スイスの建国がハプスブルク家支配への抵抗から始まり、今もなお、ハプスブルク的な汎ヨーロッパ主義へのアンチテーゼがスイスのアイデンティティの一部となっているのは先述した通りである。それでは、ヨーロッパの中央に位置しながら、ハプスブルク家に象徴される強大な外圧に抗し続けた、その核にある精神とは何なのだろう? 言い換えれば、建国以来700年に及ぶ歴史の中で、スイス人たちは何を守ろうとしてきたのだろう?
その答えを一言で表すのは難しい。しかし、あえて言うならば、それは厳しい自然環境や生活環境の中で形成されてきた地域共同体(ゲマインデ)に根ざす、スイス独自の「自由」と「自治」と「民主主義」なのではないかと思うのである。
スイス独自の「自由」「自治」「民主主義」とは何か? それに関しては、五・一五事件で暗殺された犬養毅首相の孫にあたり、欧州に住んでスイスに長期滞在し、難民支援活動にも尽力した作家である故・犬養道子氏の名著「私のスイス」に、示唆に富んだ記述がある。スイスの郵便局(PTT)と郵便バスの高い信頼性に言及して、そこからスイスにおける民主主義について考察した部分である。少し長い引用になるが、御容赦いただきたい。
ここに活写されているスイスの「自由」と「民主主義」は、アルプスの厳しい自然条件の中での生活を通して必然的に生み出されたものである。それは古代ギリシャ・ローマの特権階級であった「自由」市民による「民主主義」とも異なるし、近代以降の自立した個人を主体とした「自由」や「民主主義」とも異なるし、欧米に追いつき追い越せということで形から入った日本の「自由」や「民主主義」とも異なるものだ。一見、不自由に見える共同体を土壌として、そこに根づいた独自の「自由」と「民主主義」。それこそが、ハプスブルク的なもの=「大きいことはいいことだ」的発想に抗して、建国以来、スイスが守り続けてきたものだと言えるのではないだろうか。