「国語」と「日本語」 ~国語文法と日本語文法③~
国語文法では形容詞と形容動詞を別の品詞として扱う。「赤い」「美しい」など終止形が「い」で終わるのが形容詞、「静かだ」「にぎやかだ」など終止形が「だ」で終わるのが形容動詞で、それぞれの活用パターンは異なるのだが、「物事の性質や状態を表す」という機能においては、両者の間に違いはない。そこで日本語文法では、前者を「イ形容詞」、後者を「ナ形容詞」として、両者ともに形容詞とみなしている。つまり日本語文法の方が品詞の数が少ないわけだ。
前者はともかくとして、後者の名称が「ダ形容詞」にならないのはなぜだろう。それは国語文法で言うところの形容動詞の終止形が、「名詞+だ」の形と見分けがつきにくいという事情に根ざしている。たとえば、「豊かだ」と「豊作だ」は、形の上ではどちらが形容動詞か見分けがつかないが、連体形にしてみると(すなわち後ろに名詞をつけてみると)前者には「豊かな年」のように「な」が現れるのに対し、後者には「豊作の年」のように「の」が現れる。そこで前者は形容動詞、後者は「名詞+だ(助詞)」だとわかるのだが、それなら最初から終止形にこだわらず、名称自体を「ナ形容詞」としてしまえばわかりやすいということなのだろう。
ちなみに国語文法では動詞の活用にも連体形が存在するが、日本語文法では形容詞に連体形はあっても動詞にはない。これは現代の日本語の動詞では、終止形と連体形が全く同じ形になっているということによる。ただし古語、すなわち文語文法においては、動詞の終止形と連体形の区別は厳然として存在したのである。たとえば、「する」という動詞は、現代語では終止形も連体形も「する」だが、古語では終止形は「す」、連体形は「する」となる。文語文法との歴史的継続性を重んじる国語文法では、現代の動詞においては全く同じ形になった終止形と連体形を相変わらず区別して扱っているわけだが、現代日本語の運用能力を養成するための日本語文法では、両者を区別して扱う必然性はないということになるのである。
以上、用言の活用ひとつとっても、体系性重視の国語文法と機能性重視の日本語文法の違いは歴然としている。さらに教育現場では、学習者に対して、どういう順番でどのように教えるのかという点においても、国語文法と日本語文法は際だった対照を見せている。次は、この点について見ていこう。