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今更ながら「ロストマン」の解釈を試みる

今回は、BUMP OF CHICKENのロストマンの歌詞について考えてみたいと思います。ロストマンは2003年リリースの6枚目の、sailing dayと両A面のシングルでした。両A面という響きに時代を感じます。
私にとってバンプの曲は時空を超えるので、懐かしいと思うことは全くないのですが、しかし2003年とは…21年前に作られた曲なわけで、天才すぎます。MVもセピア調だった画面に色がつくのがとても恰好いいです。

歌詞を読むと、迷子になって進むべき道を見失った「僕」が新たに進もうとする道を自分で肯定していく、という曲だと思えます。

ものすごく大好きで何度も人生救われてきたと言っても過言ではない、自分にとって大事な曲なのですが、よくわからないと感じる部分もあったので、可能な限り解釈をしてみました。

前回の天体観測の記事と同じように他の楽曲の歌詞も参考にしながら、今回はこの3つの問いについて考えてみたいと思います。
1.「君」とは誰なのか
2.「君の背中」にサヨナラを叫ぶとはどういうことか
3.「君」と再会できたのか?

1.「君」は誰なのか

バンプの歌詞は、「僕」とか「君」が出てきたときに、同一人物の心の中に住んでいる人の場合もあれば、他者を指すこともありますので、ここを押さえておくのが基本です。

状況はどうだい 僕は僕に尋ねる
旅の始まりを今も思い出せるかい

作詞・作曲 藤原基央/ロストマンより

「僕」が「僕」に呼び掛けていることから、この後の「君」はかつて自分だったもののことを指していると思われます。

それでは「君」とはどういう存在だったのでしょう? 

破り損なった 手作りの地図
辿った途中の現在地
動かないコンパス 片手に乗せて
霞んだ眼 凝らしている

君を失ったこの世界で 僕は何を求め続ける
迷子って気付いていたって 気付かないフリをした

作詞・作曲 藤原基央「ロストマン」より 

1番のサビで、君を失ったことでコンパスが動かなくなって目も霞んで、どこへ行くべきかわからない状態である=行き先を見失っている迷子の状態であることが歌われています。

「破り損なった手作りの地図」という言葉から、自分なりに作った地図の上を進んできた途中で、地図を破ろうとした=自分の進もうとしていた道を諦めようとした結果、迷子になったのではないかと思います。
そして、そこで失われた「君」とは、もういないはずの「諦めずにそのまま地図の上を先へ進んでいった自分」なのではなないかと思うのです。

2.「君の背中」にサヨナラを叫ぶとはどういうことか

強く手を振って 君の背中に
サヨナラを 叫んだよ
そして現在地 夢の設計図
開くときは どんな顔

作詞・作曲 藤原基央「ロストマン」より

前節で「君」とは「夢を諦めずに先へ進んだ自分」なのではないかと考えました。
その「君の背中」にサヨナラを叫ぶとはどういうことなのでしょうか。

時間はあの日から 止まったままなんだ
遠ざかって 消えた背中
あぁ ロストマン 気づいたろう
僕らが 丁寧に切り取った 
その絵の 名前は 思い出

作詞・作曲 藤原基央「ロストマン」より

この歌詞から、「僕」の視点は遠ざかっていく背中を見送っています。

ここで「ダイヤモンド」の歌詞を参照してみます。

やっと会えた 
君は誰だい?
あぁそういえば 
君は僕だ
大嫌いな弱い僕を 
ずっと前に
ここで置き去りにしたんだ

作詞・作曲 藤原基央「ダイヤモンド」より

「ダイヤモンド」のこの歌詞は「僕」が置き去りにした「大嫌いで弱い僕」と再会する場面です。
「ダイヤモンド」と同じように、自分の弱い部分、嫌いな部分を置き去りにして、先へ行ってしまうということが、「ロストマン」でも起こっていると考えられそうです。

夢を諦めずに先に進んだ「君」に置き去りにされて、背中を見送るしかなかったことを「君を失った」と言っていたけれども、僕の方から、その思い出にサヨナラを叫ぶ(未練を断ち切る)という決意を歌っているのだと思います。

飴玉の唄に「思い出」に関する次のような歌詞があります。

僕は君と僕のことをずっと忘れることはない
だってもし忘れられないなら 思い出にならないから

作詞・作曲 藤原基央「飴玉の唄」より

ここから「思い出」は「忘れられるもの」ということができます。気持ちが強く残っていて忘れられないうちは思い出にならない。忘れることができた時に、それは思い出になる。
思い出として切り取ることができるようになったら、忘れることができる、ということなのだと思います。

3.「君」と再会できたのか?

君を忘れた この世界を 愛せた時は 会いに行くよ
間違った 旅路の果てに
正しさを祈りながら 
再会を祈りながら

作詞・作曲 藤原基央「ロストマン」より

当初考えていた旅路とはちがう、間違った旅路でも自分が歩もうと決めた道の正しさを祈っている。
そして間違ったその道を歩んだことでできた世界を愛せた時、これで良かったと心から思えた時は、失ってしまった夢の続きを歩いている「君」にも会いに行けるといっているように思います。

でも、諦めたことを本当に良かったと思えるのって、本当に本当に時間がかかる。
2019年に発売された「Aurora」を聴いたとき、これは再会の歌だと思いました。

ほんの少し忘れていたね とても長かったほんの少し
お日様がないときはクレヨンで 世界に創り出したでしょう

正義の味方には 見つけてもらえなかった類
探しに行かなくちゃ 呼び合い続けたあの声だよ

(中略)

あぁ、なぜ、どうして、と繰り返して それでも続けてきただろう
心の一番奥の方 涙は炎 向き合う時が来た
触れて確かめられたら 形と音をくれるよ
あなたの言葉がいつだって あなたを探してきた
そうやって見つけてきた

作詞・作曲 藤原基央「Aurora」より

「Aurora」はダイヤモンドでおいてきた弱い僕とか、忘れられていた君とか、これまで別れてきた自分たち、「状況はどうだい」と言いながら呼び合い続けてきた声たちと再会して歌が生まれてくることを祝福する歌だと思います。
(どうして祝福のイメージなのかは、自分でもよくわからないのですが、曲調が祝福しているように聞こえます)

諦めざるを得なかったことってたくさんありますし、あの時、諦めなかったらどうなっていただろう?って空想することもあります。でも諦めなかった自分ってある種自分の理想の人生でもあるわけで、そういう自分と向き合うことは、今が充実していなければ、かなり痛いことだと思います。
だから「愛せた時は会いに行くよ」なのでしょうね。

私にはまだ会いに行けない自分が何人かいるような気がします。でもずっと間違った今の道の正しさを祈る、祈ることができるのが希望だと感じます。

余談

この記事を書きながら、ロストマンとオンリーロンリーグローリー(以下オングロ)は双子のような曲だと思いました。
進もうとした道と違う道を進むことにしたロストマンと、夢を追う自分を殺しかけたけど、息を吹き返して共に特別な光を追うことにしたオングロ。歌詞をよく読むとロストマンと重なる単語や情景がいくつも出てきます。

それとタイトルの「ロストマン」は直訳すれば「失われた人」という意味ですが、Lost childで「迷子」の意味ですので、そのまま「迷い人」の意味もありそうです。つまり僕と君の両方を指していると考えることもできそうです。
ただ「あぁロストマン気づいたろう 僕らが丁寧に」のところの僕らって、「僕」と「君」じゃないよなあとずっと引っかかっています。「僕」と「ロストマン」は別の存在ということ? ここはうまく解釈できませんでした。

最後までお読みくださりありがとうございました!


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