エンゼルトランペットの香り
「おばあちゃん、おはよう」
かりんは学校へ行く途中見かける、いつもじょうろで植木鉢に水をやっているおばあちゃんに、心の中であいさつする。
おばあちゃんはいくつも並んだ植木鉢に、大きな手でまるで子供の頭をなでるように、花をなでながら、水をかけているのだ。
旗を持って先頭を行く6年生のさゆりさんから、おくれないように歩くので、ゆっくり見たことはないけど、30個ほどの鉢が色とりどりの花を順番に咲かせている。
かりんは3年生になって、夏休み前ごろから、今までめだたなかった手や体の湿疹がひどくなった。夏休みが終わってもかゆみがひどくて、お医者さんに行ってからおくれて学校へ行く日がときどきある。
今日もお医者さんに行ってきたので、1人で歩いて行った。
だれもいなくてさびしいけど、花をゆっくりながめられる。
しばらく立ち止まって花をじっと見ていた。
前に図書館で調べたら、真っ赤な花はハイビスカス、ピンクの花は日々草。名前の知らない花もたくさんある。その中で花の先っぽが淡いピンクでつけねの方が白い、ラッパににた大きい花がつぼみをつけていた。
1メートルもある木に大きな緑のはっぱで植木鉢も大きい。
「わあ、きれい。明日は開くかなあ」
その家は「笠井針灸院」という看板がかかっていて、お客さんらしいおじいさんが入って行った。スナックや飲み屋さんが並んでいて庭のある家が少ない通りなので、おばあちゃんの狭い庭の花がめだってきれいだった。
学校に着いた
教室に入ると、2時間めの国語が始まっていた。
仲良しのまいちゃんが、後ろを向いて小声で聞いた。
「今日もお医者さん?」
「うん」
となりの席のたくちゃんが本のページを教えてくれた。
「お母さんから聞いて、わかってるからね。かりんさんも教科書開いて」
若い女性の、関先生がやさしくいってくれた。
教室の授業はいいけど、体育の時間の特にプールがいやだった。
あちこち湿疹ができているので水着になれないし、見学ばかりしていると男子から「どうしてだ」「へそが2つあるんじゃねえか」などどいわれてしまう。3年生になってクラスがえがあったので、よけいに親しくなれない男の子が多かった。何かいわれるのがいやで、プールのある日はもう続けて3回も休んでしまっている。
今日は好きな音楽があるから、お母さんにいわれてしぶしぶ学校に来た。
「関先生によく話しておいたし、そんなに休むとおくれちゃうから、頑張って行きなさい。もうプールだってもうすぐ終りよ」
お母さんは車で送ってくれるといったけど、歩いてきたのは、おばあちゃんの植木鉢が見たかったから。
給食の後、プールの時間になった。
水着にきがえると体のあちこちがカサカサして、赤くなった湿疹ができている。
「そんなに気になんないよ」
まいちゃんはいってくれたけど、予想どおり正也たち男子のグループが取り囲んだ。
「おー、それってうつるんじゃねえの」
「そうだよな。よく洗ってからはいれよな」
かりんの目から涙がもりあがってきたとき、関先生がかけよってきた。
「何いってるの。これはアトピー性ひふ炎といってうつらないのよ。前にも説明したでしょ。さあ、かりんさんこっちに来て」
かりんはやっとの思いでプールに入ったが、冷たい水にブルブルッとしたら、全身がかゆくなったきた。体をかきむしりそうにかゆくなって、先生にわけを話して先にプールから上がった。
「おー、どうしたんだよ。お姫さまには、冷たい水はあわないかね」
正也がプールから首だけ出していった。
かりんはきがえ室にかけこんだ。
泣きながらきがえてそのまま家に走って帰った。
涙をうかべたかりんを見て、びっくりしたお母さんは、すぐ学校に電話してお医者さんに連れていったくれた。
「今日のは、アトピーというより寒冷じんましん、つまり冷たいしげきでかゆくなったんだよ。プールはもうお休みだね」
先生はあごひげをなでながら、かりんにいった。
かゆみはいつのまにかおさまっていた。
「原因がわかってよかったわ」
お母さんはほっとしたようにいったけど、かりんの心の中で何かがさけんでいた。
「もうやだ、もうやだ!」
学校もやだ、何もかもいやだ。
もらったぬり薬を力まかせに全部体中にすりこんで、空っぽにした。
そしてベッドにもぐりこんだ。涙が冷たくほおをつたってきた。
