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連載日本史251 戦後の国際情勢(3)

東西冷戦を背景として、GHQの対日占領政策は次第に民主化・非軍事化から経済復興優先へと転換していった。日本を資本主義陣営に組み入れることでアジアにおける反共産主義の防波堤にしようとしたのである。1948年にはGHQから、予算の均衡・徴税強化・物価統制・賃金の安定・貿易管理・輸出振興などから成る経済安定九原則が示され、それらを具現化するために翌年には財政金融政策顧問のドッジが徹底した均衡予算編成(ドッジ=ライン)の実施を要求した。対ドル為替レートは1ドル=360円で固定され、米国主導のブレトン=ウッズ体制下での日本円の国際経済への復帰が実現した。さらにシャウプ税制使節団の勧告により、直接税中心・累進所得税制を基調とした戦後の税制の骨格が確立した。いわば上からのショック療法によって、戦後のインフレを徹底して抑え込み、経済の早期安定を図ったのである。

ドッジライン・松川事件・レッドパージ(東京法令「日本史のアーカイブ」より)

こうしたGHQ主導の強硬策や、米国からの復興支援によって、インフレは急速に収束し、日本経済は安定に向かった。各地に林立していた闇市も次第に消滅していった。一方で、急激な安定策による副作用も少なからず生じた。行政整理や企業合理化に伴って失業者が増大し、労働運動は激化した。終戦直後は労働組合の結成を奨励したGHQだったが、この時点では既に抑圧へと方針転換していた。日本の社会主義化を恐れ、資本主義体制下での政治経済の安定を優先したためである。下山事件・三鷹事件・松川事件などの不審な事件が続発し、それらが労働組合員の犯行であるとの印象操作がなされたことで、労組の運動の勢いは急速に削がれていった。ここにも冷戦が色濃く影を落としていたのだ。

中華人民共和国成立を宣言する毛沢東(Wikipediaより)

1949年10月、中国の内戦で共産党が国民党に勝利し、中華人民共和国が成立した。敗れた国民党政権は台湾に逃れ、中華民国を名乗った。朝鮮半島でも北にソ連の影響を受けた社会主義の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、南に米国の影響を受けた資本主義の大韓民国(韓国)が成立し、ヨーロッパ同様、アジアもまた冷戦の前線地域と化していった。

中華人民共和国と台湾(中華民国)(moretaiwan.comより)

1950年6月、北朝鮮軍が北緯38度線を越えて韓国に侵攻し、朝鮮戦争が始まった。冷戦が、熱い戦争として火を噴いた瞬間であった。この戦争が、日本の戦後の歩みを、大きく変えていくことになるのである。

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