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スポットライトを当てるのは

 

 忘れられない写真がある。
 帽子のつばの下、青いサポーターで右目をかくし、真剣なまなざしで試合を見ている控えの外野手。3塁側ベンチの前列に並んだ控え選手たちのなかに、彼はいる。
 この日、わたしは生まれてはじめて高校野球を撮影した。

 

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 その後レギュラーになった彼の、逆転タイムリースリーベースも、ホーム生還のガッツポーズも、強肩バックホームもカメラにおさめたけれど、彼の写真のなかでいちばん印象に残っているのは、最初に撮影した日の青いサポーターの写真なんです。

 

 はじめての撮影は8月の秋季大会予選の1回戦、最高気温が体温より高い真夏日でした。
 すり鉢状の灼熱地獄の底をフェンスに沿って、ぐるぐる歩きます。撮影のベストポイントを探すためです。しめった熱風、じりじりと肌を焦がす陽射しは、暑さの限界を超えていました。冷や汗と同時に動悸がおそってきます。これはやばい! 選手の試合中に保護者が倒れるわけにはいきません。あわててスポーツドリンクを買って、脇を冷やしながらカメラを構え続けました。

 当たり前だけれど、高校球児の動きは小学生の徒競走とはケタ違いに速いのです。だから、オートのスポーツモードではブレてしまう。ピッチャーを撮ればボールをリリースする瞬間の手は不鮮明になるし、バッターを撮ればスイングの残像が写ってしまいます。
 その日から毎週末、試行錯誤の撮影が始まりました。
 青いサポーターの彼は娘と同学年で、このときまだ1年生。同学年で試合に出ている選手は3人、残りは控えでした。

 

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 ジジャーーーン!と金網がふるえるたびに、思わず肩をすくめてしまいます。ファウルボールがバックネットに当たる音には、何年たっても慣れません。ネット間際に座っているので、ネットが壊れなければ絶対に当たるはずがないのに、ビクッとしてしまいます。
 望遠レンズ越しにピッチャーを撮っていると、バッターもボールも見えていない瞬間があるんです。打球音でかすったのはわかるけれど、いかんせん、わかる前にジジャーーーン!です。ぐわんぐわんと揺れる金属のネットに、どきどきします。

 あの速さのファウルチップが頭に当たったら、この試合の写真はいったい誰が撮ってくれるんでしょう?

 この試合が最初で最後の出場機会になる選手だって、いるかもしれない。その唯一無二のチャンスを、わたしはカメラで切り取って彼らに届けたい。そして、控え選手たちのきびきびとした動きを、真剣な表情を、応援に来られなかった親たちに届けたいのです。

 

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 こども達の野球を撮りはじめたのは、4年前。娘がマネージャーとして野球部に入部したのがきっかけでした。自宅から学校までは車で片道1時間以上。試合となるとそこから更に1~2時間離れた球場まで行くことも多いのです。この学校には各部共用のバスが1台あるだけなので、ほぼ毎回、親が送り迎えすることになります。
 「どうせ送り迎えしてくれるんなら、選手を撮ってよ。みんなカッコイイんだよ! 撮りたいけど、私は撮れないから」という娘の要望で、望遠レンズでこども達を追う日々が始まりました。

 試合が終わると、いったん学校へ戻ります。こども達が道具やドリンクサーバーを片付けている間、わたしは車のなかで失敗写真の削除をはじめます。
 素人の撮るスポーツ写真は、ポートレートや風景写真と違って、撮った写真のうち使えるものの割合が圧倒的にすくないのです。わたしの場合、1試合3000枚ほど撮った写真のうち、実際に使える写真になるのは400枚、つまり15%弱。
 わたしはフルタイムで仕事をしているので、仕事の休憩時間などを利用して1週間ほどかけて写真を選び、編集作業に入ります。保護者や選手のグループLINEに配信できるようになるまで、早くても10日前後かかります。

