理想の「ゲームシナリオ」って?
筆者はあまりストーリーにハマることがない。
40年近くゲームをしているが、ゲームのシナリオで感動して泣いたことは…少しはあったかもしれないが、多くなかったと思う。
ストーリーが最高!と謳われているゲームを、やってみたい!ともあまり思わない性分だ。
そもそもの素養もあるだろうし、後天的な理由もあると思う。なぜ筆者がゲームのストーリーにあまり関心がないのか、またどんなストーリーなら満足するのか、ちょっと考えてみる。
筆者について
筆者はそもそもストーリーを読ませる、見せるメディアがあまり好きではない。
80年代にファミコンと共に小学生時代を過ごしたくらいの年齢でキン肉マンが大好きだったが、東映まんが祭り(キン肉マンを含みアニメ3本立て)のような映画には全然興味が湧かなかった。
当時、映画館の待合室(シアター外の通路)にはアーケードゲームのテーブル筐体が置かれていたりしたが、2時間あるならそこで「マリオブラザーズ」でもやっている方が幸せだった子供だった。
初めて最初から最後まで観た映画は「魔女の宅急便」だったと思う。4年生くらい?
SDガンダムの映画が観たかったが、近くに上映していなかったため代わりに観た映画だ。
当時の私がなぜ映画を見続けられなかったのだろう?
・映画館の中で静かに、じっとしているのが苦痛だった?
・暗くて音が大きいのが苦手だった?
・集中力がなかった?
・視聴者のストレスを与える場面が嫌いだった?
物語にはよく「こちらの思い通りにならない場面」がある。ラストの爽快感を出すために中盤はストレスを受けるような展開を用意するのは世界中のあらゆる創作物でよくみられるものだ。これが好きでなかったのかも?
当時好きだった漫画・アニメ
連ドラのようなアニメや漫画も嫌いだった。
ハウス名作劇場の「小公女セーラ」など、鬱展開が多くストレスを受けたまま次回へ続く…が苦手だった。
恋愛ドラマなんかも。ヒロインとデートの約束で、彼女は待ちぼうけさせられて、男と逢っているのは…誰あの女!?次回に続く!みたいなモヤモヤした溜めは大っ嫌いで1ミリも摂取したくなくて、「西部警察」のように1回の放送の中でそういう女は爆殺しろよ。そして読後感(?)は常にスッキリさせてくれ。常にだ。…と思う方だった。
女子向けのコンテンツが苦手だったというわけではない。と思う。
「うる星やつら」などの1話完結型(30分で2話だったね)のアニメは楽しめた。要するに「すぐに報酬が欲しい」ソシャゲ脳の人間だったのかもしれない。
当時好きだったゲーム
小学生時代:
マッピー
バブルボブル
ドラクエ3
熱血高校ドッジボール部
ダウンタウン熱血物語
オーダイン
中学生時代:
スト2
餓狼伝説
FF4
天外魔境2
ウィザードリィV
シャイニングフォース2
ガンスターヒーローズ
ぷよぷよ
ストーリーメインの作品はゼロではないがやはり少ない。FF4、天外魔境2くらいか…
ファミコン時代はもともとストーリーが希薄なソフトが多かったが、ADVゲームもあった。ファミ探やさんまの名探偵などもプレイしていた。はずだが…
ストーリーゲームの経験
大人になるにつれて、ストーリー主体のゲームも少しは楽しめるようになってきた。以下は楽しんだ作品たち。
とっても楽しかった!
クロノトリガー
ブレイブリーデフォルト
かまいたちの夜アドバンス
セブンスドラゴン
アマガミ
ポケモンバイオレット
まあまあ楽しかったかも
流行り神ポータブル
シュタインズ・ゲート
FF9
逆転裁判
途中でやめた
マザー2
テイルズオブデスティニー
タクティクスオウガ
FF12
FF13
クロノトリガーやブレイブリーデフォルト、セブンスドラゴンなどは「探索する楽しさ」や「ボスを倒すための試行錯誤」といった、ゲーム的な面白さが多分に含まれていた。
かまいたちの夜も「バッドエンドを避ける方法を探す楽しさ」が強いゲームだったと思う。
ポケモンバイオレットも自由に世界を冒険して仲間のポケモンを強化する部分が楽しかった。
ストーリーテリングに寄せた部分でも
「FF6」でシャドウを死なせない方法があるとか「ライズ・オブ・ローニン」で坂本龍馬を生き残らせるルートがあるとかは、やってみたい!と思うし、それが実行できると気持ちが高揚する。
つまり、筆者は「自分で考え、試行錯誤し、行動を試す」という体験を求め
ているのだと思う。
なぜそうなった?
