見出し画像

今更ながら「天体観測」の解釈を試みる

天体観測はバンプの代名詞のような曲です。ライブでも定番。リリース日は2002年! そんなに時間が経ったなんて震えます……。
でも歌詞の解釈が本当に難しい。20年以上聴いているのに、なんのことを歌っている歌なのか、恥ずかしながらずっと、はっきりわからずにいました。
星に関する他の曲を参照してみると、ようやく少し自分の中で納得の行く解釈になってきましたのでそれについて書いてみようと思います。
まあ、とっくにいろいろな人がいろいろな解釈をしていると思いますが、あくまで自分が納得できる解釈をここと見たということで…。

天体観測はどんな歌?

大まかな歌詞の内容は、「僕」と「君」が午前二時にフミキリで待ち合わせて「イマというほうき星」を探して天体観測をしようとする、というものです。
だけど曲の後半では「君の手」を握れなかった痛みとともに今は一人で天体観測をしているという。二人に何かあって別れてしまってそのことを振り返っているんだろうということはわかりますが、どうもすっきりよくわからないという感じを持っていました。
ということでここで扱う疑問点は次の3点です。
・望遠鏡で何を見ようとしたのか
・なぜ震える手を握れなかったのか
・「イマというほうき星」とは何か

望遠鏡で何を見ようとしたのか

普通に考えればそりゃ星を見ようとするわけですけど、そんな単純な話ではないです。
バンプの曲にはたびたび心を宇宙や空に例える描写が出てきます。例えば「流れ星の正体」という曲には次のようなフレーズがあります。

誰かの胸の夜の空に 伝えたい気持ちが生まれたら
生まれた証の尾を引いて 伝えたい誰かの空へ向かう

作詞・作曲:Motoo Fujiwara/「流れ星の正体」より

つまり望遠鏡でよく見たかったのは、「君」の胸の夜の空=心なのではないかと思うのです。
この二人は夜空にある星を見ることで、心の中を覗こうとしていると考えても良いように思います。

なぜ震える手を握れなかったのか

知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ
暗闇を照らす様な 微かな光 探したよ
そうして知った痛みを 未だに僕は覚えている
「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている

作詞・作曲:藤原基央/天体観測より

望遠鏡を覗き込むのは君の心を見るため、という仮定を基に考えると、上の引用部分は知らない君の心を知ろうとして望遠鏡を覗き込んで、光を探したけど、そのことで痛みを知ることになった、ということになります。何らかの二人の間を壊してしまうような何かが見つかったのかもしれません。
これは憶測ですが、「微かな光」を探したけれども見つからない、あるいはとてつもない悲しみが見つかってしまった、というような理由で「僕」は臆してしまったのではないかと考えています。詳しくは後述します。

僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ
ただひとつ 今も思い出すよ

予報外れの雨に打たれて 泣きだしそうな
君の震える手を 握れなかった あの日を

作詞・作曲:藤原基央/天体観測より

その痛みを知ることになった後で二人は別れて、僕が思い出しているというところです。
望遠鏡で君の心の中に光を探したけど、そのことで君の震える手を握れなかった。

予報外れの雨が降るということは、そうなるつもりじゃなかったのに、雨が降ってしまってもう天体観測できなくなってしまったということなのだと思います。 

ここで、天体観測と対をなしていると考えられる、2016年にリリースされた「Butterflies」というアルバムに入っている「流星群」という曲の歌詞を参考にしたいと思います。めちゃくちゃきれいな曲です。

「天体観測」と「流星群」はシチェーションが酷似しています。

月が明かりを忘れた日 冷たいその手をぎゅっとして
地球の影に飛び込んで 見えない笑顔を見ていた
どちらかため息を落とした 合図みたいに見上げた
空は曇って塞いでいる 流星群 極大の夜
(中略)
その笑顔の向こう側の方から 泣き声が聴こえちゃった
流れ星よりも見たいから 解らないように 探してる