 3000枚と言っても、ただやみくもに撮るわけではありません。どのシーンも、次の動きの予想をしながらシャッターを切っています。
 攻撃時、1アウト3ボール1ストライク、ボール先行のカウントなら、エンドランの指示が出そうだから1塁ランナーにピントを置こうとか、守備時、バッターの前の打席がレフトフライだったなら、ショートをねらっておこうという感じだけれど、予想がはずれる場合もよくあります。
 それに、カメラの動きが選手に追いつけず足しか写っていなかったり、逆に行き過ぎて、走る選手の頭しか入っていないなんてこともあるのです。

 

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 使える写真が最初は3%くらいだったことを思えば、本やインターネットで調べて練習したり、設定を変えながら試行錯誤した日々は無駄ではなかったなぁって思います。レンズやカメラを途中でアップデートしたのも、贅沢だけれど良いお金の使い方をしたと満足しています。あきらかに撮りたい写真が撮れる確率が上がりましたから。
 でも、上達の一番のきっかけになったのは、撮った写真を本人たちがSNSのアイコンに使ってくれたり、保護者たちが「写真を見て泣けちゃったよ」と伝えてくれたりしたことかもしれません。
 わたしの手を離れた写真たちは、その写真を愛してくれる本人と家族の手に渡って、勝手に歩きだしました。彼らが自分の写真をアイコンにしたり、保護者が息子の写真を年賀状に使ったり、球場に来られないおじいちゃんに見せたりしてくれたことで、わたしの写真は生きた写真になったのです。

 彼らがアイコンに使ってくれる写真は、活躍した瞬間の写真が多いんです。ホームランを打った時のスイング、ゲッツーを取った瞬間のアピール、起死回生のバックホームの瞬間。
 失敗できないって思うんですよね。その一瞬に賭けた全力プレーを、撮りのがしてはいけないって。

 いっぽうで保護者たちが泣く写真は、テレビの試合中継にはほとんど映らない部分です。笑顔のハイタッチ、仲間をねぎらう手、控え選手の唯一の公式戦出場の背中、ベンチで応援する表情、試合に出られない我が子がチームのために尽くす姿。
 めざましい活躍をした選手だけでなくて、全員を撮りたいって思うんですよね。その一瞬の表情を、動きを、あますところなく伝えたいって。

 

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 試合前、シートノックが終わると、整備が始まります。ブルペンのバッテリーの捕球音から気合いが伝わってきます。主審と両チームの主将が集合して、メンバー表を交換します。わたしはバックネット裏や、ベンチ横の通用口のすき間から、メンバー表交換の握手の瞬間と、じゃんけんの瞬間を狙っています。
 スピーカーから、人もまばらな球場に娘の声が響きわたります。お風呂で毎晩練習していた試合前のオーダー紹介。

1番 ショート 佐藤くん 背番号 6
2番 センター 田中くん 背番号 8
3番


 そのアナウンスがスピーカーから流れてくると、わたしはそっと学校名の入った応援Tシャツを脱いで、相手校サイドに移動するのです。試合開始のサイレンと同時にベンチ前から走って整列する、その選手たちを正面から撮るために。
 試合が始まったら、事前に頭に入れておいた打順で撮る位置を変えてみたり、守備はできる限りバックネット裏から撮ったり、外野手に近づくために内野席の端っこまで歩いたりします。左バッターは3塁側から撮りたいし、右バッターは1塁側から撮りたい。

 

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 1番バッターの打順がくると、2番バッターはネクストバッターズサークルに入ります。ネクストでの過ごし方は、グリップに滑り止めスプレーをかけたり、ストレッチをしたり、ルーティーンで精神統一をはかったり、人それぞれですが、みんな緊張感ただよう横顔を見せてくれます。そんな瞬間にもカメラを向けます。

 

