バルカン半島史④ ~デルフォイとオリンピア~
古代ギリシャの各々のポリスは常に良好な関係を保っていたわけではない。植民市を巡る利害や対外政策などで対立することも多かった。彼らがギリシャ全体としての連帯を保つ上で重要な役割を果たしたのが、ギリシャ中部に位置する聖域デルフォイに置かれたアポロン神殿である。神殿の巫女の口を通じて発せられる神託は、全ギリシャ人にとって真実であり、無条件に従うべきものとされた。植民市の建設や戦争の可否など、ポリス全体に関わる重要な決定は、この神託に従う形で為されたのである。そのため、ギリシャの各ポリスは決定的な対立や衝突を避けることができたのだ。
神殿の入り口には「汝自身を知れ」「分を越えることなかれ」などの格言が掲げられていたという。ソクラテスや古代ギリシャの哲学者たちも、こうした言葉を大切にしながら真理の探究にいそしんだという。政治のみならず、文化の拠り所としても、デルフォイの神殿は機能していたのである。
デルフォイと並んでもうひとつポリスの連帯に貢献したのが、四年に一度、ペロポネソス半島のオリンピアで行われるスポーツの祭典、すなわち古代オリンピックであった。オリンピックは全ギリシャを挙げての祭事であり、その期間中は全ての戦いは停止され選りすぐられた競技者たちが覇を競った。ギリシャの年代はオリンピックを起点に定められていたので、これは各ポリスがギリシャ全体としての時間の共有を確認する場でもあった。勝利者にはオリーブの冠が授与され、この上ない名誉とされた。現代のオリンピックと同様に、競争の過熱や報酬の肥大化などの問題はあったらしいが、国際的祭典としてのオリンピックがギリシャのポリス全体の結束を高めるために大きな役割を果たしていたのは間違いない。
古代オリンピックはギリシャがローマ帝国の支配下に入った後もローマ皇帝の保護を受けて4世紀末まで存続したが、キリスト教国教化を契機に廃止される。それがフランスのクーベルタンの提唱を受けて近代オリンピックとして復活するのは、約1500年の歳月を経た19世紀末のことであった。オリンピックの復活が、欧州列強の植民地政策と帝国主義が過熱しつつあった時期に重なっているのが興味深い。対立と衝突が先鋭化する世界において、連帯と融和の象徴としての国際的祭典を催すことは、非常に意義深いことだ。競争の過熱や商業主義の肥大化などの問題を抱えるオリンピックではあるが、本来の趣旨を見失わない形での存続を期待したい。デルフォイの神殿に掲げられていた「汝自身を知れ」「分を越えることなかれ」という格言は、オリンピックの在り方を考える上でも有効な言葉だと思うのだ。