しばらくして関先生が心配して来てくれた。お母さんがよびに来たが、ねたふりをしていた。玄関で話している声が聞こえて、正也があやまったというのが聞こえた。
夕方、幼稚園から帰った妹のひな子が、夕飯よびにきても出て行かなかった。
次の日になった
よく朝は土曜日なので休みだった。秋晴れのいい天気なのに、かりんの気持ちは晴れなかった。顔や首、体のあちこちがかさぶたのようになっているし、ひどいかゆさがいつでてくるかと思うと、気持ちがおちこんでいる。
突然おばあちゃんの植木鉢を思い出した。
(あのピンクの花はどうしたかな。開いたかもしれない)
かりんはじっとしていられず、お母さんに散歩してくるといって出かけた。
「笠井針灸院」は歩いて3、4分のところにある。
朝早いので、すがすがしい空気が体をつつんだ。植木鉢の花をみて、かりんは「あっ」と声を上げた。いくつかの植木鉢がころがって鉢がわれたのもある。ラッパ型の花はころがっていたが、鉢は大丈夫で淡いピンクの花はまだ開いていなかった。
「どうしよう、おばあちゃんに知らせよう」
ふるえる手でチャイムを鳴らした。
「はーい」
返事があって見なれたおばあちゃんが出てきた。
かりんは1生けんめい、今とおりかかったら植木鉢がひっくり返っていたことを話した。おばあちゃんもあわてて出てきて、いっしょに植木鉢をなおし始めた。
かりんは毎朝おばあちゃんが水をくれているのを見ていたことを話すと、うれしそうにうなづいた。でもかりんがふしぎに思ったのは、しわのよった大きな手で手さぐりで植木鉢をさがしていることだ。
かりんのようすに気がついたのか、おばあちゃんはいった。
「あのね、わたしは目が見えないの。カンでさがしてるから、おき場所がちがうとわからないんだよ」
「ええっ」
かりんはおどろいて、まじまじとおばあちゃんの顔を見た。たしかにいわれてみると視線があわない。今まで全く気がつかなかった。
(そうだったんだ…知らなかった…)
それからはかりんが口で説明しながら、植木鉢の場所を教えてもらって、並べなおした。われた鉢は3つ、別の鉢に土をいれて植えかえた。花は全部なんとかぶじだった。
「このラッパみたいな花は何ていうの」
「ああ、これはエンゼルストランペットっていうんだよ。珍しい花だよね」
「うん、きれいだね」
「去年亡くなった主人が、白や黄色はあるけど、ピンクは珍しいって、知り合いからもらって大切にしてたんだよ。男のくせに花がすきでね」
おばあちゃんはなつかしそうな顔をした。
「ありがとね。おかげで助かったよ。おおかた夕べよっぱらいが通ってけとばしたかもしれないよ。さあ、お礼にお茶でも飲んで行って。たまには年よりの話もいいものだよ」
かりんは迷ったけど、おばあちゃんの話が聞きたくて、上がった。
1階は治療院で居間は2階にあった。おばあちゃんはまるで目が見えるように、お茶をいれておはぎやつけものを出してくれた。
「わたしが作ったから、食べてね」
おばあちゃんは、かわいいお客さんは珍しいといって、いろいろ話してくれた。
若い頃から視力が悪かったが、まだ見えていて針灸の学校に通い資格をとったこと。ご主人も同じ学校で知りあったっこと。
娘2人生まれて、ご主人と針灸院を開きお客さんも増えて順調にいき始めたとき、突然目が痛みだして病院に入院したこと。
病院で検査したら緑内障といわれ、結局目は見えなくなってしまったこと。
「見えなくなった時はつらくて、せつなかった。今までうっすらと見えていたから、温泉や保養センターにたのまれれば行って仕事ができたけど、それもできなくなって家事もうまくできなかった。神も仏もいないと思った。でも子供が1人前になるまでは泣いてはいられないと頑張ってきたんだよ」
おばあちゃんは自分であげたというドーナツまで出してくれた。
「見えないのに、油であげることもできるの」
かりんはおどろいて聞いた。
「もうなれてるから、なんでもやるよ。ひとりぐらしだから、やればできるもんだよ」
かりんはおばあちゃんの話をただ感心して聞いていた。
「娘2人がお嫁に行ったあと、じいちゃんと2人で助け合ってくらしてきたのに、去年急に病気で死んだときは、なんでわたしをおいて、って泣きたかった…。
最後にじいちゃんに『へんな気おこすんでねえど』といわれたことと、『エンゼルストランペット、たのむな』といわれたから、なんとかここまで1人でやってきたんだよ」