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 バッターが塁に出ると、すかさずベンチ脇からふたりの控え選手が飛び出してきます。ひとりはバット引き。ひとりはバッターランナーのプロテクターの回収。たいてい、外したレガース(スネ用)やエルボー(ヒジ用)などのプロテクターは1塁ベースコーチが回収しているから、それを受けとり、ベンチへ走って戻ります。これらは全部、控え選手の役割です。これが自校での練習試合だと、得点板の管理やボールボーイも役割に加わります。

 

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 ベンチの前列には、選手が並んで声援を送っています。彼らのことばは、常にポジティブです。刻々と変わる状況を見つめながら、仲間にヒントを投げかけ、励まし続けます。

 キャッチャーが出ていた攻撃回が終わると、控え選手総出でキャッチャーのプロテクター装着を手伝います。その間、控えのキャッチャーはピッチャーの投球練習のボールを受けています。
 守備回が始まるまでの間、ベンチ側のライン外では、控え選手が外野手とキャッチボールをしています。

 

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 ベンチでは、アナウンス係ではないもうひとりのマネージャーが、記録員としてスコアをつけています。
「バッチ3番! ショート、レフト行ってます!」
 前の回に相手チームのそのバッターがどこへ打球を飛ばしたか、その指示を聞いて、わたしはレンズをその方向に振るのです。もちろん、逆方向に打球が飛んだときのために、いったんピントを合わせたらファインダーから目を上げて、全体を見ているのですが。

 

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 ブルペンでは、試合の様子を確認しながら、控えのピッチャーたちが肩をあたためて、登板に備えています。もちろん、そこでミットの音を響かせているのは、控えのキャッチャー。

  

 全員です。
 グラウンドに立つ選手だけじゃない。
 控え選手もマネージャーも、全員です。
 全員がひとつになって相手チームと戦っています。 
 「全員野球」ということばがあるけれど、それを見事に体現しているこども達の姿に、ファインダーを覗きながら涙がにじむ瞬間があります。

 

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 わたしはアマチュアで、記録写真を撮るわけじゃありません。こども達と保護者の思い出のインデックスになれば・・・と写真を撮っています。
 だから、わたしがカメラを向けるのは、試合で華々しく活躍する選手だけではありません。立場も学年も役割も関係なく、ありとあらゆる全員の活躍を、全員がそこで全力を尽くしているたしかな瞬間を、写真として残したい。

 

 練習試合の朝、誰よりも早くきて、試合の準備をはじめるエースの背中。

 人数の多い相手校のために、ベンチを運ぶ下級生たちの笑顔。

 肩をこわして投げられない投手が、黙々とバットを振っている横顔。

 毎回、自主的に居残り練習をしている二遊間コンビのトス。

 ヘルメットをひとつずつ拭き上げる、マネージャーの手。

 ラッカーをかけてプレートを磨く、控え投手の真剣なまなざし。

 手のひらで撫でて凹凸を確認しながら整備する、内野手の手。

 どんなに短い距離も全力で走る、バット引きの後ろ姿。

 息詰まる試合経過に、おまもりを握りしめるマネージャーの表情。

 正捕手にバトンタッチする、予備キャッチャーの激励のミット。

 

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 娘たちの高校野球が終わった2019年夏から、まもなく2年。娘は変わらず硬式野球部のマネージャーをしているし、わたしも変わらず野球を撮っています。
 宣言解除で対外試合開始の連絡のあった、つい先日のことです。あのとき青いサポーターで右目を覆っていた選手のお母さんから連絡をもらいました。彼も野球を続けてきたけれど、学業に専念するために選手を引退するのだそうです。

 まだ1年生だったあの真夏の試合の1週間前、彼はピッチングマシンを使ってのバント練習中に、自分のファウルチップを右目に当ててしまいました。やっぱり硬球はこわい。幸い失明は免れたけれど、彼は目の下を骨折していました。応急手当てをした娘の話によると、横たわる地面に血溜まりができるほど、出血したようです。そこからしばらくは練習への参加を医師から止められて、ユニフォームを着て部活にくるけれど、バットも振れず、ノックも受けられずという毎日でした。

