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ローマ・イタリア史⑧ ~第二回三頭政治~

カエサル(シーザー)の死後、後継者として並び立ったのは、カエサルの信頼を得ていた有力部将のアントニウスと、カエサルの養子オクタビアヌスであった。もうひとりの部将レピドゥスを仲介役として前43年、三人の間で第2回三頭政治が成立。アントニウスは東方の属州を、オクタビアヌスは西方の属州を、レピドゥスは北アフリカの属州をそれぞれ支配下に置くことになり、数年の間は勢力均衡による平和が訪れた。中国の三国志や朝鮮半島の三国時代などの例にもみられるように、古今東西、パワーバランスの維持には「2」よりも「3」の方が抑止力が働きやすいようである。

だが、アントニウスがエジプト女王クレオパトラに急接近したことで対立が再燃する。アントニウスはオクタビアヌスの姉を妻に娶り、それが二人の緩衝材ともなっていたわけだが、クレオパトラの魅力に溺れた彼はローマを去ってエジプトに移り、彼女との間に三人の子をもうけた。アントニウスに不信感を抱いたオクタビアヌスは、失脚したレピドゥスの勢力を吸収し、前31年、ギリシャ西北のアクティウムで、アントニウス・クレオパトラ連合軍との海戦に臨んだ。

アントニウス・クレオパトラ連合軍の船数はオクタビアヌス軍の2倍に上り船の大きさでも敵軍をはるかに凌いでいたが、それゆえに機動力で劣り、オクタビアヌスの盟友アグリッパの指揮による速攻に翻弄されて大敗を喫することとなった。敗走したアントニウスはアレクサンドリアで自殺。オクタビアヌスを籠絡しようとして失敗に終わったクレオパトラも自ら命を絶ち、ギリシャ・エジプトを含む東地中海一帯も、オクタビアヌスの支配に服したのである。

軍事力では優勢であったはずのアントニウスの敗因は、エジプトとの連合軍で十分な意思疎通を欠いていたことによる指揮系統の乱れと、自らの能力に対する過信にあったのではないかと思われる。一方、オクタビアヌスは、自身の軍事面での能力が劣っていることを十分自覚しており、古くからの盟友アグリッパを全面的に信頼し、指揮系統を一本化して彼に委ねていた。クレオパトラへの過剰な思い入れがアントニウスの判断力を曇らせていたという一面もあるかもしれない。

「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう」という言葉があるが、それに対して芥川龍之介は「侏儒の言葉」で以下のような叙述を残している。

『クレオパトラの鼻が曲がっていたとすれば、世界の歴史はその為に一変していたかもしれないとは名高いパスカルの警句である。しかし恋人というものは滅多に実相を見るものではない。いや、我々の自己欺瞞は一たび恋愛に陥ったが最後、最も完全に行われるのである。
 アントニイもそういう例に漏れず、クレオパトラの鼻が曲がっていたとすれば、努めてそれを見まいとしたであろう。また見ずにはいられない場合も、その短所を補うべき何か他の長所を探したであろう。何か他の長所といえば、天下に我々の恋人くらい無数の長所を具えた女性は一人もいないのに相違ない。アントニイもきっと我々同様、クレオパトラの眼とか唇とかに、あり余る償いを見出したであろう。
 ……こういう自己欺瞞は、民心を知りたがる政治家にも、敵状を知りたがる軍人にも、あるいはまた財況を知りたがる実業家にも同じようにきっと起こるのである。……すると我々の自己欺瞞は、世界の歴史を左右すべき、最も永久的な力かもしれない。
 つまり二千余年の歴史は渺たる一クレオパトラの鼻の如何に依ったのではない。寧ろ地上に遍満した我々の愚昧に依ったのである。哂うべき、――しかし荘厳な我々の愚昧に依ったのである。』

カエサル(シーザー)もまた「人は自分の見たいものしか見ようとしない」という名言を残している。自らの暗殺の危険を感じていた彼は、後継者を指名するにあたって、最も有能とされていた側近のアントニウスではなく、未知の将来性を持った若きオクタビアヌスを選んだ。アントニウスにはそれが少なからずショックだったようだが、カエサルにはきっと見えていたのだろう。自己欺瞞の程度において、オクタビアヌスの方がアントニウスよりも幾分か冷静な自省力を持っていたということを――。そして、この判断基準は我々が指導者を選ぶ際にも有効な基準になり得るはずなのだ。

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