作詞・作曲:Motoo Fujiwara/「流星群」より

ここでも二人で空を見上げているということは、君の心を見ていると考えることができると思います。しかも雲行きが怪しい。

でも天体観測の時とちがって、手を握れているし、観測できない地球の裏側に飛び込んで見えない笑顔を見ることができている。さらに泣き声を聴くこともできている。望遠鏡は持っておらず、流れ星よりも笑顔の向こう側の方を見たいと言っている。
天体観測の時よりも心に近づけているように思います。

天体観測と流星群を比べて聴くと、似てるシチュエーションなのに微妙に状況が違うというところから、非常に偏った例えで恐縮ですが、「流星群」はいわゆるループ物の物語の二週目、真エンディングを見るための分岐に入ったような感じがします。つまり、一度目の「天体観測」のときははうまくできなくて痛みを抱えてしまったけど、二度目の今回はもう間違えない、君の心を見たいんだという覚悟を持っているように思えるのです。

それからため息を落とした 冷たいその手が熱かった
俯いた僕らの真上の 隙間を光が流れた

こんな魔法のような夜に ようやく君と出会えた
たとえ君を傷付けても 見つけたかった
あの雲の向こう側の全部が 君の中にあるんだよ
僕の見たかった全部が 笑顔を越えて 零れたよ

作詞・作曲:Motoo Fujiwara/「流星群」より

僕が見たかったのは笑顔の向こう側にあった泣き声から零れた涙だった。
傷つけてでも見つけるという、君の心の中に踏み込む覚悟があったから見つけられた。
一方で天体観測では、臆してしまって、心に踏み込めなかったから、「君の手」を握れず、君の心がわからなくて別れることになってしまったのだと思います。
そう考えると予報外れの雨は「君」が泣きそうで泣けなかったから代わりに空から降った、それで心はもう見えなくなったのだとも考えられそうです。
ちなみに「君」の心を覗き込む勇気について歌った曲に「メーデー」もありますね。

「イマというほうき星」とは何か

先程歌詞を引用した「流れ星の正体」では流れ星は「気持ち」のことを表していました。「流星群」では光が流れたときに涙が零れているため、やはり流星が感情の動きを表しているように思えます。
そうなると「イマというほうき星」も感情や気持ちなどを表していると考えられそうです。

始めようか 天体観測 ほうき星を探して
(中略)
見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ
明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけていた

作詞・作曲:藤原基央/天体観測より

「イマ」私は何を感じているのか、あなたは何を感じているのか、それを探したり追いかけたりしている。たしかに自分の気持ちってその場ではわからなくて、あとから気が付くということも多いです。そういう感覚を「僕」と「君」は共有していたのでしょう。
そういう意味では、先ほどの「暗闇を照らす様な微かな光」は探してみたら「抱えきれない巨大な悲しみ」みたいなもので、扱いきれなくて「君」は泣いてしまったのかなとも思います。
まぁ、なぜ「イマ」がわざわざカタカナなのかなとか、まだしっくりこない部分もあります…。厳密にはほうき星と流れ星は違うもののようですし。また考えがまとまったら書きたいと思います。

終わりに

この曲の肝は、やはり最後のサビなのだと思います。

もう一度君に会おうとして 望遠鏡をまた担いで
前と同じ 午前二時 フミキリまで駆けてくよ
始めようか 天体観測 二分後に君が来なくとも

「イマ」という ほうき星

君と二人追いかけている

作詞・作曲:藤原基央/天体観測より

これ以降のバンプの曲のテーマがたくさん詰まっていたんだなと、改めて思います。
人の心に触れること、その勇気と痛み、心の中に相手が住んでいること、自分の感情を追いかけることなど…。
その繊細な世界観が好きなんだと再確認しました。

書きたいように書いてみて自己満足はしましたが、無粋、野暮としか言いようがないですね。こんなに素敵な歌詞を切り刻むようにしかかけなくて、申し訳ない気持ち…でも思う存分考えられて楽しかったです。
そして書きながら藤原さん、天才だわ、と30回くらい思いました(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?