 1週間後、青いサポーターを右目に斜めにかけて球場に現れた彼は、ドリンクサーバーや道具など運ぶ娘たちを手伝っていて、きびきびと動いていました。こんな姿を撮られるのはイヤかも・・・と思いながらも、わたしは彼にカメラを向けました。今はつらくても、いつの日か「こんなときもあったね」って親子で笑い合ってもらえたらいいと思ったからです。

 

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 傷が癒えたあとの彼の活躍はめざましく、粘り強くチャンスに強いバッティングと、強肩を生かした守備で、打順も7番、守備位置も7番(レフト)、レギュラー固定になって背番号も7番という、777のラッキーボーイとして高校野球最後の夏を過ごしました。
 その彼が、野球をやめてしまうというのです。淋しかった。手元までボールを呼び込んでから身体中を使ってはじき返す彼のバッティングを、もう一度撮りたかった。

 

 今でも思い出すんだけどね、息子が眼帯してる写真あったでしょう? あの日、わたし試合に行けなかったんだけど、うたちゃんが「怪我したばかりで痛むだろうに、マネージャーを手伝ってくれて、重い荷物運んでくれてたんだよ」って教えてくれてね。そのとき、うたちゃんのことを“スポットライトが当たらないところにいるこども達にも、目を向けてくれる人なんだ”って思ったのを覚えてるよ。
 3年生で引退したあとに作ってくれたアルバムも、誰にでも平等に、こども達全員のいいところを見つけてくれたよね。大切にしてくれているのが伝わってきて、うれしかった。大変な作業だったよね。

 うたちゃんは、わたしにとって“特別な人”。
 うたちゃんが撮ってくれた写真は、一生の宝物です! ありがとう。

 

 送られてきたメッセージに、胸がいっぱいになりました。
 写真を撮るときに大切にしていること、大切にしてきたことが、写真を通じてたしかに伝わっているのだと実感したからです。

 

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 表舞台に立てる人間なんて、ほんのひと握りにすぎません。人一倍努力して表舞台に立っている人はほんとうに素晴らしい。
 でも、それ以上に努力したにも関わらず、表舞台に立てない人もいます。その人が「表舞台に立つ人を支えながら、ともに進んでいこう」と努力の方向性を広げたとき、その世界は変わるはず。その人はより強くなるし、人としての深みや輝きを増すと信じています。

 それは、野球だけではなくて、どんな場面でも同じことでしょう。
 たとえ光が当たらない場所であっても、人々のくらしを支えるため、患者のQOLを高めて快適・安寧をたもつため、チームの仕事を円滑に進めるため、応援する人をより輝かせるため、家族が心地よく健やかに暮らすため、日々、裏方として努力をかさね、心をくばる人がいます。わたしの周りにも、あなたの周りにも。

 

 表舞台に立っている人を支えながら、自分のおかれた場所で懸命に役割を果たそうとするその人たちに、わたしは写真を撮ることで、文章を書くことで、スポットライトを当てていたい。

 

 

 わたしが大切にしていることは、気づきにくいところにいる人に、目を向けること。
 そして、光の当たらない場所にいる人に、スポットライトを当てること。

 これからもそれを胸に抱きながら、表現していきます。
 わたしなりの視点で切り取る、写真と文章で。

  

 

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==2021.4.27.追記=======

 Panasonic ✕ note 公式「#自分にとって大切なこと」コンテストにおいて、この作品が審査員特別賞(木浦幹雄さん賞)をいただきました。
 自分が大切にしてきた視点を言語化した作品を、このように評価していただいたことは、とてもありがたく励みになっています。読んでくださったみなさま、コメントをくださったみなさま、シェアしてくださったみなさま、ありがとうございました!


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水野うた
ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!

この記事が受賞したコンテスト