おばあちゃんはしわだけど色白のやさしい顔で、うるんだ見えない目をパチパチさせた。
「そうだったんだ…」
かりんはおばあちゃんの苦労にくらべると、自分のなやみはたいしたことないような気がしてきた。話しているうちにおばあちゃんがとても身近に思われて、自分のアトピー性ひふ炎のことも話した。
学校でからかわれたこと、見た目は悪いしかゆくてつらいこと。
「そうかい。病気のことはよくわかんねけど、そのうちきっといいことがあるよ。あんたは顔は見えないけど、とってもいい声だよ。歌でも歌えばきっと1番だよ」
おばあちゃんはそういってくれた。
たしかに音楽の先生にほめられてから音楽がすきになっていた。来年四年生になってクラブに入れるようになったら、合唱クラブに入ろう。
かりんは気持ちが晴れてくるのを感じていた。
「さっきより元気な声になってきたね。わたしも今日は夕方、嫁に行った娘が孫と来るのが楽しみだよ。トンカツでもあげようと思ってね」
その時、チャイムがなった。
「あ、お客さんだね。まだたのまれて、細々と仕事してるんだよ。またおいでね」
おばあちゃんはにっこりして、残ったドーナツを持たせてくれた。
かりんはお礼をいって帰った。
「朝飯も食べないで、どこに行ってたの」
家に帰るとお母さんが心配していた。
「いいとこ。また後で話すね」
自然に笑顔で答えていた。
「遊ぼうよ、おねえちゃん」
ひな子に手をとられながら、にっこりうなづいた。
日曜日の朝は…
スキップしながら、おばあちゃんの家に行った。
エンゼルストランペットは淡いピンクの花を大きく広げて咲いていた。
思わず見とれるほど美しくいいにおい。
「おばあちゃん、きのうはありがと。今日はあの花が咲いてるよ」
「ああ、そうかい」
おばあちゃんは見えないんだ、せっかくきれいに咲いてるのに。かりんは色や形をくわしく説明した。おばあちゃんはさわってみたり香りをかいだり、うれしそうだった。
「あっ、またつぼみがついてる」
かりんのことばにおばあちゃんは大きくうなずいた。
家に帰ってお母さんにエンゼルストランペットのことを話すとぜひ見に行きたいというので、ひな子も連れて見に行った。
「清らかで美しい、という形容詞がぴったりの花ね」
お母さんが感心したようにいった。
「この白いのがサギソウ、この黄色がキンケイギク、このうすむらさきがトルコキキョウ、たくさんあるのねえ」
「お母さんすごい。よく知ってるね」
かりんがおどろくと、お母さんはてれて笑った。
「花が大好きで、花屋さんになるのが小さい頃の夢だったのよ」
ひな子も「きれい、きれい」と喜んでいる。
明日また咲くと思うとうれしかった。
月曜日、学校にいく!
朝、集団登校で6年生のさゆりさんの後を1年生から並んで歩いていたが、おばあちゃんの家までくると、今まで心の中だけでいっていたあいさつを、声に出した。
「おはようございます」
「まあ、かりんちゃんだね。おはよう。また咲いたよ」
おばあちゃんのことばに、さゆりさんはびっくりした顔をした。
でもエンゼルストランペットを見てうなずいて、「1分間みていいよ」
といってくれた。みんなで、口々にきれいだなと見て、また歩き出した。
「いってらっしゃい」
おばあちゃんが手をふってくれた。
学校に着くと、まいちゃんやたくちゃんが急にいなくなって心配したといってよって来た。そこへ正也たちもよってきた。
「ごめんな」
正也が小さい声だけどいってくれた。
1時間めは敬老の日のことについて勉強した。
お年よりの人に今までの苦労を学校にきて話してもらうことになった。
「だれか、お話してくれそうな人を知らない?」
関先生のことばにかりんはドキドキしていた。
笠井針灸院のおばあちゃんなら、きっと話してくれる。でもあまり手をあげたことのないかりんには、勇気が必要だった。胸がはちきれそうなくらいドキドキしていたけど、手がかってに上がっていた。
「はい、かりんさん。どういう方ですか」
かりんは1生けんめい説明した。おばあちゃんとの出会い、苦労して仕事してきたこと、エンゼルストランペットを育てていること。
「さんせい。そのおばあちゃんにしよう」
正也が大きな声でいった。さんせいの声があがった。
「そうだ、それがいいよ」
たくややまいちゃんもそういってくれた。
