連載日本史278 政権交代
2009年1月、米国で"Change"をスローガンに掲げた民主党のオバマ大統領が就任した。日本でも同年8月の衆議院総選挙で野党第一党であった民主党が大勝し、単独過半数を獲得した。55年体制以来の本格的な政権交代が実現したのである。連立政権を組んでいた自民党・公明党は野党となり、民主党党首の鳩山由紀夫が首相の座に就いた。民主党は「コンクリートから人へ」をスローガンに、子ども手当の導入や高校授業料無償化を推進した。高速道路の無料化も公約に掲げたが、行政の無駄を省いてそれらの財源を捻出するために行った「政治主導」の事業仕分けでは、期待した成果は上げられなかった。自民党政治を支えていた政・官・財のネットワークは民主党が考えていたよりも強固であり、日本の政治経済に深く根を下ろしていたのである。
外交面では鳩山首相は沖縄の米軍基地の負担軽減を図り、普天間基地の移設先について「最低でも県外」との方針を掲げたが、米国との交渉が難航し、結局は自民党政権時代に固まっていた沖縄県内の辺野古への移設案に帰着した。この一件で、鳩山内閣は大きく支持率を落とした。自民党政権時代に培われた対米従属の外交パラダイムもまた、民主党が考えていた以上に強固だったのだ。
鳩山首相の辞任後、民主党政権は菅直人首相に引き継がれた。政権内では元幹事長の小沢一郎グループと菅首相を中心とした反小沢グループの間に亀裂が生じ、直後に行われた参議院選挙では民主党は過半数を割り、衆議院とのいわゆる「ねじれ国会」の状況となった。折から尖閣諸島近海での中国漁船衝突事件への対応を巡って、野党自民党をはじめ内外からも大きな批判を受けることにもなった。特に外交面において、閣僚の経験不足や各国とのパイプ役になる人材の不足が露呈したのだ。
民主党政権の掲げた理想は、それまでの自民党政治に閉塞感を覚えていた国民の期待を喚起するものであった。しかし実際に政権の座に就いてみると、その経験不足と人材不足は如何ともし難いものであった。もう少し政権の場にとどまることができていれば、あるいは人材を育てることも可能だったかもしれない。しかし、未だ基盤の安定しない民主党政権にとって最悪の事態となる未曽有の大災害が勃発した。東日本大震災である。