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ニュージーランド唯一のお城

前回、19世紀の後半(1860代〜1870年代)に最盛期を迎えたニュージーランド南島のゴールドラッシュについて触れたが、その栄華の遺産とも言えるニュージーランド唯一のお城がある。

建設当時、施主であったウィリアム・ラーナック氏は「the Camp」と呼んでいたそう

建設の経緯

オタゴ半島に位置するラーナックキャッスル(Larnach Castle)である。ウィリアム・ラーナック(William Larnach)によって建設されたため、「Larnach’s Castle」とも呼ばれているが、もともとは家族の為に建てた邸宅なのだそうだ。ウィリアム・ラーナック氏は、英領オーストラリア出身の実業家であり、ニュージーランドの政治家でもあった人物である。

ウィリアム・ラーナック氏がオタゴ半島の高台を訪れた際、景色の素晴らしさに惚れ込んで土地を購入

ゴールドラッシュの栄華を象徴する壮大な工事

1871年に着工し200人以上の人が建設に携わったが、建物自体の竣工までに約3年を要し、内装工事にはさらに12年がかけられたとのこと。

また、当時ニュージーランドでは入手出来ないガラスなどの部材やシャンデリア・壁紙などの内装は、わざわざ欧州からの輸入したとのこと。建設に莫大な費用が投じられたものと想像される。

補修された現在の内装
出来る限り当時に忠実になるよう復元されている

ゴールドラッシュでダニーデンを中心都市とするオタゴ地方が栄えていた時代だったからこそ、成功と繁栄を誇示する豪華な建物を建てようとしたことは想像に難くない。ある意味、人間ドラマが詰まった歴史的建造物なのだ。

塔の上ではためくニュージーランド国旗。
ここまで上がって来るのは意外と大変でした。

ラーナック家の悲劇と邸宅の放棄

この巨大な邸宅は完成後、数奇な運命を辿っている。元の住人は誰も住まなくなり、両世界大戦期を含む30年以上の期間、放棄されたのである。理由は、住居として使うには街から離れ過ぎており不便であったことや、ゴールドラッシュ時代の終焉とともにラーナック家を襲う一連の不幸な出来事がある。具体的には、最初の妻の病死、二番目の妻の病死、3番目の若妻と息子の不倫の噂、ウィリアム・ラーナック氏の破産とそれに伴う議員資格の喪失、そして議場建物内での銃による自殺(1898年)である。その後、この邸宅は所有者を転々とさせながら、価値ある調度品や家具は換金目的で持ち出され、修繕されることなく放置され続けた邸宅は、再発見されるまで間、雨漏りで内装が激しく傷むなど、完全なる廃墟となっていたそうである。

奇跡の再生と歴史遺産としての価値

竣工してから約100年後に当たる1967年、散策中に森に埋もれた「お城」を発見して感動したパーカー夫妻が、ニュージーランドにおける歴史的価値を掘り起こそうと、この巨大な物件を買い取り、当時の記録などを調査しながら長い年月を掛けて復元させたのだそうだ。

建物にマッチした美しい庭園

元々の姿を再現させようとする建物に対して、美しい庭園の方は、近年新たに加えられたもので、元々のラーナック・キャッスルには無かったそうである。眺めの良い高台にある建物と庭園が一体となったお城のように感じられる雰囲気は大きな魅力である。

しかしながら、一番の魅力は、やはり栄枯盛衰を絵に描いたようなラーナック氏の成功と悲劇、一度は打ち捨てられた経緯を持つこの建物の数奇な歴史の方なのだろう。