かりんが最初にたのんで、くわしくは先生が行ってお願いすることになった。
その日の帰り、まいちゃんとエンゼルストランペットを見ながらよってたのむことにした。まだきれいに咲いていた。
明日は2つ咲きそうだ。
おばあちゃんは仕事中だったが、もうすぐ終わるから待つようにいわれて、1階の治療院の方で待っていた。おばあちゃんは白衣をきてふだんとちがう人に見えた。
お客さんが帰ってから、2人で敬老の日のことをたのむと、初めは人前で話しするのは難しいよといっていたけど、最後にはやってくれることになった。
「お母さん、今日ね、こんなことがあったの」
かりんの話にお母さんもうれしそうだった
「引き受けてくれてよかったね」
あの日から毎朝、おばあちゃんにあいさつして学校に行くのが日課になり、プールも終り、かりんは休まず学校に行っている。
いよいよ、お話をしてもらう日
敬老の日はお休みなので、その前の日に、いよいよおばあちゃんに話してもらうことになっている。その日の朝、かりんは朝のあいさつをしながらいった。
「今日はお願いします」
おばあちゃんはまだえんりょしているようすで答えた。
「私でいいのかねえ。ほんとにお役にたてるのかねえ」
1時間目が始まった。関先生が、おばあちゃんを迎えに行った。エンゼルストランペットがちょうど咲いていたので、クラスのみんなに見せてあげようと、おばあちゃんといっしょに借りてきたと黒板の前にかざった。
教室の中にかすかにいい香りがひろがった。
おばあちゃんは話し始めた。静かな声だったが、だれ1人しゃべる人もいなくて、シーンと聞き入っていた。
「目が痛くなったので、最初がまんしていたけど、こらえきれずに病院に行くと入院して『緑内障でもうじき見えなくなる』といわれ、頭を鉄のくいでたたかれたようでショックのあまり立ち上がれなかった…。まだ娘たちが小学生だったので、1人前になるまでは親のつとめをはたそうと、歯をくいしばってきたんだよ。全然見えないのでご飯のしたくをしながら、なんどもほうちょうでケガしたリ、油でやけどしたり、生きずがたえなかったけれど、娘たちもよく手伝ってくれてね。
それまで、保養センターや温泉にもたのまれて仕事していたのに、1人で行けなくて、娘に連れていってもらったけど、車があぶなくて続けることができずにやめました。昼間1人でいると、せつなくて死んだほうがましだと思って、毎日ただただ涙が出てきたよ」
聞いて、下を向いてハンカチで目をふく女の子もいた。
「つらいこともあったけど、今は生きていて良かったと思ってます。孫のようなかりんさんやみなさんと親しくなれて、エンゼルストランペットも今年はたくさん咲いたし、体が続くかぎり仕事もして命あるかぎり頑張って生きていこうと思ってます」
話が終わったとき、みんなが大きく拍手した。
おばあちゃんはほっとしたように頭を下げた。
そのあとみんなで感想をいいあった。
目が見えなくなったのに、仕事を続けてえらいとか、お料理もなんでもできてすごいとか、おじいちゃんがいなくても1人で頑張って仕事してるとか、いろいろでた。かりんも意見をいった。
「初めておばあちゃんが気になったのは、まるで赤ちゃんをなでるように、花をなでていたからです。だからこんなにきれいに咲いてくれたのだと思いました。わたしもアトピーでなやんでいましたが、おばあちゃんの話を聞いてとても元気がでて、おばあちゃんにありがとうといいたいです」
かりんは自分でもこんなに積極的に意見がいえるのがふしぎだった。
「また遊びにおいでね」
おばあちゃんは、かりんに声かけて、先生に送られて花といっしょに帰って行った。みんなで帰って行くおばあちゃんに窓から思いきり大声で、「ありがとう、さようなら」といいながら手をふった。
おばあちゃんも気がついて、笑顔で手をふってくれた。
その日のお昼休みは、かりんに男の子たちまで話しかけてきた。
正也たちも話してみると、おもしろくて楽しく笑ってしまった。
次の日、敬老の日の朝
おばあちゃんにお礼をいおうと、「笠井針灸院」に行った。
エンゼルストランペットの花は3個も咲いていた。近よると淡いピンクの花からさわやかな香りがフウッと広がった。
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