バルカン半島史③ ~ポリスの形成~
前800年頃から、ギリシャ各地で、シノイキスモス(集住)によって、多くのポリス(都市国家)が形成された。当初のポリスは有力な王の支配による王政が主流だったが、次第に少数の貴族が支配する貴族政へと移り、さらに平民をも含めた民主政へと移行していった。平民とは言っても、ポリスの市民はクレーロス(割当地)と呼ばれる私有地を持ち、奴隷を使役して耕作させることで利益を得ていた。また、各ポリスは地中海を通して積極的に植民活動を行い、各地に植民市を建設して、海上交易による経済基盤の強化を図った。平民が政治への発言権を得たのは、その過程で重装歩兵として軍事力の重要な一端を担ったからでもある。つまり、ギリシャの古代民主政は奴隷と植民活動に支えられた制度であったのだ。
古代ギリシャのポリスは地中海各地に建設した植民市は、マッサリア(現マルセイユ)・ネアポリス(現ナポリ)・タレントゥム(タラント)・シラクサ・ミレトス・ビザンティウム(現イスタンブール)などの地中海北岸からアフリカ北岸のキュルネ・ナウクラティスまで広範囲にわたる。海上交易を通じた貨幣経済の浸透もポリスの経済発展を促した。その中には現在も交易都市として存続しているものも多い。ポリスの急成長はカルタゴなどの既存植民地との競合を激化させ、その背後にいるペルシア帝国との軋轢を生み、ペルシア戦争の遠因ともなった。
ポリスの中央には守護神を祀る神殿を配したアクロポリス(城山)が置かれその麓には商取引や集会の場であるアグラ(広場)が設けられた。ギリシャ人は自らを神話の英雄ヘレンの子孫であるヘレネスと呼び、ギリシャの地をヘラスと呼んだ。後に歴史用語となるヘレニズムはそれに由来する。また、現在のギリシャの英語での正式名称は Hellenic Republic であり、ここにもその名残が見られる。一方で古代ギリシャ人は他民族をバルバロイ(意味のわからない言葉を話す者たち)と呼んで蔑視した。これは英語の barbarian(野蛮人)の語源ともなっている。
politics(政治)・politician(政治家)・police(警察)など、ポリスに由来する英単語は多い。democracy(民主主義)の語源もギリシャ語のデモス(人民)である。かつてはバルカン半島南部の一地域の政治形態に過ぎなかった民主政が、2000年以上もの時を経て全世界に広がっていることを考えると、選良意識が鼻にはつくものの、古代ギリシャ人が自らをヘレネスと呼んだのも理解できる気がするのである。