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インドシナ半島史⑩ ~ランサン王国~
14世紀、タイ人と同系統のシナ=チベット語族に属するラオ人によって、メコン川中流域のラオス地域に初めての統一王朝であるランサン王国が成立した。ラオスはインドシナ半島唯一の内陸国であり、国土の七割が山地であるという点で、海上交通を足がかりに発展した他のインドシナ諸国よりも統一が遅れたのかもしれない。ランサンとは「百万頭の象」という意味であり、当時の象は戦車的存在として軍事力のシンボルであったという。王国の都はルアンプラバンに置かれ、アンコール朝から取り入れた上座部仏教を奉じて金泥入りの石仏を国家鎮護の象徴とした。ルアンプラバンとは、「黄金仏の都」という意味だという。名は体を表す。ランサン王国はまさに軍事力と仏教文化を誇った国であった。
ランサン王国も他のインドシナ諸国の例に漏れず、近隣諸国との関係に腐心した。東のベトナム(大越国)の侵攻を退け、北の中国・明に朝貢し、西のトゥングー朝ビルマの圧迫を受けてビエンチャンに遷都した。1573年にはトゥングー朝に屈服して一時的に支配を受けたがやがて独立を回復し、象牙・漆・香料などの交易で国力を増強し、16世紀から17世紀にかけて全盛期を迎えて仏教文化が栄えた。しかし18世紀には内紛によって、ルアンプラバン・ビエンチャン・チャンパーサックの三王国に分裂し、ビエンチャン地方はタイ(シャム)の支配下に置かれ、ルアンプラバン地方はベトナムの支配下に入った。
ベトナム・カンボジア・ラオス・ビルマ・タイのインドシナ半島諸国間の抗争には長い歴史がある。さまざまな利害関係が複雑に絡み合い、各国の内紛もあって支配関係はめまぐるしく変わり、大航海時代以降は欧州諸国と結んで他国に優越しようとして墓穴を掘った例も数知れない。特に19世紀以降、インドシナ半島はフランスとイギリスの植民地政策の影響を強く受けるようになるのだが、こうしたインドシナ諸国間の長い抗争が、結果として欧米列強による植民地化を呼び込んだ面も否めないのである。