連載日本史㊽ 弘仁・貞観文化(3)
飛鳥文化の代表建築を法隆寺、白鳳文化の代表建築を薬師寺、天平文化の代表建築を東大寺とすれば、弘仁・貞観文化の代表建築は室生寺であろう。(比叡山延暦寺が残っていれば間違いなく代表建築であったろうが、残念ながら戦国時代に織田信長の焼き討ちにあって全焼している。)
室生寺は室生山の麓から中腹にかけて堂塔が配置される山岳寺院である。弘仁・貞観期の寺院建築の特徴は、この立地条件にある。前代までの寺院は比較的平坦な地に建設されることが多かったために、伽藍の配置には一定の型が見られたが、山岳寺院は自然の地形に沿って建てられるため、伽藍配置が独創的である。当時の山岳信仰の反映なのであろうが、重機もトラックもない時代に万難を排して急斜面を上って建材を運び、わざわざ山の上に堂塔を建てた当時の人々の情熱には脱帽するばかりである。
弘仁・貞観期の仏像彫刻では、天平時代に主流だった乾漆像は影を潜め、代わって一木造と呼ばれる木彫像が主流となった。一木造はカヤやヒノキなどの一木から一体の像を彫り出すのが基本だが、腕などの出っ張った部分は別に作っておいて後で合わせることが多かったようだ。また、衣の襞(ひだ)などの立体感を出すために、太く丸みのある大波と、細く鋭い小波を交互に繰り返して表す翻波式と呼ばれる技法が多用されているのも特徴である。彫刻の代表作としては、室生寺弥勒堂の釈迦如来坐像や金堂の釈迦如来像・十一面観音立像、新薬師寺の薬師如来像や法華寺の十一面観音像、神護寺の薬師如来像、元興寺の薬師如来像など、いずれもカヤ・ヒノキ・白檀などを用いた一木造の仏像である。
建築にせよ、彫刻にせよ、弘仁・貞観文化の特徴は、山との関わりの深さであると考えられる。それは山岳信仰をベースにした修験道や、山での修行や儀式を重んじる密教の発展と無縁ではあるまい。現代においても、山はパワースポットとして人々を引きつけている。特に平安京は、山に囲まれた山城盆地に立地していた。平安時代が四百年近くも続いた要因のひとつには、周囲の山々から受け取ってきた霊験パワーがあったのではないかとも思われるのである。
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