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インド史① ~インダス文明~
世界史で「インド史」という場合は、現在のインド共和国だけでなく、その周辺のパキスタン・バングラデシュ・スリランカ・ネパール・ブータンをも含めた南アジア地域一帯の歴史を指すのが一般的である。ヒマラヤ山脈の南に広がるインド亜大陸は、広大な面積と多様な民族・言語を擁しながら、全体として南アジア文化圏としてのまとまりを持っている。ヒマラヤに源流を持ち、南西方向に流れてアラビア海に注ぐインダス川と、南東方向に流れてベンガル湾に注ぐガンジス川。その南に位置し、亜大陸の背骨にあたるデカン高原。亜熱帯気候のもと、季節風による雨の恵みを受けた豊富な農業生産力を糧に、インドでは古くから先進的な文明が花開いた。
最初に文明が進んだのはインダス川流域である。紀元前2500年頃から前1500年頃にかけて、上流域のパンジャブ地方や下流域のシンド地方にドラヴィダ人の農耕社会を基盤としたインダス文明が形成された。パンジャブ地方のハラッパーとシンド地方のモヘンジョ・ダロは、この時代の代表的な都市国家遺跡である。これらの地域は、現在ではパキスタンの領土に属している。
インダス文明には、彩文土器や青銅器や焼き煉瓦の使用、整然とした都市計画や沐浴場などの公共施設の存在といった特徴がみられる。遺跡から出土した印章にはインダス文字が刻まれているが、未だ解読には至っていない。ただ、同時期のシュメール人によるメソポタミア文明における楔形文字は解読されており、その中にインダス文明との交易の記述が認められることから、アラビア海を通じた西方世界との交流があったことは確かだと思われる。
紀元前1800年頃にはインダス文明は衰退期に入っていたと考えられている。明確な原因は不明だが、可能性として考えられるのは、都市国家建設に伴う森林伐採が河川の氾濫や気候の乾燥化につながったためではないかという説である。これは、中東における先進古代文明地域が森林の乱伐による砂漠化によって衰退していったのと軌を一にしている。自然環境の破壊が人間の生活環境の破壊と文明の衰退につながるのは、普遍的な現象であると思われるのである。
インダス文明の終焉を決定づけたのは、紀元前1500年頃、コーカサス地方からイラン、アフガニスタン地域を経て、カイバル峠を越えて東進してきたインド・ヨーロッパ語族のアーリア人の侵入であった。鉄器を使用するアーリア人は、パンジャブ地方を中心に先住民のドラヴィダ人を圧迫しながら勢力を広げ、支配階級として君臨した。それに伴って多くのドラヴィダ人が南インドへと追いやられ、そこで独自の文化を持つようになった。こうして、現代につながる多民族・多言語のインド亜大陸の萌芽が形成されたのである。