は1冊読む度に世界が広がった感覚がして夢中になってあれこれ読んだ記憶があります。
しかし読みたい本を次から次へと買えるわけもなく
学校の図書室に通うようになりますが、ここですでに積読予備軍の片鱗が出てしまいます。
そう、何冊も一度に借りては返すのが大幅に遅れてしまうという事を繰り返すのです。
結局読みきれずに未読のまま返す事を繰り返して図書委員のおねえさんに怒られたりして図書室が縁遠くなったり
ほとぼりが冷めると何事もなかったようにまた通いつめたりで
大人になった今もまったく成長していない節操のない今の自分に気が付き唖然となるのです。
人なんて、本質は子供の頃からあまり変化しないもんなんですね。
そもそも日常は、それ程読書に没頭ばかりしていられないのですし
友達と遊ばなくてはならないし、勉強もしなくてはならないのですし。
ここら辺で私は筒井康隆著書の本に出合います。
ハッキリ言って衝撃でした。
そりゃそうです、筒井先生の本ですもの、小学生には刺激が激強で
へんな話ですが、筒井先生の本を読んだ事で、元々読んでいた星新一先生の本と藤子不二雄先生の漫画が頭の中でストンと同じカテゴリに落ちたような奇妙な感覚があったのを覚えています。
変幻自在なテーマや筒井先生の叡智に触れる度にハアハアしたりドキドキしたり
よく理解出来ない表現が出てきたら妄想で補完したり。
なぜか筒井先生の本はおこずかいを貯めて買わなければダメな気がして
借りて読むというような事はなかったです。
そもそも図書室には置いてなかったように思います。
月日は流れてYouTubeで筒井先生原作の ”敵”と言う映画の話題を目にしました。
筒井康隆ファンを自覚している癖にこの原作本の存在は知らなかった自分を責めつつ
急いでネットで探してポチッと発注し、届いた本をサクッサクッと筒井先生の叡智を堪能したわけですが
横目で本棚を見ると、まったく1ページすら読んでない本が12冊もある事に愕然となる今日この頃なわけなのであります。