「大きいサイズの女性靴専門店」への20年分の感謝を伝えたい
高校時代から私が「推し続けていた」女性靴専門店、タルサタイムが昨年末をもって閉店した。
何の前触れもなく、突然の知らせだった。
高校入学前に存在を知り、合格祝として母にローファーを買ってもらってから実に20年以上が経つ。
20年前に比べれば、大きめのレディース靴を扱う店舗は確かに増えた。増えたが、他店に一時的に浮気しても、最後には必ずタルサタイムに戻ってきた。
室内履きを除けば、今や自宅にある靴の9割はタルサタイムで購入したもの。大袈裟ではなく、私の生活になくてはならないお店だった。
一方で、コロナ禍では倒産回避のためのセールを打っていた。原材料高騰やインポート多めのラインナップも、昨今の円安の状況では経営的に厳しかっただろうと想像する。
そんな中でもここまで店を続けてきてくださったことに、感謝しかない。
タルサタイムのここが好きだった
①私の「悩み多き足」に合った靴が必ずある
以前別の記事にも記しているが、私は幼い頃からずっと自分の足にコンプレックスを抱えており、靴選びには長年悩んできた。
小中学生時代、足元は決まってメンズスニーカー。理由は単純で、それ以外の選択肢がなかったからだ。
時代は厚底ブームだったが、レディース靴のLサイズと呼ばれるゾーンでさえ、私の規格外の足には小さすぎて履けなかった。
その後様々なアパレルブランドの靴を試したものの、一般的な日本人女性に合わせてなのか、足型はどれも細身。
擦り傷やマメを我慢しながら足に合わない靴を履く日々が続いた。
また、左右で足の大きさに差があるため、左足に合わせると右足がキツく、右足に合わせると左の靴が脱げてしまう。これもまた悩ましい問題だった。
巷に出回る靴の大半が私の足に合わない中、唯一タルサタイムで扱っている靴だけは私の足に合った。
それは、幅が広めに作られている靴がラインナップの多くを占めていたから。
この意味は私にとって非常に大きかった。
ここに行けば、私が履ける靴が必ずある。
足に合う靴がなく、ファッション迷子どころか難民状態だった私を、タルサタイムは間違いなく救ってくれた。
②営業一切なし、納得いくまで試し履きができる
嘘だと思われそうだが、アパレルショップにありがちな、店内で店員さんから営業されたことや声を掛けられたことは、店に通った20年超ただの一度もない。
この部分は公式ホームページにも、「大切なポリシー」として掲げられている。
自分自身が様々な靴を履き比べて実感したことだが、同じサイズのコーナーに並んでいても、そのサイズ感やフィット感は靴やメーカーによりかなり差がある。自分に合った靴を見つけるために、試し履きは欠かせない。
私も長年店に通い、店内で誰に邪魔されることもなく履いて履いて履きまくったから、「これ!」というメーカーに出会えた。
もっと言えば、そのメーカー以外の靴は要らないと思える「推し」を見つけることができた。
それは在庫を全て並べ、店員さんが静かに見守ってくださる、タルサタイムのポリシーがあったからこそだ。
③可愛さと品質を兼ね備えたラインナップ
タルサタイムに出会うまで、メンズスニーカーしか私に履ける靴はないと諦めていた。
そんな私が初めて、「私にも履ける可愛い靴がある」「ファッションが楽しい」と思えた。
あの感動は今でも忘れられない。
妥協や我慢をしなければ人並みにお洒落も出来ない。
そんな私にとっては救世主のような存在だった。
値段は1万円以上が殆ど。学生の身分では高価な買い物だった。
けれども、高校入学祝にと母に買って貰ったローファーは、文字通り毎日のように履き続けたにも関わらず、卒業までの3年間現役で居続けてくれた。
高品質でストレスなく履けて、かつ可愛い靴なら、相応の値段を出す価値がある。
そう思って、20年以上同じ店で靴を買い続けてきた。
でも、もう二度と買いには行けない。
ただ、一顧客である私にも責任はある。
その高品質ゆえ、タルサタイムの靴は簡単には駄目にならなかった。
つまり、毎シーズンのように私は靴を買い足してこなかった。
もっと買って、売上に貢献していれば、結果は違ったのだろうか。
たまたまなのだろうが、noteの直近のハッシュタグ企画が「推したい会社」だった。
「推したい」のに、もう推せない。
そう思うと、悲しくてならなかった。
新しい出会いは浅草にあった
居ても立っても居られなくなり、繁忙期前の今がチャンスとばかりに時間休を取得。
私はブログの情報を頼りに、浅草にある靴メーカー(富士製靴工業)を尋ねた。
タルサタイムの在庫の一部を引き取ったと、そう記されていたからだ。
店頭では、タルサタイムで見たことのある靴(中にはかつて購入した靴の色違いも!)が複数並んでいた。
このメーカーが靴を製造し、タルサタイムに卸され、私が購入。そのようなプロセスを辿っていたようだった。
オーナーに声を掛け、一足試し履きをしてみる。
それは、私の知っているタルサタイムの靴そのままであり、馴染みのある履き心地だった。
涙をぐっと堪えて、オーナーに話しかけた。
その時の会話の詳細をここに記すことは差し控えたい。
けれども、どれだけ私にとって、タルサタイムという存在がありがたかったか。話しているうちに涙が溢れてきても、オーナーは何も言わずに話を聞いてくれた。
必ずまた来ます。
オーナーにそう誓って、浅草を後にした。
タルサタイムが閉店しても、私が愛用してきた靴は今も職人によって作られ、ここで販売され続けている。
そのことに私は安堵し、少しばかりの希望を持つことができた。
必ずまた、浅草に足を運びたいと思う。
そして私が今、思うこと
とはいえ、国内メーカーはともかく、タルサタイムが独自に買い付けてきたインポート商品のファンにとって、今回の閉店によって代わるものを見つけるのは相当に難しいはず。
改めて、失われたものの大きさに気づく。
推しは、推せる時に推せ。
何度も聞いたことのあるフレーズのはずだ。
けれど、推しが当たり前に存在することの奇跡と尊さは、失わないと気づかない。
なので、推せるうちに、もっと推しを推そう。
私はこんな素晴らしいお店があったことを忘れない。
タルサタイムさま。
今までお世話になりました。
そして、御社が紹介くださったメーカーさまの商品を、これからも私は買い続けます。
足が大きくて長年履ける靴がなかった私にファッションの楽しさを教えてくださったこと。
ずっと忘れません。ありがとうございました。
【お断り】
終章を除き、記事中におけるメーカー名は全て敬称略です。