泣くつもりなんてなかったのに #おとnote
こども達もおとなになり、誰も帰ってこないクリスマスイブ。
ひとり夕食を食べていたら、おとちゃんから、めずらしく長いLINEが届きました。
並んだ散文に、驚きました。
それは、その日の朝、私がシェアした あきやまやすこさんの「言葉は音」に触発されて、おとちゃんが綴った文章だったのです。
(追記:おとちゃんから「触発じゃないよ。感動して書いたんだよ(^^」って感想が届いたので、訂正します。たしかに、言葉のイメージが全然違う!)
泣くつもりなんてなかったのに
涙がポロポロってこぼれちゃうことあるよね
たとえば大変だった自分のことを誰かに話すとき
軽いネタのつもりだったのに
慌ててグーにした手を小鼻の溝に押し当てる
ごめんなさいね
こんなつもりじゃなかったのに
どーしちゃったんだろう
変だね、私
とっさに笑顔を作ってみるものの、おどける余裕はない
ずっと押しころしてきた違和感が、未だ解消されずに残っている
おかしいな、もう気にしていないはずだったのに
目の前にある現実は事実として受け止めるしかない
今までも、この先も
自分の中で起きていることは、時間の流れとともに自己完結していく
心の澱を沈めたままにしておかないで、融かしていこう
深ければ深いほど、ゆっくり優しく、丁寧に
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
文字数にして、400字弱。
彼女がメールやLINE に、このような散文を書いたのは初めてのことです。
おとちゃんとの付き合いは17年。ネット上で長いこと文章を書いてきた私に付き合わされて、彼女も多くの文章に触れてきたはずです。
でも、彼女が自分メディアを持つことは、ありませんでした。
今だって、noteのアカウントを登録するどころか、noteアプリすら入れていないのです。私がLINEにシェアしたnoteを読むか、気が向いたときに「“水野うた”って検索して、読むの」だそうです。
“水野うた”で検索すると、私のトップページが表示されます。そのなかでもトップに出てくるのは、固定記事。「毎回これが表示されるから、更新してないんだって思ってた」なんて珍事が起こるほど、noteと彼女の物理的な距離は遠めです。みなさんのところへ自分から遊びに行くことも、きっとほとんどありません。
積極的な読み書きをすることなんて、ここ何年も、なかったはずなのです。私の知る限りでは。
やすこさんの言葉に突き動かされて、彼女は書いたのでしょう。
「読んだら、電話かけてね」とおとちゃんは言いました。
久しぶりの長電話は、私のスマホの充電が切れるまで続き、楽しいひとときとなりました。
そして彼女に「この文章、やすこさんのコメント欄に入れようかと思ったけれど、やっぱり、私のところで引用記事にしてもいい?」と聞いたら、OKをもらえました。
やすこさん。
おとちゃんからの言葉の贈り物です。
いつものあなたの投稿時刻に、noteサンタに届けてもらいますね。
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☆ Merry Christmas ☆
おとちゃんに文章書かせたやすこさん、すごい☆
誰かに解って欲しいけど、誰にも解ってもらえないのが残念無念!