連載日本史㉘ 飛鳥・白鳳文化(1)
七世紀前半、聖徳太子・蘇我馬子の時代から大化の改新の頃までの文化を飛鳥文化、七世紀後半から八世紀初頭の天武・持統朝時代の文化を白鳳文化という。いずれも仏教を基調とした国際色豊かな文化で、奈良の飛鳥地方を舞台に花開いたという点では共通している。異なるのは影響を受けた国々と、その消化のしかたである。具体的な建築・彫刻・絵画・工芸などの作品を通して、両者の違いを述べてみたい。
飛鳥文化とくれば、何と言っても法隆寺である。奈良・斑鳩(いかるが)の地に聖徳太子が建立したといわれる、現存する世界最古の木造建築群。世界遺産にも指定されている。特に西院伽藍は金堂・五重塔をはじめ、七つの建物が全て国宝となっている。五重塔は千年以上の耐久性を持つ檜(ひのき)を建材として「積み上げ構造」と呼ばれる柔構造で建てられており、現代にも十分通用する優れた耐震設計だといわれる。素晴らしい技術力である。
法隆寺の回廊の柱は、中央部に膨らみを持った形をしている。古代ギリシャのパルテノン神殿の柱も同様の形をしており、これは下から見上げた時にまっすぐに見えるように視覚的に工夫された形で、「エンタシス」と呼ばれているそうだ。法隆寺の柱が、遠くシルクロードを経て西方から伝わったエンタシスなのか、それとも日本で生まれた独自の技術が、たまたまギリシャ文化のそれと合致していたのかは定かではない。しかし金堂の屋根瓦や天蓋、さらに堂内に置かれた工芸品である玉虫厨子(たまむしのずし)には、古代エジプトを起源とし、ササン朝ペルシアからインドや中央アジアを経て、魏晋南北朝時代の中国や三国時代の朝鮮半島を通して、はるばる伝わった唐草模様が見てとれる。とにかくグローバル、それが飛鳥文化なのだ。
仏像彫刻も、国際色豊かである。法隆寺の釈迦三尊像や百済観音像、中宮寺の半跏思惟像(はんかしゆいぞう)、蘇我馬子によって建立された飛鳥寺の本尊である釈迦如来像など、中国・北魏や朝鮮・百済の影響を強く受けていると思われるものが多い。当時の代表的な仏像彫刻師であり、釈迦三尊像の作者だといわれる鞍作止利(くらつくりのとり)は、おそらく渡来人であろう。彼の作風であるアルカイック・スマイル(古式の微笑)には、どことなくエキゾチックな雰囲気が漂い、前時代の土偶や埴輪と比べると隔世の感がある。仏教美術の広がりは、人々の美意識にも革命をもたらしたのかもしれない。
そもそも仏像という存在自体が東西文化のハイブリッドなのだ。仏教発祥の地であるインドには、もともと偶像崇拝の文化はなかった。古代ギリシャ・ローマの彫刻文化がペルシア(イラン)経由でインドに伝わり、仏教と融合して仏像が生み出されたのだという。してみると民族固有の文化とは、いったい何なのかという疑問も湧いてくる。日本の伝統文化は、はるか昔の飛鳥時代から、既にハイブリッドのグローバル・カルチャーであった。そういう意味でも、法隆寺は紛う事なき世界遺産なのである。
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