「ナミビアの砂漠」と「アカルイミライ」を比べると面白い
先週、ひたちなかのロッキンフェスに行ってきた。音楽に身を委ねる群衆の中で、俺は何かを探していた。最近は生成AI動画がブームだ。せっかく行ったんだから、この経験をコンテンツにできないかと考えた。写真を撮って、動画を作ってみたんだ。
その前に観た映画がある。「愛に乱暴」だ。感想を生成AIで作れないかと思った。ちょうど「探偵物語」の予告編の台詞を手に入れた。松田優作のあの独特な語り口が好きでね。そのテイストで文章を作ってみた。
文章は完成した。画像も生成AIで作った。ツイッターに上げたら、なんと監督がリツイートしてくれた。嬉しかったよ。この調子でロッキンの動画も作ろうと思った。帰ってきた翌日、写真をつなぎ合わせて動画を作った。でも、ツイッターやインスタでは反応がなかった。
ところが、TikTokに上げたら再生数が急上昇した。十万再生を超えたんだ。でも、フォロワーは増えない。数字だけが膨らんで、虚しさが残った。
そんな中、「ナミビアの砂漠」という映画を観に行った。監督は27歳の山中瑶子さん。主演は河合優実さん。若い女性監督の長編デビュー作だ。物語は21歳の金(かな)が主人公。怒りや苛立ちを抱えながら生きている。脱毛サロンで働き、優しい彼氏と暮らしているが、つまらなさを感じて浮気をしている。
映画は長回しのシーンが多く、カットが少ない。観ていると、少し苛立つくらいだ。でも、それがカナの内面を映し出しているのかもしれない。物語は明確な結末を持たない。まるで終わりのない旅をしているようだ。
考えさせられた。この作品のテーマは何だろうか。若者の無力感や内面的な怒り。自分も同じような感情を抱えていたことがある。何かをしても満たされない苛立ち。カナは脱毛サロンで働いているが、それも一時的な効果しかない仕事だ。
彼女は友達とも表面的な関係しか持てない。喫茶店で会っても、心ここにあらずだ。彼氏との関係も上手くいかない。優しすぎる彼氏に苛立ちを覚え、浮気相手に感情をぶつける。でも、その関係も崩れていく。
映画を観て思った。若者の苛立ちは昔から変わらないが、今の時代はそれを発散する場所がない。SNSで常に監視され、自由に行動できない。行き場のない怒りは、内側に溜まっていくばかりだ。
黒沢清の「アカルイミライ」を思い出す。あの映画では、若者は未来に向かって開かれているぞということで終わった。でも、「ナミビアの砂漠」では、閉じこもっていく。未来への希望が見えない。観終わった後、重い気持ちが残った。
映画の中で、カナは言う。「この社会で大事なことは、生存です」と。少子化や貧困が進む日本で、生存が目的になっている。希望も夢もない世界。まるで砂漠をさまよっているようだ。
自分も同じだと思った。何かを求めて歩き続けても、先が見えない。それでも歩き続けるしかない。もしかしたら、本当の砂漠は心の中にあるのかもしれない。そして、それに気づくことが大切なのかもしれない。
映画は楽しいものではなかった。でも、こういう作品があることは重要だ。現実を直視し、感じること。それが必要な時もある。
夜の街を歩きながら考えた。この先に何があるのだろうか。答えは見つからない。それでも、足を止めるわけにはいかない。自分自身の道を見つけるために、歩き続けるしかないのだ。
ひたちなかのロッキンで感じたこと、生成AI動画で得た一時的な成功、そして「ナミビアの砂漠」で見た現実。すべてが繋がっているような気がした。行き場のない苛立ちや虚無感。それでも生きていくしかない。
希望は見えないかもしれない。でも、歩き続けることで何かが変わるかもしれない。そう信じて、俺は前に進む。