多分、筆者は「人よりもゲームがうまく、自分の方が先に進める、自分の方が詳しく内容を知っている」という状態を潜在的に求めていたのだろう。
子供のころの筆者は、他に優れた点がなく、ゲームが自分の居場所だったのだ。
この辺りの記事にも近いことを少し書いた。
ストーリーを読むことがメインで、誰でも最後まで物語を楽しめます。
ゲームにも、そんなコンテンツが90年代以降増えていった。
ゲームがそういうコンテンツになってしまうと、自分に優位性のある楽しいモノがこの世からなくなっちゃう。
なんだよ、そういうの好きなやつは映画館行けよ。
そんな気持ちがあったと思う。
それでなおさら、ゲーム性の強いコンテンツにのめり込んでいったのだと思う。
それと筆者は、30代半ばくらいの頃にいちど配偶者を亡くしている。
結婚して4年くらい、恋人同士だった頃を含めると10年くらいだった。
これが筆者に与えた影響は少なくなかった。
あらゆる創作物において、不治の病で彼女が死んでしまう…とかそういうの
若者に受けてる映画や小説、ゲームのクエストなんかにも佃煮にしてドブに捨てるほど、山ほどあるけども。
本人がいない別室で医師から余命を告げられる経験とか、
バイタルのモニターがピーーーってまっすぐになる瞬間とか、医者が臨終の宣告をする瞬間とか。
実際に経験しちゃってるので「可哀そう、感動した」みたいな感情を抱きにくくなってしまった。
書いてる人間、お前実際にそういうの経験してんのか?と考えてしまう。
そういうコンテンツで泣くことは今はあるが、この涙の本質は「思い出し泣き」だと思う。
コンテンツを楽しみたい気持ちが無いわけじゃないのに。
ひねくれた大人になってしまったな…
キャラ萌えへの目覚めか!?(今さらw)
話を戻そう。
上記ゲームリスト中で異質な存在なのが「アマガミ」だ。
恥ずかしながらPSP版を40代になってプレイした。
なぜこのゲームをやろうと思ったのか?それはヒロイン(の一人)がぽっちゃり系らしいと聞いたからだ。
筆者は現実でも二次元でもぽっちゃり系が好きだ。
柔らかいとことか、意外とひんやりしてるとことか。そういうグラビアの人の写真とかで、「後ろ向きに立っててこちらを振り向いてる写真」よくあると思うけど、肩甲骨から腋の下にかけてできる段とか超好き。
ところが二次元はどうだ!?
痩せてる女子ばっかり出てくる。99%以上が痩せてて、痩せ巨乳か痩せ貧乳のどっちかしかいないではないか。
二次元界隈はどうなってんだ。けしからん!
多様性の時代に対応できてるとは、全然言えないなぁ。
これは大昔からそうだった。
若かりし日の筆者はキモオタだったと思うが、エロはエロゲーよりもエロビデオ・エロサイトのほうが利用頻度が高かった。
そうか、今まで考えたことが無かったけど
高校生の頃にPC-98を手に入れたのに。エロゲー自体には興味津々だったのに。そっち方向はたしなむ程度で、まっしぐらに突き進まなかった(格ゲー・洋ゲー方面に行った)のはそういう理由だったのか。
まあ10代のころは「ぽっちゃりが好きでござるwフヒヒw」などと恥ずかしくてとても言えなかっただろうし、明確に自覚もしてなかったもんな。
今は言えるのかと言われれば…まあ、はい。
ともあれ、筆者はアマガミにそういうものを期待してプレイした。
結果としては、ゲーム画面内の梨穂子は、ぽっちゃりだと言われるセリフがあるだけでグラフィック的には全然痩せてた。話になんねえな!と思った。
反面、幼馴染で主人公のことを昔からずっと好きでいた。という設定はすげー可愛くて、気が付けば他の子のシナリオ全無視してエンディングまで突っ走った。
ディスクのみで入手したため、マップ埋めや、会話時の好感度上下するゲームの仕組みなんかが最初分らなくて、理解するまでの試行錯誤も面白かった。
単に会話シーンのノベルゲーをボタンで文字送りするだけのゲームじゃなった点も続けるモチベになったのかもしれない。
ゲームのシナリオに、どうあってほしいか
そろそろまとめよう。
筆者の個人的な思いになってしまうが、ゲームのシナリオには以下のような要素があってほしいなと思う。
・シナリオを読むだけでは無くて、そこに至るゲーム部分があってほしい
・誰でもボタンで文字送ってるだけで最後まで読めますよ、ではなくて。ゲームを理解し解く必要がある
・シナリオを読む読まない、誰が好きで誰が嫌いか、選択可能にしてほしいし、選択したルートにちゃんと進んで欲しい
いまは映画館に行ったり、ネトフリでドラマ見たりすることは簡単にできる時代だ。
筆者は「それを選ばないでゲームをすることを選んでいる」のであって
そこで延々物語を読まされるのはけっこう苦痛だなと感じる。
ゲームは他のメディアよりも、主人公に自分自身を投影しやすいメディアだと思う。
なおのこと、作者が理想とするゴールへ強制的に導くのではなく、プレイヤーの意思を汲みつつストーリーテリングをしてほしいと思った。
あと、ギャルゲーにはぽっちゃり系をもっと出してほしい。
グラフィックもちゃんとぽっちゃりに描いてほしい。
顔が可愛いデブな女子をもっと作ってほしい。
でも作っても売れないんだろうなあ…